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絶叫残業マシーン拓也の1年

『絶叫残業マシーン拓也の1年』

投稿者:労働戦士拓也

投稿日:2005年1月31日(月) 23:30:17



元旦って5日くらいあるといいんだよね。だってさ、いつも働いてる会社とかあってかわいそうじゃん。拓也の会社も三が日は休みだけど、上司が休ませてくれるのかやっぱり気になる。

「拓也、仕事が終わってないのに年を越すわけないよな?」

「ウッス!マサヒコさん。もちろんです。2004年はまだ終わりません」

「さすがだぜ、拓也。じゃあ追加でA社への見積書と積算資料、B社の現場調査結果を月曜日までに出せ。できるよな?」

ハンコは勝手に押しとけ。良いお年をつって先に帰ったマサヒコさんにより、結局大晦日も元旦も仕事させられたぜ。ほんと信じられないよな。でも、三が日は客からの電話が来ないから仕事しやすくていいぜ。おかげで今日1月2日が終わるまで、あと12時間も残っている。

あーあ、あと7日くらい正月が続けばいいのにな。軋みきった背を伸ばしていた時、デスクの電話が鳴り響く。ド正月の営業時間外にかけて来るヤツは限られている。

「レオだけど。メシでもどう?」

レオの誘いはいつも突然だ。ホストクラブ勤務、新大久保の寮暮らし。拓也の会社の事務所から徒歩で行ける距離だからってこうしてよく食事に誘われる。最近はあまり会えていなかったからマジ嬉しい。資料をきちんと保存してから、いつもの店へ向かう。

「久しぶりだな、拓也」

「久しぶり。また痩せたか?」

「黙れ妖怪デブ筋肉ダルマ」

つらい時だからこそこういう気の置けない友人が大切なんだよな。拓也の心境を察しているのか、他愛のない話だけをしてくるレオ。

「あーあ、こんな会社入るんじゃなかったぜ」

「辞めちまえよ、そんな会社」

「ははは、」

冗談めかしてはいるけど、本当に辞めるべきかもしれない。レオもたまには良いこと言うぜっ!

こんな愚痴が言えるのもレオしかいなくなってしまって寂しさは感じるけど、レオの極上スマイルを見ていればもう少し頑張れるかなって思える。湧いてきたこの勇気と元気で退職届を出そうかな。



〜〜〜〜〜



2004年1月。大学生の頃、レオと寒中水泳をしに江ノ島へ遊びに行った。ふたりともバカだから、どんなに寒くても2000メートル泳ぎきろうと言って、結局3000メートル泳ぐことに。

「レオはやっぱりホストになるのか?」

「昔から憧れていたからね。あとお前と違ってイケメンだし酒も飲めるし」

「オレもしなきゃいけないんだけどな、就活」

何もしないで遊び呆けていた拓也は、絵に描いたようなバカ大学生の4年目を送っていた。気がつけば1月、さすがにヤバい。あー、冷たいシャワーがマジ冷てえ。低体温症で死ぬぜ!ジムへ行って温まりてえ!

結局2月から就活をしたけど、意外とあっけなく内定をもらえた。にこやかな紳士風の人事部の人に「1月に江ノ島で3000メートル泳ぎました」って言ったらウケまくって即採用されたけど、そんな会社で大丈夫かよぉ!?



桜が吹雪く4月。こんないい日和に入社式なんて、マジ幸先いいぜ!

入社したバリウケ商事には初めて足を踏み入れるから、マジ緊張しまくりだ。会社説明会は合同だったから地域のセンターでやったし、面接は貸し会議室、書類のやりとりも全部郵送だったからな。

姿勢を正して扉の前に立ち、意を決してノックする。

「失礼しまっす!」

最初が肝心だと思って勢いよく挨拶していったけど、扉の向こう側はあまりに静かで、急に冷静さを取り戻して怖くなる。ていうか、このオフィス意外と狭いんだな。フロアの3分の1以上?2分の1以下?くらいの広さだ。

