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広島に原爆投下した「エノラ・ゲイ」──スミソニアン博物館新館に永久展示(「神社新報」平成16年1月1日号)

(画像はエノラゲイ。Wikipediaから拝借しました)


「フセイン拘束」の衝撃が世界を走った翌日、旧臘(平成15年12月)15日、米国の首都ワシントンの郊外、バージニア州のダレス国際空港に隣接して、米国立スミソニアン航空宇宙博物館の新館が開館、一般に公開された。

 空と宇宙の歴史を伝へる新館の目玉は、昭和20(1945)年8月、人類史上初の原爆を広島に投下した米軍のボーイングB29長距離爆撃機「エノラ・ゲイ」だ。


▢1 14万人の命奪ふ



 同機はネブラスカ州オマハのマーティン航空機会社で製造され、45年6月にマリアナ諸島で実戦配備された。

 原爆投下のため特別の改良が加へられ、8月6日早朝にテニアン島を離陸、午前8時16分、広島上空3万1600フィート(1フィート=約30センチ)から核爆弾「リトル・ボーイ」を投下し、14万人の命を奪った。

リトルボーイ@Wikipedia


 操縦してゐたのはポール・ティベッツ大佐で、母親の名前をとって「エノラ・ゲイ」と命名した。同機は3日後の長崎の原爆投下にも天候偵察機として使はれた。49年にスミソニアン博物館に寄付され、60年に解体された。

 95年に胴体部分やエンジンなど機体の一部がワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館で特別展示されたときには、原爆投下をめぐる歴史論争が日米間にわき起こった。原爆被害についても展示される予定だったが、米国退役軍人の団体は「展示内容が悲惨さを強調しすぎる」と批判、展示内容が縮小された経緯がある。

 展示は98年まで延長され、400万人が訪れた。

 新館はライト兄弟の初飛行から100周年に合はせて開館した。兄弟が動力飛行に成功したのがちょうど100年前の12月だった。総工費3万1100万ドルのうち6500万ドルを提供した世界最大の航空機リース会社の創立者・経営者の名にちなみ、「スティーブン・F・ウドバーハジー・センター」と呼ばれる。

 中心施設である高さ103フィート、奥行き986フィート、幅248フィートの巨大な格納庫には80機を超える航空機と数十機の宇宙船が展示されてゐる。この中にはスペース・シャトル「コロンビア」やボーイング707などが含まれるが、数年以内には全体の施設がさらに拡充し、200機の航空機と135機の宇宙船が展示されることになる。

 入場料は無料、年間300万人が訪れると予測される。


▢2 巨大格納庫中央に



 格納庫の中央に展示されるのが、機首に「エノラ・ゲイ」とペンキで大書されたあのB29で、新館のいはば最大の「呼び物」として40年ぶりに完全復元され、永久に展示される。

 博物館側は「何をエノラ・ゲイの遺産といふべきか」といふ質問に、「第2次大戦に断固たる役割を演じた。B29は当時、最先端の航空機で、冷戦期の核抑止力の頼みの綱だった」と答へてゐる。

 米国の学者グループや日本の被爆者団体などは、原爆の被害状況も合はせて展示するやう求めてゐるが、「技術の進歩が展示の焦点」だと主張し、事実上、要求を拒否してゐる。

 軍事目標ではない民間人を標的とする空爆・空襲は戦時国際法に違反するが、いまや日本にとって唯一の同盟国であるはずの米国は、原爆投下が間違ってゐた、などといふ歴史認識を公的にはいささかも持ち合はせてをらず、逆に正当化してゐる、といふことがあらためて理解される。


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