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「世界の抽象化」を実現する技術

機械学習の分野におけるトレンドとして、大規模言語モデル、エージェントと並んで「世界モデル」という技術が挙げられます。NvidiaがCosmosと呼ばれるオープンソースの世界モデルを発表したニュースをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
世界モデルとは、機械学習(特に強化学習)の領域で用いられる概念で、AIエージェントが「周囲の環境の状態」を内部に表現し、その状態の変化を予測できるようにしたものを指します。もう少し簡単に言うと、AIが環境を頭の中に“再現”しておき、その“再現した環境”の中で先回りしてシミュレーションできるようにする仕組みです。
認知科学の視点からは、「人間も頭の中で世界をモデル化し、先回りした想像や推測をしているのでは?」といった研究があるため、AIが同じような仕組みを持つことにより、より汎用的で人間らしい学習が実現するのではないかと期待されています。この視点から、(この類比が技術的にどの程度意味をなすものなのかは置いておいて)人間の脳とのアナロジーを考えながら世界モデルが世界をどのように抽象化しているのかを見ていきたいと思います。


1. 人間が持つ「世界モデル」って何だろう?

1.1 私たちの脳内で動いているイメージ

私たちは、周りの世界を五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)から取り込んで、脳の中で「この世界はこんなふうになっている」「こう動けばこうなるんだろうな」といったイメージを組み立てています。
これを「世界モデル」と呼ぶことがあり、日常のあらゆる行動や判断に役立っていると考えられています。

  • ボールの運動を予測する
    たとえばボールを投げるとき、私たちはボールの弾道を大まかに予想しながら手や腕を動かしています。過去に投げた経験や、視覚から得た情報が脳内で組み合わさって「ボールはこんな軌道で飛んでいくはず」と見積もるわけですね。

  • 予測符号化 (Predictive Coding)
    また、脳科学の分野では「脳は常に先回りして外界を予測し、実際の感覚入力とのズレを学習の糧にしている」という考え方があるんです。つまり、脳にはある種の生成モデルがあって、知覚が「モデルと現実のギャップを埋めるプロセス」だと見るわけです。

1.2 私たちの脳内モデルの特徴

  1. いろんな情報をうまく圧縮している
    視覚情報など膨大なデータを、そのまま全て意識に上げるわけではありません。重要な特徴だけを抽出して、いわば「エッセンス」だけを扱っています。

  2. 未来を想定してシミュレーションできる
    目の前に見える状況だけではなく、「もしこうなったらどうなる?」を常に脳内でシミュレートしています。そのおかげで事前に危険を回避したり、効率的に行動したりできるわけですね。

  3. 外界の刺激がなくてもイメージを作れる
    「夢を見たり、頭の中でイメージしたりする」とき、脳は外からの刺激がほとんどなくても内部モデルだけでイメージを生み出します。これって生成モデルっぽい動きとも重なっています。


2. 機械学習における世界モデルとのつながり

2.1 AIの世界モデルとは

AI・機械学習の分野では、強化学習などで「外界の状況を学習し、次にどうなるかを予測する」仕組みが必要になります。

  • これがいわゆる「世界モデル」。観測(画像やセンサー情報)をまとめて、時系列の変化を予測し、どう行動すれば報酬が得られるか…という流れを一括管理するわけです。

  • Ha & Schmidhuber (2018) の「World Models」では、VAEに加えてRNN(MDN-RNN)やコントローラという構成が提案されました。

2.2 私たちの脳とのアナロジー

人間の脳も、取り込んだ感覚情報から内部モデルを構築し、シミュレーションして行動を決めています。機械学習の世界モデルも同じで、

  1. 生データを低次元表現へ圧縮(脳の知覚処理のようなもの)

  2. その表現が時間とともにどう変化するかを学習(脳の「こう動いたらこう変わるだろう」的な予測)

  3. その予測を頼りに行動を決定
    という形で動いています。
    この「内部モデルを持つ」という概念が、かなり脳のやり方に近いと期待されているんですね。


3. VAEが「抽象化」をどう支えているのか

3.1 VAEの基本:高次元を小さくまとめ、作り出せる

VAEの肝は「高次元のデータ(画像など)を低次元の潜在空間にまとめて、その潜在空間をちゃんとした分布として学習する」点にあります。

  • ノイズを飛ばしてエッセンスを取り出す
    画像ならピクセル単位の膨大な情報を、よりコンパクトな表現に圧縮します。脳が視覚野を通じて必要な情報を拾っている様子と似ています。

  • 作り出せる力(生成モデル)
    人間が頭の中で物を想像するように、VAEもランダムに潜在空間をサンプリングすると、それなりに自然な画像を再構成できます。

3.2 世界モデル内で具体的にどんな働きをするの?

