長い散歩65日目
2024/7/18 Thursday
朝方、雷ゴロゴロ雨ジャージャー膝ガクガクで起きました。
昨日の3,333段は確実に私にダメージを与えてます。
でも9時前には雷ゴロゴロ雨ジャージャーは止んだので、出かけることにします。今日は知覧特攻平和会館に行きます。ここから往復80km、スーちゃんは無理ですね。いろんな状況的にも。マツケン号で向かいます。朝の雨で路面濡れてますしね。
駐車場から平和会館に向かうと、まず特攻で多く使われた一式戦闘機「隼」が展示されています。
実機ではなく、2007年、石原慎太郎・製作総指揮による映画「俺は、君のためにこそ死にに行く」の撮影に使われたものだそうです。
そのそばには特攻像「とこしえに」、向かいには母の像「やすらかに」二十歳前後の若者たちの遺書は母あてのものが多くを占めていたそうです。
もうここらへんで胸につまされるものがあります。
奥にある平和観音堂で手をあわせ、その横にある三角兵舎を見ました。
復元されたものですが、特攻基地となってからは、半地下の兵舎で屋根を杉の木などでカモフラージュして敵の攻撃を避けていました。
全国から集められた特攻隊員はここで2~3日、遺書など書き過ごして、その後、沖縄の空に散華したのです。
平和会館の中は撮影禁止です。主に特攻隊員の遺書や遺品の展示がしてあります。特攻はここ知覧以外からも出撃していますが、沖縄に一番近い知覧が一番多かったそうです。
詳細は割愛しますが、特攻隊の世話をした、女学生「なでしこ隊」のインタビューや、視聴覚室での映画など、動画も豊富です。戦後80年近く経ちますが、今の日本の平和が彼らだけでなく先輩方(もちろん判断を間違った人もいたでしょう)が築いたものだと再認識することができる場所だと思います。
平和記念館を出て、スーちゃんに乗って特攻関係施設を周ってみます。
実は、歩くのもままならない筋肉痛ですが、自転車はなんとか漕げます。
はじめに、特攻の母と言われた鳥濱トメさんが営んでいた富屋食堂。資料館になっているようですが休みのようでした。
その後、特攻隊発進の地、ここから沖縄に向け離陸していった場所。戦闘指揮所跡、三角兵舎跡など見て周りました。特攻隊の映画「ほたる」のロケ地でもあったそうです。前述の「俺は、~云々」も見てないのですが、見たことのある「永遠のゼロ」の主題歌が桑田佳祐の「蛍」と言うのも関係があるのですかね?今は長閑な茶畑が広がっている知覧ですが、悲しい歴史が埋まっているのだなと、夏の日差しの下でしんみり思いを馳せました。
たいして走ってないのですが、普段ならシッティングで漕げる坂も、立ち漕ぎしないと進めません。あらかた見たので、かき氷でクールダウンし、車に戻りました。
ここまで来たので、指宿の「たまて箱温泉」に行こうと思ったのですが、あいにく大改修で休館のようです。まぁどこかやってるだろうと進むと「長崎鼻⇒」の看板があったので寄ってみました。お土産屋通りの手前でおじさんに止められ、車は入れないので付いて来いと原付で土産物屋の駐車場に案内され、帰りに良かったら土産を買ってくれと、まぁそうだろうと思いましたが、必ず買えとは言わないかわいい販促です。
不自由な足で、岬の突端まで行って、竜宮神社を見て、お土産物屋で手拭いを買って、一応術中にはまってみました。その後、日本最南端の「西大山駅」に寄って、土産物屋のおばちゃんの「たまて箱、露天風呂だけやっている」情報を信じ行ってみましたが、やっぱり休館でした。
で、近くを調べ、西郷どんも愛した湯「区営鰻温泉」に向かうと、「地熱低下のため温泉が沸きません」の張り紙が。。
でも、隣の私営温泉がやっていたのでひと風呂浴びることができました。
なんで、隣はやってんだろう?
地元の人が4,5人いてなにやら世間話をしています。話しの輪に入ろうかなと思いましたがやめました。ぜんぜん言葉ワカラナイダカラ(笑)
いい湯でした。もう17時になりました。
鹿児島市内に戻ります。
鰻池ってくらいだから鰻獲れるのかな?地元の人に聞けばよかったかな?
といっても話は通じそうになかったし。そう言えばそろそろ土用の丑の日だよなぁ。その日は混むんだよねぇ。鹿児島って鰻で有名だよなぁ。やっぱり人として鹿児島に来たんだから、ねえ。
明日はどこに行こうかな。