『舞姫』の長い要約
森鷗外の著作『舞姫』を部分ごとに要約しました。3800字強で、原文の五分の一未満の分量になっています。
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『舞姫』の長い要約 © 2023 by かいねっしゅ is licensed under CC BY 4.0
第一部分
ヨーロッパから日本へ帰る船の中。船に乗っている一人である太田豊太郎(おおたとよたろう)は、サイゴン(現在のホーチミン)で停泊中に過去を回想する。
彼はヨーロッパでの経験で生じた、他人が知らない悩みで頭を悩ませていた。この悩みは彼をひどく苦しめ、今は心の奥でじっとしているが、ことあるごとに彼の心を苦しめている。帰途で買った日記に書いてもこの悩みは消えないだろうと思うが、船室の電気が消されるまでには時間があるから、彼はその概略を文章に綴ってみることにした。
第二部分
太田は早くに父を失ったが、母に厳しく育てられた甲斐があって、学校では常に優秀であった。大学卒業後は官庁に務め、都で呼び迎えた母と三年ばかりを過ごす。そのうち西洋に出張して物を取り調べよとの命令を受けたため、ベルリンまでやってきた。
彼はベルリンの新鮮な様々な風景や人々に目を驚かせたが、たとえどのような所に外遊したとしても、無駄な美観に心は動かすまいと内心誓っていたから、彼を誘惑するこれらの一切を遮りとどめた。
さて、公のゆるしを得たので、彼はベルリン大学(今のフンボルト大学)で政治学を学ぼうと学籍簿に登録した。だが政治家になれる特別学科はなかったので、二、三個の法律学者の講義を受けることにして、授業料を収め、行って聞いた。
第三部分
こうして三年ばかりは夢のように経ったが、次第に太田はその本性を自身で知覚するようになってきた。彼はずっと受動的で機械的な人間だったと悟り得たのだ。彼は官長に対する丁寧な受け答えを止め、自論を展開するようになった。また、大学の講義も、歴史文学に興味をもったためずる休みするようになった。
彼は、官長が自分のことを意のままに操れる人間にしようとしていたのだと密かに思う。
また、ある勢力は彼のことを疑い、しまいには誹謗するようになった。その勢力の人々は太田が人々と遊ばないのを頑固で抑制的であるとして嘲ったりねたんだりしたのである。
しかし本当は、太田はそうだったのではなく、ただ単に人の指示に従う受動的な人間であっただけなのだ。彼は自身を誹謗する人々に内心、嘲るのはともかく、この弱く不憫な心をねたむのは愚かだとなげく。人々との付き合いが疎いから、自分は人々に疑われ、ねたまれ、苦難を歩むことになったのだと、彼は思うのだった。
第四部分
そんなある日の夕暮れ、太田は下宿に帰ろうと、帰り道の古い教会の前まで歩いてきた。教会を過ぎようとするとき、教会の門に向かってひとり泣く少女の姿を彼は見た。美しい彼女の目は、ひとたび見ただけで彼の心の奥底までを貫いたのだ。
彼は少女を憐れんで、「力を貸そうか」と話しかけた。彼女は一瞬驚いたが、「あなたは良い人であると思います」と返し、助けてくださいと彼に請うた。
少女とともに彼女の家まで行くと、老婆が家から出てきて、いったんは太田を放置したが、のちに謝罪して彼を迎え入れた。少女が言うことには、「父が亡くなり葬式が必要となったが、自分が長年属する劇団の座頭は助けてくれなかった。お金は少ない給料から返していくので、助けてください」ということだ。それに応じて、太田は腕時計を渡し彼女らを助けることにした。
第五部分
この出来事を機に少女(名はエリスという)と太田の交際が始まったが、それが原因となった密告があり、彼は官長に仕事をやめさせられる。さらにここで愛する母の死を知らせる手紙が来て、彼は深い悲しさを感じる。彼は日本へ帰るかベルリンにとどまるかの選択をつきつけられ、もしとどまるなら公助はないと言われ、一週間の猶予を申請した。
エリスは現在劇場で第二の地位にあったが、その扱いは過酷であり、給料も少なかった。それでも彼女は自らの性格と父の守りにより、賤業につくことはなく、読書も好んだ。読書は太田の助けで良い本を読めるようになり、教養を得た。
彼女は太田の罷免を知ったとき、顔を真っ青にしてその件を母に秘密にするように願った。このころから太田はエリスに離れがたいほどの強い情を抱くようになる。
第六部分
帰国までの猶予も尽きそうになり、太田は窮したが、ここで彼の友人である相沢が彼を助けてくれた。それで太田はとある新聞社の通信員となり、多少の収入を得られるようになった。また、エリスの助けもあって、彼は彼女らの家に居候することができ、辛い中でも楽しい生活を送った。
太田の学問は荒み始める。これは通信員としての仕事が思ったよりも忙しくなったためである。除籍こそされなかったが、彼はただ一つに減らした大学の講義を聞くことも稀になった。
