叩き欲 感想欲

わたしが文句をのべつまくなしに並べたてることと、世間が失敗した人間に無関係なことまで誹謗中傷して叩きに叩くのは本質的には通じる部分があるのかもしれないと思わせられる不思議。
冷静に分析すればそれは異なる物だのに、雑に同じとしたがる集団的無意識のような実体のない思考傾向がとめどなく迫ってくるかのような。
本質的に同じかどうかはさておき、結果的にやってることがおなじ動詞で表現できるという関連は確かにある。
何かを叩くことで溜飲を下げるとか、言いたいことを言うことで満足するとか、世間のためと言い張って自らの正義を振りかざすといった側面、そちら側にだけ着目すれば確かにやってることは似ている。
特定個人へのリンチ、集団の意向を受けてからの便乗の自発思考のない私刑と、社会構造や人物傾向への問題提起や感想発露の孤軍奮闘は大きく異なるものだ。
それ以外にも違いはある。
しかし確かに「叩く」という点では同じと雑に括れるだろう。
それならあえてその雑な括りを以て次長混じりにまた世間の人々の傾向を叩こうではないか。
我々は「叩き欲」「感想欲」に支配されているのかもしれぬ、と。
そしてそれは自己にとって百害あって一利なしな毒であると。
たとえその時点その視点で見渡す限りに不利益が見たたらなくともそれには必ず不利益がある。
自分の思ってることなんて表明するな。
ある人は結局アウトプットが全てであるという言葉を使ったがそれはただの他人の言葉だ。
他人の言葉に自分の命運を委ねるな。
アウトプットは毒である。
増して何かを叩くようなことをしても益はなし。
それはただの「娯楽」であり「堕落」である。
人間になれ。
猿になるな。
さようなら。

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