  • 観測データを潜在表現に変換
    たとえばゲーム画面やロボットのセンサー情報を直接扱うと計算が爆発しがち。そこでVAEで潜在空間にギュッとまとめると、予測も効率的になります。

  • 潜在空間上での未来予測
    次の状態を予測するのは潜在空間の方がずっと楽。脳で言えば「映像の細かなピクセル単位ではなく、物体の動きや位置などの抽象的な特徴だけ追う」イメージに近いです。

  • 想像上での試行錯誤
    シミュレータがなくても潜在空間をいじれば、ある程度の未来を描けるんです。これは人間が「頭の中でシュミレーションしてみる」ことと似ています。


4. 人間の脳にも「VAE的な要素」があるかも?

4.1 Predictive CodingやFree Energy Principle

脳科学では、脳が「先に予測を立て、その予測誤差を最小化していく」という仕組みが大事だと考えられています。

  • 変分推論やFree Energy原理などの考え方では、「VAEが行っている再構成誤差 + KLダイバージェンス最小化」のようなプロセスが、脳内でも起こっているかもしれないと言われています。

4.2 海馬や視覚野の階層構造との対応

  • 海馬
    空間地図のような「認知マップ」を作り、そこを再生して学習するといった機能があるとされます。これはVAEの潜在空間でイメージを生成する感じに通じるところがあります。

  • 視覚野の階層構造
    V1からV2、V4…とどんどん情報を抽象化していく構造は、畳み込みニューラルネット(CNN)やVAEのエンコーダが階層的に特徴を抽出していく流れとよく似ています。


5. VAEを採り入れるメリットと脳の視点から見た妥当性

5.1 メリット

  1. 効率的にデータ処理ができる
    VAEで高次元データを圧縮すると、後段のネットワークが扱うデータ量も減るので学習や推論が軽くなります。これは脳も「大事な要素だけ抽出する」やり方と相通じます。

  2. ノイズにも強い
    例えば視界が悪い時でも、本質的な特徴を潜在空間に収められれば、判断を誤りにくくなります。

  3. 内部シミュレーションがしやすい
    VAEは生成能力を持っているので、「頭の中で未来を描く」作業が比較的やりやすい。強化学習の中でも、潜在空間でいろいろ試すことが可能になります。

5.2 脳と違い、間違いもある

ただ、脳ほど精巧にできているわけではありません。VAEはわかりやすい理論枠組みですが、

  • 学習データの偏りがあるとおかしな潜在空間を作る

  • KL崩壊など、VAE特有の学習不安定要素
    といった問題も起こります。脳が引き起こす錯覚や幻覚のようなものが、AIにも表れるイメージですね。


6. 具体的事例:Ha & Schmidhuber (2018) と Dreamer

6.1 「World Models」

  • VAE (エンコーダ/デコーダ) で画像を潜在ベクトル化

  • MDN-RNN でそのベクトルの時系列変化を予測

  • Controller が行動を決める
    という流れ。これにより、実際のピクセル空間を扱うよりも圧倒的に軽く学習できた、という報告があります。

6.2 Dreamer

  • VAE的機構 + RSSM (Recurrent State Space Model) + Actor-Critic

  • 「夢を見る(dreaming)」ように潜在空間内で未来を想定し、実際の環境を使わなくても方策を磨ける。

  • 人間が頭の中であれこれ考えてから動く感じをAIに取り入れたわけです。


7. まとめ:脳の世界モデルをAIで再現する鍵としてのVAE

人間の脳が持つ世界モデルと、機械学習での世界モデルを比べてみると、こんな共通点と違いがあります。

  1. 共通点

    • 大量の観測情報を抽象的な形に落とし込む

    • その内部モデルを使って未来を予測し、誤差を学習に活かす

    • 想像するように新しいイメージを生成できる

  2. 相違点

    • 脳は並列的かつ階層的で、感情や身体との相互作用も含む超複雑システム。VAEは数式的にシンプルで、要素の一部を取り扱うイメージ。

    • 脳は無意識下でもいろいろな推論を行うが、AIは学習データやパラメータ調整に大きく左右される。

それでも「エンコーダ→潜在表現→デコーダ」の基本構造は、脳がしている抽象化とイメージ生成に近いものだと考えられます。VAEの考え方を世界モデルに組み込むことで、脳が自然にこなしている「情報をギュッとまとめて想像・予測する」能力を、ある程度AIでも実現できるかもしれません。


8. 自動運転・動画生成AIへの応用

8.1 自動運転の例

自動運転システムは、膨大なカメラ映像やLiDARからの情報を瞬時に処理しなくてはいけません。

  • VAEで圧縮
    ピクセル単位で考えると大変なので、VAEによって要所だけの潜在空間を作り、車両や歩行者、標識などの重要要素を扱いやすくまとめることができます。

  • シミュレーション
    「もし急ブレーキを踏んだら後続車はどう動くか?」みたいなシナリオを潜在空間上でシミュレートしてみることも考えられます。うまく行かない予測が出たら、そのモデルを修正すればいい。