しかし彼は通信員となったことで、持っていた知識を総括的にすることができ、同郷の大学生たちよりも遥かに高い境地に至ることができた。
第七部分
季節はやがて冬となり、街を厳しい寒さが襲うようになった。さて、ある日、エリスが舞台で倒れてしまい、その後も体調の悪い状態が続いた。エリスの母はこれを つわり によるものであると察知した。太田はそれを知り、自分の行く末を心配する。
ある日曜日、太田は相沢から送られた一通の手紙を受け取る。「天方大臣が君に会いたいというからすぐに来い。君の名誉を回復するのは今だぞ」とのことである。心配するエリスに彼は内容を告げた。
彼女は病気を押して、大臣に会いに行く太田を、家の中では最上等の衣服などで着飾らせた。「あなたが裕福になったとしても私たちを見捨てないで」と彼女は頼み、一等馬車で出発する太田を窓から見送った。
太田はベルリンの最高級ホテル「カイザーホーフ」で相沢と久しぶりに再会する。彼は太ったが性格は変わっていなかった。大臣からはドイツ語の文書の翻訳を要請された。その後、太田は相沢と昼食を食べた。
相沢は太田を責めることは始終なかったが、最後、「君のような才能ある人間が愛情に取り憑かれた目的なき生活をすべきではない。君の能力を示して大臣の歓心を買え。エリスとの関係はきっぱり絶ってしまいなさい」と忠告した。これにより太田は彼女との関係を絶つことを一応は決意した。
第八部分
翻訳は一晩で終わった。カイザーホーフへ通うことが頻繁になってきたため、大臣と話す機会も増え、太田は大臣と親しくなった。一ヶ月ほどが経った頃、太田は大臣から「明日ロシアに出発するが付いてこられるか」と聞かれ、咄嗟に承諾してしまった。この「あまり考えずに返事をする」というのは、彼のくせだった。
翻訳代をエリスに預け、彼は鉄道でロシアへ発った。エリスは普通ではない体調であったが、太田を深く信じていたため、旅立ちについては大して心配していなかった。
ロシアでは太田はフランス語の通訳として活躍した。その間もエリスのことを忘れることは出来なかった。彼女から毎日手紙が送られてくるからだ。最初の手紙は、独りになったことの寂しさを綴ったものだった。またしばらくしてから来た手紙には、ともに日本に行く場合どれほどの旅費がかかるかの心配、体調がいよいよ普通でないこと、母と言い争って母が折れたことが書かれていた。
太田はこの手紙を見て初めて自らの地位を自覚した。彼は自分自身のことについて、逆境だと決断力がなくなってしまう人間であった。大臣は既に太田を厚遇していたが、太田は、相沢が大臣に「太田はエリスとの付き合いをやめる」といったのではないかと心配する。
太田は自分が自らの本質を悟ったと思っていたことの勘違いを自覚する。彼はかつては官長に、今も部分的に大臣に操られているのだと。太田一行は新年の朝にベルリンに帰った。エリスは太田のことを非常に嬉しげに出迎えた。この様子を見て、故郷と栄光を求める気持ちは、この瞬間には愛情に圧倒されて、彼はためらいなくエリスを抱きしめた。
彼が家の中に入ると、様々な布が積まれていた。エリスは嬉しそうにその一つを取り上げ、おむつであるといった。彼女は将来子が生まれたときのことを語り、嬉し涙を流した。
第九部分
それからしばらく経った日、大臣の使いがやってきて、大臣が「私といっしょに東に帰る気はないか」と言っていると告げた。太田はベルリンで沈む未来を考えた結果、節操ない心で「承知しました」と返事してしまう。
ホテルを出て、エリスにどう言おうか激しく悩んだ彼は、道の途中で寝てしまった。夜十一時を過ぎただろうときにようやく起きて帰り道を辿るが、心の中は自分を罪人だと責める気持ちで満ちていた。
ようやくエリスの家に帰ったときには、太田はエリスが驚くほどに無残な姿となっていた。彼は疲労のあまり玄関先で気絶し、数週間寝込んでしまう。
彼が寝込んでいる途中、相沢はエリスの家を訪ねて、太田が日本へ帰ることを告げた。これによりエリスは発狂してしまい、体にもひどい不調をきたすことになった。彼女は発狂した後、起きてから再び暴れ、太田の名を叫んで罵ったが、おむつを与えられたとき、泣いて顔に押し当てたのだという。
これ以降彼女が暴れることはなくなったが、精神の作用が壊れてしまい赤子のようになってしまう。医者の診断では「パラノイア」という精神病で、治る余地はない。エリスはすっかり廃人となってしまった。
太田の病気は治った。相沢はエリスの母に生活はできるくらいのお金を与え、エリスの子が生まれたあとのことも頼んでおいた。
相沢のような良き友達はとても稀だろうと太田は考える。しかし彼は、自分の心には相沢を憎む心が一点、今日まで残っているのだと記し、本文は終わる。
以上で要約は終了です。