「よく来たね、拓也くん。2ヶ月ぶりかな?」

出迎えてくれたのは人事部の⋯ 名前はたしかマサヒコさんだ。この人も水泳経験者で、話が合う!って採用してくれたからマジ感謝しかないぜ。

バリウケ商事は小さい会社で、拓也を含めて営業が3人、人事部兼技術員のマサヒコさんが1人、事務員が1人、あとは社長が1人と、何やってるか分からない人が3人の、合計9人からなる。2004年度に入社したのは1人。同期はおらず、拓也だけ。

新人が1人しかいないこともあり、入社式はすぐに終わった。それからはマサヒコさんに紹介されながら社長から順に挨拶していく。その中で、飛び切り気になる人がいた。

「よろしくね、拓也くん」

営業部所属のチョー美人、センパイだ。万人を惹きつける大きな瞳、冬の澄んだ夜空を思わせる美しい黒髪、すらりとしたモデルのような体型。時代が時代ならアフロディーテとして描かれ、楊貴妃やクレオパトラに並ぶ美人として後世に語り継がれること間違いないぜ!

こんな美人と働けるなんて、たまんねー!ウキウキしまくりドキドキしまくり鼻の下が伸びまくり。まだ初日だけど、定年までセンパイと一緒に働けるなら幸せに違いないと確信した。

自分のデスクへと案内され、事務員さんと事務用品や提出書類を確認する。まだ何もない整然とした拓也のデスクとは対極的な、死屍累々と言っても過言ではないマジヤバデスクが横に2つ。センパイと、ここにはいないが、営業部課長の席だ。女性のデスクってキレイなイメージがあったけど、書類の山がハンパねー。今まさにセンパイがマサヒコさんに書類を提出するよう言われ、山のように積まれた紙の塔から器用に1枚を引っ張り出している。すっげー、ジェンガみたいじゃん。

「よし、これがちょうどいいかな。拓也くん、一緒に現場へ行こうか」

「ウッス!よろしくお願いします」



マサヒコさんに連れられて向かったのは、近所の空きテナントだ。これからラーメン屋が入るらしく、ビル管理会社の人たちと打ち合わせをするらしい。

「お客さんが来るまであと30分あるから、名刺の渡し方とか会社について話すね」

どうやらマサヒコさんはセンパイのスケジュール、お客とのアポの時間をすべて頭に入れていて、拓也が落ち着いてちょうどいい頃合いに会えるお客のところへ行くことにしていたみたいだ。ビジネスマナーや会社にまつわる話を終え、短針が16時を指すと同時にお客さんが現れる。社会人のスケジュール管理能力マジヤバいぜ。



打ち合わせの後は定食屋で軽く雑談。マサヒコさんは課長だけど「課長」じゃなくて「さん」付けで呼んでほしい、だけど他の人はちゃんと呼ばなきゃダメらしい。年齢こそ離れているものの、距離感が近くてありがたいぜ!

そんな話をしてからオフィスに戻ると、早いもので時刻は18時前。帰り支度を命じられた拓也の横に、センパイが着席。少し疲れているように見える。

「お疲れ様です。センパイ」

「ただいま、拓也くん」

どうやらオフィスに戻ったら「ただいま」「お帰りなさい」と言うらしい。こんな美人と夫婦みたいな会話ができるなんてチョー最高だぜ。センパイにもっといろいろ教えてもらいたいぜってニヤけているのも束の間、

「たくや?そろそろ行こうか」

社長からのお呼び出しだ。歓迎会をしてくれるそうだから、マジいい会社だぜ。いそいそとオフィスを出ていく拓也たちだったけど、その中にセンパイの姿はなかった。



「あいつは今が正念場。だからまた今度だな」

飲み会の最中、営業課長に言われた。美人のセンパイと飲みたくてしょうがなかったけど、仕事ならしょうがないよな。

23時を回り、2軒目へ向かうべくお会計モード。歓迎会だから拓也は払わないだろと思いつつ、お金を出すフリだけしようとする。しかし、財布がない。辺りを見回しても見つからないし、会社にあるかもしれない。

「おっちょこちょいだな、拓也!ビルもオフィスも開いてるから取りに戻れ!」

「ウッス!ごちそうさまでした。これからどうぞよろしくお願いします」

こんな時間にオフィスが開いてるのかなあ?なんて考える拓也を置いて、酔っ払ったマサヒコさんたちは別の店へ行ってしまった。財布がないと帰れないし、オフィスに戻るしかない。家が徒歩圏内ならよかったんだけどな。この際だし引越ししようかな。