8.2 動画生成AIの例

動画生成では「次のフレームがどうなるか」を予測したり、テキストから動画を作ったりいろいろなタスクがありますが、フレームごとに扱うデータ量が膨大になります。

  • 潜在表現の利用
    ここでVAEの出番。画像や動画を潜在空間に落とし込むことで大幅に圧縮でき、そこをRNNやTransformerで扱えば、動きの予測や条件付き生成などがやりやすくなります。

  • フレーム補完や未来予測
    欠損したフレームを補うとき、潜在空間上で「自然な動き」を補完できるとスムーズな動画になるわけです。


9. 最新動向と展望

9.1 拡散モデル(Diffusion Model)との組み合わせ

最近は画像生成系で拡散モデルがブームですが、Stable Diffusionなどを見ると、最初と最後にVAEが使われているんです。

  • 直接ピクセル空間で拡散するより、VAEの潜在空間を利用した方が計算が軽く、高解像度画像を生成しやすいというメリットがあります。

9.2 大規模言語モデルとの融合

GPT系のような大規模言語モデルと、画像モデル(VAEやCNN)を組み合わせて、テキスト・画像・動画を一緒くたに扱う「マルチモーダルモデル」も盛んに研究されています。

  • 世界モデルの概念をさらに拡張して、「言葉と視覚情報が同じ潜在空間で表現される」という未来も見えてきています。

9.3 継続的学習や自己教師あり学習

環境が変わるたびにモデルを再学習するのではなく、常に新しい経験を取り込んでモデルを更新し続ける「オンライン学習」や、ラベルなしのデータから学ぶ「自己教師あり学習」が注目されています。

  • VAEで得られる再構成誤差や潜在空間の分布が、こうした学習の導き手になる可能性があります。

9.4 階層的VAE・離散VAE

  • 階層的VAEやVQ-VAEといった拡張モデルでは、潜在空間を多層化したり、コードブックで離散的に扱ったりします。

  • これは脳が行っている「階層的で言語的・離散的な処理」にもより近い可能性があり、「もっと複雑な世界モデル」を実現する鍵になっています。



10 脳科学との対応付けの限界:感情・身体との相互作用

機械学習の世界モデルと脳科学を対比するとき、つい「脳 = ニューラルネットワーク」という図式でシンプルに捉えがちですが、実際の人間の思考や学習には“感情や身体状態”との相互作用が大きく関わってきます。脳が何かを学習している瞬間も、心拍数やホルモン分泌、筋肉の緊張など身体全体からのフィードバックを絶えず受けているのです。近年注目されている「エンボディード・コグニション(Embodied Cognition)」という考え方は、認知が脳内だけで完結せず、身体や環境とのやり取りが不可分であると強調します。

たとえば、恐怖や不安といった感情は身体の変化と強く結びついており、その状態での意思決定や学習過程も異なる結果をもたらします。また、環境の物理的制約や身体の動きによって発生するセンサー情報は、人間が世界をどのように把握し、どう抽象化するかに深く影響を与えます。こうした仕組みは、単なるニューラルネットの学習やVAEによる潜在表現だけでは再現しきれない複雑さをはらんでいます。

要するに、

  • 感情: 喜びや恐怖などの情動は、行動選択や学習方針を大きく左右する。

  • 身体的要因: 位置感覚、触覚、姿勢、脈拍、ホルモンバランスなど、多彩な身体情報が脳の学習に影響を与える。

  • 環境との相互作用: 外界からの物理的なフィードバックが、学習を“こころ”と“身体”両方のレベルで制御する。

こうした要素は、現在の世界モデル研究が主に扱っている「観測データからの抽象表現や時系列予測」とは性質を異にしています。今後、エンボディード・コグニションの視点を取り込んだ世界モデル—すなわち、AIが身体を持ち、環境との相互作用を通じて感情的バイアスや身体制約を学習に組み込むモデル—が発展すれば、より人間らしい知能に近づく可能性もあります。しかしそれは同時に、現在のシンプルな(もしくは仮想的な)世界モデル以上に扱うべき要素や変数が爆発的に増えることを意味します。脳科学との直接的な対応付けを期待するならば、脳と身体の不可分な関係を見落とさないことが重要になるでしょう。

終わりに

人間の脳における世界モデルと、AIが持つ世界モデルは、お互いを理解するヒントになっています。VAEみたいな潜在変数モデルは、脳がやっている「抽象化」と「イメージ生成」によく似た仕組みを持っているからです。
今後、マルチモーダル化や拡散モデルとのハイブリッド化が進んでいくにつれ、VAEを含む世界モデルはさらにパワーアップしていくでしょう。そうした技術の発展は、人間の脳が果たしてどうやって世界を抽象化しているのかを理解する一助にもなるかもしれません。「世界の抽象化」を実現するための技術として、VAEと世界モデルの組み合わせは今後も大きな注目を集め続けるはずです。

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