リメイクしないで欲しい すべて陵辱される

わたしは昔からリメイクが嫌いだった。
ポケットモンスターの赤と緑がリメイクされた時に「嫌だな」と思ったのが最初だろうか。
それはなんだか原体験を冒されるようで、自分の世代だけが知ってる良さを次の世界が知ってしまうことに痛みがあるようで、複合的な理由でリメイクというものに抵抗感があった。
でもポケモンぐらいならよかったんだ。
ポケモンはわたしの中ではそこまで大きな存在ではないから。
しかしスーパーマリオRPGやペルソナ3がリメイクされることは本当に嫌だ。
それはわたしの根幹を揺るがしていると感じる。
またコンテンツが今まで見向きもしなかったミーハー達の手垢まみれにされるのか。
酷い抵抗感がある。
どうして世界はこうままならないのだろう。
嫌なことばかりが起き良いことはほとんど無い。
良いと思っていたもの、こともことごとく陵辱されるのだ。
これだけは味方だと思っていたものにも裏切られ、薄情で残酷で冷酷で下品な大量消費の流行りや数字だけを追う現代人たちがズタズタにそれを冒涜して過ぎ去るのを、力がないばかりに見ていることしかできない。
ならば見なければ良いと日々を生きようとしてもふとした時に目の前に飛び出してくる。
生きられる場所はもう殆ど残っていないように思われる。
これが偶然であれ恣意的なものであれどうあれわたしは本当に疲れてしまったので、もうさっさと全てを諦めてしまいたいとこのところずっと同じ思いに駆られている。
或いはこれは自然の摂理で淘汰なのかもしれない。
古いものはやがてその拠り所を奪われ全ては新しいもののために席を譲るように迫る、という。
自分が新しいものであった時はただその古いものの席を口汚く罵っていればよかった無責任な青さがあった。───尤も今現在も無責任さや青さはあろうが───
自分が古いものへとなった今順番が来たと思って黙って席を譲る姿がたっといのかもしれない。
しかしわたしは恥も外聞もない場所に生きているのでいつまでも無様にこの壊れかけの或いは既に壊れている椅子の上でむずかることをやめようとは思わない。
ただ痛い痛いと喚く様は自分としてもまるで却って幼児のようであると思われるが、おさなごの時分に必要なものを揃えられなかったものはもしやするといつまでもおさなごなのかもしれない。
今後もわたしは世界と手を切る手を探し続けるだろう。
この世界が大■■だから。

わたしは老害でありこの世界に生きるのに適さない。
しかし生きるしかないので生きることをダラダラと引き伸ばす。
そして過ぎた権利を行使して喚く。
リメイクしないでほしい。

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