それにしても、上司と酒を飲むのもけっこうハードなんだな。気を遣いっぱなしでヘトヘトだ。しかし不思議と、こんな日ほど筋トレしたくなるんだよな。



下半身の筋肉を意識しながら歩いていき、オフィスに到着。なぜか明かりは点いているし、扉も開いていた。

「どうしたの?拓也くん」

「ウッス。財布を忘れました」

センパイはまだ働いていた。定時は18時のはずなのに。もう5時間半も経っているんだけどな。

なんて声をかけるべきかと逡巡した。センパイと話したいけど、邪魔になったら申し訳ない。

結局、その日は「お疲れ様です」と言ってオフィスを後にした。センパイは何時まで働いているのだろうか。今が正念場ってだけで、長時間労働が常態化しているわけではないと信じたいぜ。

なんだか大変そうだけど、優しいマサヒコさんや美人のセンパイがいるこの会社で頑張っていけたらいいな。その日はそのまま出勤初日を終える。



入社2日目。やることはないけど気合を入れて7時に出社した。デスク周りやオフィスの隅が汚いから掃除できればなあ。マサヒコさん以外バリウケ商事に掃除好きはいなさそうだからね。

そういえば、拓也が最初に出社するとして、どうやってオフィスに入るんだ?鍵なんかもらってないし、ビルの管理人に言って開けてもらうのかなあ?

自分の浅い思慮に辟易しつつ、とりあえずと思い扉に手をかけると開いていた。

「おはようございます、センパイ」

「拓也くんおはよ〜。ずいぶん早いね!」

「ウッス!何か手伝えることはありませんか?」

「うーん、そうだ!パソコンの組み立て手伝ってくれる?」

パソコンの組み立てという言葉に頭の中は「???」となるが、センパイの持ち上げようとする段ボールを見て理解する。なるほど、設置すればいいらしい。

自分が運びまっす!と素早く動き、課長とセンパイのデスクの上に置く。今年から新たに追加するそうで、今までは社長とマサヒコさんのデスクにしかなかったそうだ。

「拓也くんはパソコンわかる?」

「ウッス!がんばります!」

「いい返事だね!やっておしまい!」

ノリのいいセンパイもチョー可愛いぜ。拓也もパソコンなんてちょっとしか触ったことないけど、プラモデルは組んだことあるし、起動までならなんとかなるだろう。何より、センパイの前でイイとこを見せたいぜ。

1~2分ほど取扱説明書を読んだところで、ケーブルを繋げていく。気になってはいたけど、モニターだけがデスクに並んでいるあたり、センパイが今朝開けたのかな。パソコンに触れなかったのは、重かったからか、それともよく分からないからだろうか。いずれにせよ可愛いぜ、センパイ!

ケーブルを繋ぎ終わり、電源ボタンを押す。起動音とともにモニターが点いてマジ安心。センパイは横で眉をひそめながら「う〜ん」と唸ってから、「あ!」と何かを思い出す。

「これ入れろって社長が言ってたんだけど… どうやってやるんだろうね」

手に持っていたのは『一太郎』と『ロータス123』だった。パッケージをパソコンの隙間に押しつけ始めたので、貸してもらう。

「おおー、すごいすごい!拓也くんがいれば我がバリウケ商事も安泰じゃのう!」

妙齢の女性がそういう言葉を使うのは、いわゆる萌えというやつなのかな。だとしたら拓也は今“萌え”を理解したぜっ。ていうか、機械オンチにも程があるだろ。大丈夫なのか、センパイ。



8時を回ると、続々と社員が出社してきた。おはようございますの嵐だ。

「マサヒコさん、おはようございます」

「おはよう。ってあれ、パソコンやってくれたの?」

「ウッス。センパイとがんばりました」

「ふ〜ん⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

さて、今日からバリバリ働くぜ!昨日決めたスケジュールだと、午前は課長に、午後はセンパイに同行するからな。マジテンション↑りまくりだ。



センパイとのデート(だったらいいのにな)を終え、16時前にオフィスへと戻る。

「仕事がなければどこかで時間を潰したり、もう少し遅ければ直帰しちゃってもいいんだけどね〜」

残念そうにしているが、センパイと少しでも一緒に居られて拓也は内心マジウレシイ。18時までは一緒だからな。オフィスの扉を開け、ふと目を遣ると拓也のデスクの上には積み重ねられた段ボールが6つ。キャパシティのすべてを占めている。そのうちの1つを手に取って開けてみると、そこには無造作に入ったファイルの山が。首を傾げながらペラペラとめくっている拓也に、マサヒコさんが声をかけてきた。

