宮中新嘗祭は「稲の儀礼」ではない──誤解されている天皇の祭り(2013年11月24日)
昨夕、皇居の奥深い神域で新嘗祭が斎行されました。
昨今はインターネット時代で、多くの方が陛下の祭りについて情報を発信していますが、「稲の祭り」「天照大神をまつる」といった、必ずしも正確ではない情報が広がっているのは残念です。
そして、このような誤情報こそ、側近らによる祭祀の改変を野放しにしている最大の理由ではないかと私は心配しています。
そんなわけで、宮中新嘗祭について、あらためて考えてみることにします。
▽1 天皇みずから諸神をまつる複合儀礼
昭和天皇の祭祀に携わった八束清貫の「皇室祭祀百年史」(『明治維新神道百年史』神道文化会所収)には、こう説明されています。
「新嘗祭は、毎年11月23日、24日の両日にわたって行われ、天皇陛下が当年の新穀を召し上がるについて、その年の御饌・御酒を天照大神以下諸神に奉って、親祭される皇室第一の重い祭祀である」
ポイントは4点あります。
第1に、天皇みずからなさる祭祀だということです。
伊勢神宮や一般の神社神宮では、神職による神事が行われますが、宮中祭祀は陛下みずから祭祀をお務めになります。
陛下は、ほかの祭祀とは異なり、新嘗祭では、特別に純白生絹(すずし)の祭服をお召しになります。「謹慎と清浄」を表現しているとされます。
陛下にとって、格別の祭祀なのです。
第2に、諸神を祀るということです。
研究者によると、古代律令制の定めのひとつである「神祇令(じんぎりょう)」の「即位の条」には、「およそ天皇、位に即(つ)きたまわば、すべて天神地祇を祭れ」と記されています。
天皇が天照大神のみを祀る、祖先崇拝的な神事ではないのです。伊勢の神宮の神事とは異なります。
第3に、「米と粟」の複合儀礼だということです。
八束清貫は「この祭りにもっとも大切なのは神饌である」と指摘し、「なかんずく主要なのは、当年の新米・新粟をもって炊(かし)いだ、米の御飯(おんいい)および御粥(おんかゆ)、粟の御飯および御粥と、新米をもって1か月余を費やして醸造した白酒(しろき)・黒酒(くろき)の新酒である」と説明しています。
新嘗祭は稲の儀礼だとする説明が世間に流通していますが、不正確です。
伊勢の神宮の祭祀は1年365日、徹頭徹尾、稲の祭りであり、全国各地の新嘗祭が稲の祭りとして行われていることは間違いないでしょうが、宮中新嘗祭(神嘉殿の儀)はそれらとは異なります。
▽2 なぜ諸神をまつり、米と粟を捧げるのか
従って、第4点として、指摘されるのは、祭りの意義が、宮中三殿や伊勢神宮での新嘗祭を含めて、一般のお宮での新嘗祭とは異なるということになろうかと思います。
天皇一世一度の新嘗祭が大嘗祭ですが、歴史学者の三浦周行京都帝国大学教授は『即位礼と大嘗祭』(大正3年)に、大嘗祭に諸神を祭ることについて、その意味を次のように説明しています。
「天神地祇には、もとより皇室のご祖先もあられるが、臣民の祖先の、国家に功労のあったかどで神社にまつられ、官幣・国幣を享けつつあるものも少なくない。これらは国民の共通的祖先の代表的なものと申して差し支えない。……皇室のご祖先をはじめ奉り、一般臣民の祖先を御崇敬遊ばされ、また現代においては一般臣民とともに楽しみたもう大御心を御表示遊ばされると申すが、すなわち御大典の根本の御精神であって……」(「第一 総説」の「二 君民関係から観た大典の意義」)
天皇は大嘗祭、新嘗祭に、皇祖神のほか、各氏族の氏神をまつり、神饌をみずからお供えになり、国の安定と民の平安を祈られます。
もし新嘗祭が、皇室に伝わる稲作信仰に基づく祖先崇拝だとするならば、天照大神を祀る賢所で祭祀は行われるべきであり、神饌も稲のみで足りるはずです。
そうではなくて、神嘉殿という特別の祭場で、民が信じるあらゆる神々をまつり、米と粟の新穀を捧げられるのは、国と民をひとつにまとめ上げるという天皇の最大のお役目に発するものと私は思います。
日本列島はけっして米作適地ではありません。水田耕作に不向きな土地もたくさんあります。稲作伝来以前からこの地に住み着いてきた畑作民農耕民の文化も各地に伝えられてきていることは、各地の神社の祭祀に色濃くうかがえます。
日本人は複数のルーツを持ち、必ずしもすべての日本人が米を主食としてきたわけではありません。縄文以来の信仰を引き継いでいると見られる古社では、神に捧げる主饌はしばしば稲ではありません。
そのように考えると、あらゆる民のために、公正かつ無私なる祈りを捧げる天皇の祭りは、複合儀礼とならざるを得ません。
天皇が天神地祇をまつり、米と粟の複合儀礼をなさるのは、国民それぞれの精神的、物質的生活を重んじ、発展を願うからでしょう。
つまり、天皇の祭りは国民の信教の自由を保障するものと考えることができます。
▽3 政教分離原則を理由とする「簡素化」の矛盾
一昨年以来、宮内庁は陛下の御健康問題を理由として、新嘗祭の「簡素化」を進めています〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h23-1101.html#K1118〉。
報道によれば、昨夕、安倍首相は新嘗祭に参列したようですが、「午後6時55分、公邸発。同7時1分、皇居着。新嘗祭神嘉殿の儀に参列。午後8時32分、皇居発。」と記録されています〈http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013112400002〉。
本来なら、午後6時、陛下が出御(しゅつぎょ)され、1時間以上、時間をかけて、神饌を供されるなど、2時間の神事を行われ、この「夕(よい)の儀」が終了して、3時間後、陛下がふたたびお出ましになり、「暁の儀」の神事が繰り返されます。
首相動静から想像すると、今年も「簡略新嘗祭」が行われたものと思われます。
宮内庁はその根拠に昭和の先例を引き出し、昭和の新嘗祭簡略化が昭和天皇の御健康問題が理由であったかのように説明していますが、まったく誤りです
拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に詳述したように、昭和40年代に入江侍従長の祭祀嫌いに始まり、「無神論者」を自認する富田宮内庁長官の政教分離主義によって、皇室の伝統を軽視する祭祀簡略化は本格化したのでした。
入江日記を読むと、昭和天皇は側近による祭祀の「簡素化」に最後まで抵抗されたことがうかがえます。それはそうでしょう、順徳天皇の「禁秘抄」に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあります。
天皇は祭祀王なのです。
そして、古来、天皇の祭祀こそ国民の信教の自由を保障するものであり、それゆえにわが国ではどの国よりも宗教の平和的共存が実現されてきたのです。
だとしたら、憲法の政教分離原則を根拠とした祭祀の改変は、歴史と伝統の破壊以外の何ものでもないことになります。
いまふたたび側近らによる祭祀改変を強いられている今上陛下のご心中は察するにあまりあります。