わたしの前への進み方
🌷です。この投稿に辿りついてくれてありがとう!
私には、どう一生懸命になっても何もかもがうまくいかなくて泣くことしかできない時期がありました。けれど、わたしには、心を休めることも少し妥協したり(いい意味で)諦めてみたり… その選択肢を考えることすらできませんでした。とにかくぶつかっては砕け散り、そしてたくさん泣いて、泣いた先でどうしたいかをようやくじっくり考えることで進んでいく、いやそうでしか進んでいけない。そう、不器用な進み方でしか、できないといったらいいのだろうか、そんな人です。その時期もそれしかできませんでした…笑 だからか、回り道たくさんしました。
そんな、わたしが思うことは、どんな選択をしても、きっと間違いでもないし、無駄でもないということ。いろいろな人生の先輩たちなどは、いろいろなことを言ってくるし、時には選択を無理にでも拒んでくることだってあるし、大変なこともないとは言い切れないもんなんだけどね。だけど、だけど、だけど、うまくいくか、そうでないかのどちらの選択をしたとしても、自分でいろいろなことをやってみて、自分でいろいろな思いをしてみなくては、何もわからない。どっちを選んだとしても必ず自分の中にいろいろな思いが溶け込まれ、その人その人をつくり、大きな成長なんかに導いてくれると思うの。
だから、どう一生懸命になっても何もかもがうまくいかなくて泣くことしかできない時期に、立ち止まらずにうまくいかないのに突っ走ってしまったことに何も後悔はしていなくて。その時期には思えなかったけれど、今ではとてもとても大切な思い出になっているのね。
そして、その時期をそのように進んできたことで、人に対して優しくなれたと思うし、いろいろな人の気持ちに寄り添うことが少しだけできるようになったかな、って感じています。あと、今まで自分がちょっと苦手だな…って思う人こそが本当はとても優しくしてくれたり見守ってくれてたりすることもあるって気づくことができたんだよね。
だから、苦しかったり辛かったりするときは、苦しく辛いけれど、自分が思うがままに、その状況を受け止めつつ、自分なりのそのときなりのコタエのようなもの探し、選択していくことしかできないと思うの。どんな選択をしても、そのときに考えて進んできたものは、必ず自分を助けてくれて、いずれは明るいところに連れ出してくれるはず。きれいごとのように聞こえるかもしれないけれど、これは、どうしようもないほどの暗闇にいた私が、今、夢を叶え、今その先に向かって歩み出せたことが、きれいごとでないことを証明しているよね。
もしわたしがどんな人かちょっとでも興味をもってくれたら、こっそりわたしの他のnoteの記事を読んでもらえたらうれしいな。まあ、人様に見せられるような生き方はしてこれてないから恥ずかしいけれど…笑
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
一緒に、今日も明日もがんばっていこうね。焦らずに。
🌷