「おかえりなさい。拓也くん、それお願いできる?」

「ただいま戻りました。これをどうすればいいんですか?」

「拓也くんは急な入社だったからまだだけど、課長職以下の全員にパソコンを与えることにしたんだ。で、いい機会だから今までの書類を全部電子化しようと思ってね。それはその一部だよ」

「分かりました。いつまでにやればいいですか?」

「単純な作業だし、月曜日の正午までね。パソコンは課長のを。分からないことがあれば彼女を使っていいから。できるかな?」

「ウッス。がんばりまっす」

よろしく〜と言い、マサヒコさんは帰宅した。入社2日目にして残業だけど、社会人なんてこんなもんなんだろうな。書類に目を通しながらやれば勉強にもなるぜ!

段ボールをひっくり返し、ファイルを時系列順に並べてみる。これから作る見積書もあれば、2003年のファイルもあれば、1990年のものもある。空いている箱に突っ込んだ雰囲気を汲み取ったけど、大半がここ2年以内のものだから、これは比較的新しい箱なのかな。なんて考えながら残業プレイ開始。



金曜の夜は当然飲みに行くだろって思ってたけど、オフィスにはセンパイしか他にいないし、そのセンパイは延々書類と睨み合い。時折パソコンに触るも、すぐにやめてしまう。そんなセンパイを横に見ながら、あー、捌けども捌けども見積書の山が崩れなくてマジ狂いそう。マサヒコさんにハメられたぜ!ストレスのあまり「うおおー」と心の中で叫んでいる頃、センパイからのSOS。

「拓也くん、一太郎わかる?」

「ウッス。なんとなくですが分かります」

マサヒコさんに書類の山を押しつけられたのは正直イヤだったけど、センパイの力になれるなら話は別だ。

「ここなんだけどね」とモニターを指差されたので椅子ごと近づくも、1ミリも退かないからセンパイと肩がくっついて今日一番のドキドキを堪能。密着した状態でセンパイの体温が伝わってきて、マジ頭が真っ白になりそうだ。

その後もふたりは悪戦苦闘すること5時間、まだ退勤する気配はない。この会社じゃこれが日常なのかな?少なくとも拓也の進捗は芳しくない、ていうか量が多すぎて5時間で10%くらいしか進んでいないから、このペースじゃ月曜日の正午に提出とか無理だぜ。忙しそうなセンパイに相談するのは気が引けるけど、期限に間に合わなくて困らせるのはもっとイヤだ。仕方がないので進捗だけ報告してみる。

「何をしてでも間に合わせなきゃね。マサヒコさん怒ると怖いから」

「何をしてでもっていうと、例えばこの残業とかですか?」

「そうだね。私はいつも6時に出社して、25時に退社してるし。課長もそんなかんじ。それでも間に合わなければ休日出勤してるけど… ドンマイだね!」

それってもしかして休日出勤確定?この会社マジイカれてるぜ!それにしても、人当たりがよくて可憐なセンパイがニコニコしながらそんなことを言うなんて、過酷な超過勤務で認識が歪められているのかな?それとも、生来のチョーSなのかなあ。



〜〜〜〜〜



人体とは不思議なもので、平然と残業には耐性がついていき、いつしか1日10時間もの残業も楽勝に。もしくは、拓也の頑丈さが証明されたのかもな(笑)。

っていうのは冗談で、残業してる間はセンパイと一緒に居られるからそんなに苦じゃなかっただけなんだけどな。すぐ横で仕事したりお菓子食べたり拓也を頼ってきたり、終電がない日は一緒に会社で夜を明かしたり。こんな幸せで会社員生活40年が保つのかよぉ!?

