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【短編小説】なかみのないはなし
「お土産がドーナツで悪いね」
そう言いながら外山(とやま)さんは手についたグレースを舐めとっている。
「いやいや。みんな喜んでいますよ。なあ」
上谷(かみや)さんの音頭で事業所の皆が笑ってうなずく。私も相乗りさせてもらう。空気が甘ったるい。湯呑を掴むが、軽すぎて力がすっぽ抜ける。どちらにせよほうじ茶では口直しにならない。
「外山さん、よろしければ」
緑茶の入った湯呑を差し出す。外山さんは表情を崩して喜んでくれる。私も緑茶をいただく。お客様がいなければこの緑茶は飲めない。口の中の甘さが剥がれ落ちていく。
「坂主(さかぬし)くん、二条(にじょう)さんにも持って行ってあげて」
わかりました、と快諾のふりを決めつつ、二条さんの様子を予想と見比べる。二条さんはディスプレイに顔を近づけては、退いてキーボードを打ち鳴らす。テレビカメラでもこんなに繁く近づいたり退いたりを繰り返さない。酔わないのだろうか。しかし、予想は満点であたっている。
休憩所から小皿を取り出し、ナプキン、ハニーディップと重ね合わせる。コップには安いほうじ茶を半分くらいいれる。残りは失敬するが、今の口には安っぽさが染みる。
「二条さん、どうぞ」
二条さんの机に小皿とお茶を置く・二条さんはディスプレイに目を付けたまま、ほうじ茶を舐める。
「ありがと」
二条さんのお礼が小さすぎて、返事が私の腹の底から湧いてきもしない。早々に背を向けて逃げ去る。が、自分の仕事には逃げ込まさせてくれない。上谷さんに捕まったのである。上条さんと外山さんの輪がかぶりと私を取り込む。球が三つでもポンデリングは成立するようである。
「二条くんは相変わらずだな」
外山さんが言葉の尻を下げて、ため息に落っことす。乗って私もため息を捨てる。上谷さんが鋭い目腺を撃ってきたので、背を伸ばしてかしこまる。
「彼は職人ですよ。それも頑固な。作品とだけ向き合っているんです」
上谷さんの評に外山さんがうなずく。私がうなずくにはジョークが少ない。
「だが、それは問題だよ。二条くんの目に僕たちは映らない。お客さんですら映らない。完璧な十より十分な八だよ。残りの二は相手にゆだねる。坂主くんも覚えておくといい」
言葉の頭からうなづき過ぎたせいで、余計な尻にもうなづいてしまう。あいまいな笑顔でごまかす。関心に関心を重ねているように口を緩やかにゆがませて。
「いやお邪魔しすぎた。坂主くんも悪いね。余りのドーナツは二人で分けてくれよ」
立ち上がった外山さんを出口まで見送る。OBにはふさわしくない最敬礼を戻す。が上谷さんがまだ頭を下げていたので直り戻す。
「坂主くんはどっちのドーナツが好きだい」
迷わずオールドファッションハニーをつかみ取る。
「じゃ、僕はチョコレートだな。カロリーが高いは美味い、だよね」
ナプキンを分け合って、ドーナツの八分の一をいただく。上谷さんも敷いたナプキンの上にチョコレートを置く。
「上谷さん、ドーナツは中身がないからカロリーゼロなんです。フラクタルですよ」
上谷さんが首をかしげてから笑みを開かせる。揚がりすぎたドーナツのすに似た小さな笑いの広がり具合である。
外が暗い。ついこないだまで残暑が続いたせいか「暗い」に「もう」を付け足してしまう。人のはけた室内は明かりの量を裏切ってうら寂しい。まばらなキータッチ音が跳ねている。二条さんが発信源である。私は休憩所で白湯をいただいている。不思議な話、白湯の中にオールドファッションハニーがppm単位だけ感じる。邪魔で眉ひそめる。
数枚の営業スライドが重い。まるで古い油で揚げたまずいドーナツである。生成AIに作成を任せる試みを今になって悔やんでいる。質はたぶんいいが手直しが進まない。ドーナツに目を奪われた幼子のよだれの中を進むように手間がかかる。
商品の販売実績を打ち込んだところで背を伸ばす。うっかり声まで漏れる。恥ずかしくて周りを見回すが二条さんを除いて誰もいない。二条さんには聞こえてもかまわない。
休憩所には二種類のお茶がある。ウォーターサーバーのお湯で淹れられる激安のパック式ほうじ茶、と、急須で入れなければならないお客様用のちょっと安い緑茶が備えられている。値の差はわずかなのに後者が美味しいと思うのは守銭奴過ぎるだろうか。淹れたお茶を湯呑についでも、まだ急須に緑茶が残っているのでもう一つの湯呑にも注ぐ。共犯者と仕立て上げるのが闇の手口である。
「どうぞ」
二条さんの目がびっくりと広がっている。意外な愛嬌である。二条さんは湯呑を受け取ると一口だけ口をつけてデスクに添える。こんなもんだろうと。諦めに満足を覚え自分の席へと帰る。
「坂主さん、よかったら」
びっくりして振り返る。二条さんに名前を呼ばれたのは入社数か月以来である。二条さんの手にはハニーディップが乗っている。もちろん小皿の上でナプキンを座布団にして座らされている。ただ、座りすぎて足がしびれているのだろう、ハニーディップが身に着けていたグレースは溶け切り、肌の輝きもなく落ち込んでいる。
「半分こならどうだろう。割ってくれないか。僕の手がついたら汚いしさ。
私の手も汚いとは言わずに、半分にちぎって小皿に戻す。二条さんの隣の席を借りる。私の席よりクッションが良い気がする。
「ドーナツは分け合うと美味しいんだよ」
二条さんがかじり始めたのを見届けて、私もかぶりつく。脳を揉み解されるみたいに刺激的な甘さである。いつのまにか口元がほころんでいる。
「ドーナツには緑茶だね。ほうじ茶は出力不足だ」
二条さんの口からドーナツ哲学が語られるとは思いもよらなかった。思わずうなづいてしまう。そして、確かに緑茶はドーナツに合う。
「知っていますか。ドーナツは中身がないからゼロカロリーなんです」
二条さんがにっこりと笑う。この表情は夢にも現れていない。
「でも、中身がないのが美味しいんだよ」