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「教養としてのスーツ」① 「ルール、ミニマル、そしてクラシック」

こんにちは。齋藤です。

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今回は、服装の話について書いていきたいと思います。


近年、クールビズがすっかり定着してきたこともあり、オフィスにおいて服装の自由度が上がってきた(カジュアル化が進んでいる)ように感じているのは、私だけではないと思います。

加えて、新型コロナウイルスの感染拡大によりビジネスのリモート化がさらに進めば、ビジネスにおける服装のカジュアル化がより一層進んでいくことは間違いないでしょう。

そんな時代にあって、今後我々は、ビジネスにおいてどのような服装をすればよいのでしょうか。

そのような問いを検討するための一助となるのが、この「教養としてのスーツ」(井本拓海著 二見書房 2019年12月刊)です。


巻末の紹介文によりますと、著者の井本氏は、1983年生まれで、25歳からヨーロッパ・中東・アジア・アフリカなど海外での業務や駐在を経験し、各国の官僚や経営者との仕事を通じて、スーツの着こなしはビジネススキルの一つであることを痛感したとのことです。

著者がスタイリストや服飾評論家のようなアパレル関係の職に就いていないことが、通常のスーツについての書籍と一線を画す、本書の大きな特徴と言えるでしょう。

もちろんアパレルのプロが書いた書物もよいのですが、ビジネスマンとして有しておくべき最小限の知識を得るには、本書のような現役のビジネスマンが書いた書物のほうが手っ取り早いのかもしれません。


早速、「はじめに」から読み進めていきます。

本書のキーワードは、「ルール」、「ミニマル」、「クラシック」の3つです。

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●ルール

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著者によると、「ルールに忠実なスーツスタイルは、自己管理ができていることを周囲に示すことで信頼感を生み出すことができる」といいます。

ルールというのは、スーツスタイルにおいてとても重要な位置を占めます。

本書を読み進めると、「~でなければならない」のあまりの多さに驚くことでしょう。

普段何気なく着ているスーツですが、実はそれは、ヨーロッパの伝統やスーツという服の成り立ちなどから来る、無数の「~でなければならない」、から成り立っており、それを知ることが、「教養としてのスーツ」の第一歩と思われます。


●ミニマル

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かなりの収入がある人を除き、服装にかけられる金額には限度があります。そうすると、「スーツを日常に用いる仕事着として位置付けるならば、コストとパフォーマンスのバランスが取れたものを最小限そろえ、丁寧に長く使っていくしか選択肢がない」わけです。

そこで、本書では、最低限必要なアイテムは何か、また、それがどれだけ必要かが明示されています。

また、「ミニマル」とは、「スーツスタイルとは引き算である」との考えのもと、不必要な装飾を排するためのキーワードにもなっています。


●クラシック

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「ルールを守って、ミニマルに所有するだけでは、スーツは『制服』にしかなりえない。それだとビジネスシーンに配慮したメッセージを人に伝えることはできないし、信頼を得るという目的も果たせない可能性が高くなってしまう。」
「どのように装えば、より多くの人から信頼を得ることができるか。それでいて、自分の良さをいかにスーツで表現するか。自分自身で学び、実践し、失敗と成功を経験しておく必要がある。そうしないと、制服に成り下がったビジネススタイルでその他大勢に埋没するか、業界のトレンドに流されるカモになるだけである。」

「ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで、貴重な時間を無駄にしたくないんだ。」
   --------村上春樹『ノルウェイの森』

「この言葉は、ぼくたちに1つのヒントを与えてくれる。『時の洗礼』を受けているということは、あらゆる世代に認められたことの証である。人はそれを『クラシック』と呼ぶ。」
「男の勝負服は標準的であるべきで、少なくとも『場違い』であってはならない。時代を超越した魅力をしっかりと自分に叩き込むことこそが最優先だといえる。したがって経済的に制約のある僕たちが、トレンドの影響を受けやすいカジュアルなものに飛びつく理由は何一つないと断言できる。」