しかし、1日10時間一緒にいてもセンパイとの距離は縮められないままだ。変わったことといえば、社員旅行と宅飲みの時くらい。

10月の社員旅行では、センパイがマサヒコさんに野球拳を強要されたので割って入った拓也だったけど、飛び入り参戦とボロ負けの代償に台風23号の只中海で遠泳させられる。とてつもない暴風と豪雨に晒されて前見えねえし息継ぎもできなくてマジ死ぬかと思ったけど、生還したらセンパイから「助けてくれてありがとね」って言ってもらえたぜ!でも、マサヒコさんから「次は水中ブリッジ3分間だ。できるよな?早くしないと台風が行っちゃうぞ」って。この人に倫理観はないのかなあ?

終電を逃したうえホテル代をケチったセンパイが拓也のマンションに泊まりに来たこともあって、一緒にスマブラしたぜ。センパイは大技しかしてこないから手を抜きまくっていい勝負になったけど、真剣に遊ぶセンパイマジ可愛かったな。その後にエロいことないかなって期待したけど、先に潰されてダウン。あとで聞いたけど、センパイの酒豪っぷりは社内でも有名らしいぜ。

何も悲しくないのに突然涙が零れる子ともあれば、家に帰れずシャワーも浴びられないほど働くとあの痙攣がやってくることもある。まったく、毎日の仕事が激務すぎて、恋愛する余裕なんて全然まったくねーよ!



事態が急変したのは12月。課長が交通事故に遭ってしばらく出社できなくなってしまった。マサヒコさんも仕事を手伝ってくれたけど、センパイや拓也に怒鳴りまくりの毎日。顔が真っ赤にならない日はないかもしれない。

「言ってたことと違うよな?お前みたいなクズは溺死させてやりてえよ!」

拓也は部活とか家庭で怒鳴られることに慣れているからいいけど、センパイが心配だ。課長がいなくなった分の仕事を引き継いでマジハードな日々を送らされているっぽい。拓也も手伝ってはいるけど、コミュニケーションは少なくなったし、笑顔は完全に消え失せた。

第二週に入った頃、見かねた社長が取引先にかけあって案件の期限を延長してくれたりもした。マジ助かったぜ。そして、そこで生まれたわずかな余裕が拓也を動かした。オフィスを抜け出して電話で予約を取る。疲労が蓄積していてるのにこんなにフットワークが軽いなんて自分でもすごいとおもうぜ!



「センパイ、24日の夜は空いてますか?」



言い放った直後のお互いの表情は疲労で固まりきっていたけど、次第に緩んで紅潮する。センパイが笑顔を取り戻し、拓也も破顔。

「いいよ、空けとく。どこに行こうか?」

「赤羽橋駅近くの◯◯ホテルにしましょう。22時にそこでディナーです」

「了解!」

おどけて敬礼する姿を見て、そういえばセンパイってマジ可愛かったなと思い出す。最近はこんな風に砕けて話すこともなかったし、無為に時間を過ごしていたかなと少し反省。

「じゃあがんばってお仕事しようね!」

「ウッス!がんばります!」



12月24日、クリスマスイブ。幸か不幸か、センパイは直行直帰の丸一日外出だ。ふたりともオフィスにいたらそわそわして仕事できないだろうしマジ僥倖。テンションが↑りまくった拓也は自分でも分かるほど変な調子で、ポルシェ並のエンジンでパワー全開、仕事の効率はいつもの3000倍はあるぜ!あー、聞こえてくるキーボードを叩く音がマジに心地いい。



いつもより4時間早く退社し、レストランの席で待機。東京タワーがよく見える最高のポジションだぜ。

しかし、時間になってもセンパイは来ない。最初は電車の遅延でもあったのかな?なんて思っていたけど、23時になっても現れない。



23時59分まで煌めいていた東京タワーはセンパイを待つ拓也に眺められ、24時ちょうどに姿を消した。

結局その日、センパイが来ることはなかった。



帰り道、いろんなことを考えた。

あーあ、拓也はセンパイの何だったのだろうか。キツい仕事を分担してくれるだけのただの同僚だったのかな。それとも、拓也を忘れて家でお酒でも飲んでるのかな。もしくは、元カレとかに誘われて、他の男と過ごしているのかな。久しぶりに涙が零れた。