かなり長々と引用しましたが、この、「クラシック」に関する説明は、本書の白眉のひとつといって良いと感じます。

とくに、ここで『ノルウェイの森』を引いてくるあたり、単なる服飾オタクではない文学青年としての著者の姿が垣間見え、購入決定となりました。


1920年~1930年代にスーツが定着したことからしますと、現代にいたるまで、およそ100年にわたり、現在のようなスーツスタイルが男の一張羅として認識されているわけです。

そうしますと、近年のクールビズにおける、ジャケットなし、半そでシャツ、ノータイのようなスタイルは、およそクラシックとは程遠い服装ということになるのでしょう。

ただ、例えば戦前・戦中・戦後くらいの日本の映像を見ていますと、半そでの開襟シャツにスラックスを履いた(+頭に中折れ帽をかぶっている)男性の姿を目にするような気がします。

ここからは、もはや、日本の夏においては、ジャケットを脱いでシャツとスラックス姿というのがクラシックな装いとすら言えるかもしれません。

一方で、ビジネスの場において、昭和初期の男性諸君が、はたしてそうした簡略化された装いをしていたかと言いますと、そうではなくて、滴る汗をぬぐいつつ、ジャケットとネクタイでビシッとキメていたのかもしれません。

ただ、ここ10年間くらいで日本の夏は以前とは比較にならないくらい暑くなってきており、クラシックでない、というだけでクールビズを悪とは決めつけられないでしょう。

著者は、あくまで「世界標準」の話をしているので、ビジネスにおいてジャケットなしで通用するのは日本くらいのものだと言われれば、そうかもしれないと言わざるを得ず、やはり、クラシックさを重視して夏であろうとジャケットを着てネクタイを締めるのが、「世界レベル」なのだと思われます。

また、同様に、「時の洗礼を受けていない」という点で、スーツに白スニーカーを合わせることも、クラシックではなく、やめておいたほうが無難ということになるでしょう。


●ビジネスにおける服装とは

結局、ビジネスにおいて服装とは、自分がどういう人物だと見られたいか、の表現にほかならないように感じます。


ジーンズにTシャツで現れれば、マーク・ザッカーバーグやスティーブ・ジョブズのように、伝統的な価値観や社会の仕組み、ビジネスの在り方を根底から覆すような革新者にして破壊者のようなメッセージになるでしょう。

一方で、ビジネスの相手からすると、「場違い」な奴、あるいは、悪くすれば、「こちらをなめている」、と思われてしまうかもしれません。

ザッカーバーグやジョブズのような、図抜けた才能・能力がなければ、ビジネスにおいてジーンズはマズいということになる気がします。


ジャケットなし、半そでシャツ、ノータイのクールビズスタイルで現れれば、無難にビジネスの服装はしているが、少なくとも「教養として」スーツを理解してはいない人というメッセージになるかもしれません。

確かに、ビジネスの相手が日本人であれば、上記のようなクールビズスタイルで現れたからといって不快になる人はいないでしょう。

他方で、クールビズでは、少なくともビジネスの相手が、自分に対して敬意を払った服装だとは感じないことは間違いないものと思われます。


クールビズとは、暑いから、本来ワンセットであるジャケットとネクタイとスラックスを簡略化し、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外したものに過ぎません。

そこには、○○さんと会うからビシッとした格好をしていこう、という意図はなく、ただ、暑い、という自分本位の考えがあるに過ぎないわけです。そこに○○さんへの敬意はありません(少なくとも敬意を服装で表現しようとはしていない)。

日本人にとってスーツスタイルは西洋の異文化からの借り物に過ぎず、洋服についてのバックボーンがない中で、暑いから上着を脱いでしまえ、ネクタイも外してしまえ、とシンプルに思いついて始めたのがクールビズですから、西洋の本流の装いとは異なるのは当たり前であり、スーツスタイルが本来持っていた意味や「時の洗礼を経た」カッコよさは吹き飛んでしまうわけです。

しかも、オシャレ感を出そうとシャツのボタンのかがり糸の色を変えたり、シャツの襟裏にチェック模様をつけたり、ノーズのやたら長い靴を履いたり、手首に数珠をしたりして差別化を図ろうすれば、クラシックからは程遠いディテールとならざるを得ず、「時の洗礼を受けていない」という点で、普遍的なカッコよさからはいっそう乖離してしまいます。

ただし、これから会う○○さんが、大のクールビズスタイル好きなのであれば、○○さんの前であえてジャケットを着ないというのは、もはや仕事相手への敬意と言っていいような気がします。

本書でも、「ジャケパンでタイを締めないクールビズスタイル」を紹介しており、何が何でもジャケットにネクタイというわけではないようです(クラシックを放棄してジャケパン可とする理由は明示されていませんが、暑いときは欧米でもノータイありとされている、ということなのでしょうか)。


そう考えると、真夏だろうが、クラシックを貫き、ジャケットにネクタイというのが「正しい」ビジネスの服装なのかもしれません。

確かに、夏でもジャケット、ネクタイで現れれば、ビジネスの相手は、夏なのにビシッとした格好をしているな、と思い、自分が軽んじられている、と感じたりは絶対にしないはずです。

まして、近頃の35度を超えるような真夏の暑さの中でのジャケット・ネクタイ姿は、見る者にストイックさすら感じさせるでしょう(他方、汗だくになっていれば、暑苦しいヤツというマイナス評価になる気もしますが)。

汗みずくになって、清潔感を失ってしまえば元も子もありませんが、多少の汗でとどまる範囲ならば、ジャケット・ネクタイ姿は伝統的な価値観を重視する姿勢と、仕事相手への敬意を表現するメッセージとなり得ます。


●弁護士の服装

このように考えていきますと、弁護士のように、世間から「堅い仕事」と思われており、依頼者や、相談者、相手方の弁護士、裁判所からの信頼が何より重要な仕事であれば、どれほど暑かろうと、ジャケット・ネクタイ姿でいることが原則ということになるでしょう。

冬はもちろん、夏であっても、ジャケット・ネクタイ姿でいることが無難であり、どんなに暑かろうと、少なくともジャケットはマストということになります。

他方で、ジャケットなし・半そでシャツ・ノータイのクールビズスタイルも、ここまで浸透すると「無難」と言って良いものと思われますが、少なくとも「世界標準」ではなく、さらに、著者のようなクラシックさを重んじる人間からはマイナスの評価を受けることからすると、不特定多数かつ様々な職種の人たちと接する機会のある弁護士にとしては、やはり、ジャケットを着ておくことがより無難と言えます。


クールビズの話ばかり引き合いに出してきましたが、冬の服装についても考える必要があります。

コロナウイルス感染拡大の影響で、私自身、仕事の相手とオンラインで会う、ということが増え、スーツを着る必要が減ってきているのは事実です。

もはや、ジャケパン+ネクタイでも問題ないような空気感だと思っているのは私だけでしょうか。

この冬など、私は、仕事上の関係でも、付き合いの深い方とはジャケット+黒タートルネック+スラックスのような格好で会ったりもしています。それで、特に失礼なヤツだと思われているとも思っておりません。

このように、コロナの影響で、ビジネスウェアの簡略化は確実に進行しているように思われます。


本書で、著者は、「TPO、あるいは仕事相手を念頭に置きつつも、許されるラインを見極め、特有の味を服装の中に忍ばせるといった自分のスタイルを体現している」人がカッコよく見えるのであり、読者には、「基礎を体に染み込ませたうえで、自分らしさを早く追及してほしい」と願っているそうです。

そうすると、昨今のコロナ発のビジネスウェアの簡略化の流れの中で、どこまでルール・ミニマム・クラシックを維持していくのか、ということも、各人のスタイル、ということになるのではないかと思います。

これまで、何気なくかつ惰性でスーツを着ていたわけですが(むしろ冬は、ネクタイを締めてジャケットを着てさらにコートを着るのが若干面倒くさいとすら感じていました)、本書を読んで、そのディテールの意味を知ることで、どのような装いをすべきか毎日頭を使うべきことに気付くことができた気がします。

結論としては、オシャレを目指すのではなく、見る人に信頼感を与え、ビジネスの相手としてふさわしい人物だと思ってもらえるような服装を目指していこうと思います。。。

今後、本書に従って、スーツやシャツ、靴やネクタイ等についての基礎知識をみなさまとシェアしていければと考えておりますので、お付き合いくださいましたら幸いです。


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