どれも根拠はないけど、そんな不安が募り続けて頭から離れない。帰宅した拓也は布団にうずくまりながら明日の予定を確認、出社の準備をしておく。

床に就いても涙は止まらず、枕はグチャグチャビチョビチョになったけど、そのまま瞼を閉じ続けた。



翌日、目を腫らしながら働く拓也のもとに一本の電話。

「ハイ。バリウケ商事です」

「C社ですが、すみません。そちらの営業の方が昨日も今日も来ていません。誰でもいいので今すぐ来られますか?」

「ウッス!すぐに行きまっす!」

センパイが担当していた案件だけど、お客さんとの予定をすっぽかすなんて信じられない。とりあえずマサヒコさんに連絡すると、「その物件は俺が行くから、拓也は寮に行け。管理人には言っておく」とのこと。

こんな小さい会社に寮があったなんてな。拓也は不動産屋で借りたけど、家に帰る日が少ないと高い家賃を払うのがバカらしいし、ちょっと羨ましい。



センパイが住む寮に着き、管理人さんに鍵を開けてもらう。

「お邪魔しまっす!」

起きたら目の前に住居侵入拓也がいたなんてことにならないよう、大きな声で挨拶。廊下の先の扉を開けると、エアコンの暖かな風により、部屋に漂う女の子の匂いが拓也の鼻腔に届けられる。ドキドキしながら進んでいくと、センパイが寝ていた。

なんだよ、ただ寝過ごしただけかよ!マジ心配させるなよな。それにしても、やっぱり寝顔も可愛いんだな。会社で眠った時も拓也の家に泊まった時も、センパイは絶対決して拓也に寝顔を見せてくれなかったからこれが初めてだ。

「センパイ、起きてください」

そう声をかけるものの、部屋の様子が気になりまくり、視線で物色する拓也は完全に住居侵入者に。

思えば、センパイには助けてもらってばかりだった。どんなに仕事が忙しくても、拓也に仕事をくれたし、手伝ってくれたし、仕事から実家の問題に至るまでなんでも相談に乗ってくれた。センパイがいたからつらい仕事も続けられたんだよな。一目見た時から拓也の心は奪われていたけど、拓也の心を満たしてくれたのはいつもセンパイだった。

じろじろと部屋を物色するとともに、入社してから過ごすセンパイとの時間を思い出していた。



「センパイ?」

いくら声をかけ続けても起きないから寝たフリをしてるのか、それともマジ熟睡してるのかなって近寄ってみるけど、どこか違和を感じる。お腹が動いていないし、呼吸音も聞こえてこない。

恐る恐る頬に手を当ててみると、触れた指先は凍ったように動かせなくなる。

部屋の暖かな空気は拓也だけを包んでいた。



〜〜〜〜〜



1ヶ月ぶりに会ったレオから元気をもらった拓也は、マサヒコさんに退職する旨を伝える。反射的に顔を真っ赤にしてたけど、「しょうがないよな」とだけ返される。てっきり一蹴されマジ狂いの絶叫拷問に遭うか、最低でもピンタ100発の刑に処されると思っていたから意外だ。

有給休暇は残っていたものの、やっぱり31日まで働いた。お葬式には行けなかったけど、センパイが遺した案件はすべて片付けられたから悔いはないかな。でも、10ヶ月間の3000時間をゆうに超えた残業代は出して欲しかったかもしれない。会社の誰とも話したくないから言わないけど。

お別れの品を受け取り、オフィスを背に歩き出す。そういえば、新宿に住んでいるのに全然このへんの店を知らない。忙しすぎて食事はいつもチェーン店やコンビニで済ませていたからな。



近所の魅力を再発見しようと散策していると、オシャレなバーに出会う。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

その単語に少し傷心しながらも、小さく頷いてカウンターに座る。

拓也の胸の内を見透かすように、マスターは終始優しい口調だった。話が盛り上がるうち、特殊な職業だけど働き口を紹介してくれることになった。

「店長、ありがとうございます。これからどうぞよろしくお願いします」

ほっほっほと笑う店長の姿が誰かに重なり、流れそうになる涙をぐっと堪えながら黒のテカテカとした服に着替える。

こんな服を着て働くなんて、新しい職場はどういうところなんだろうな。