おうちに着くまでが遠足です
3月をもって、店の店長を降りました。
うちはオーナーが3人いて、それぞれ店長、つまり3人店長だったのですが、このたび3人とも同時に降り、24歳の若者に店を譲った次第です。
もともと3人には本業が別にあり、店はある意味余芸、ちょっとおもしろそうだから始めてみた、そして続けてみた、そんな感じです。自分から仕事を辞めたり恋人と別れたりするのが苦手な私は、何か始めるときにはいつもどう終わらせるかだけを考えています。そうしないとただ手癖だけでダラダラと意味なく続けてしまうからです。
「やって10年。できれば誰か若い人に譲りたい」、ずっとそう言いつづけてきました。そしてこのたび、予定よりちょっと早いですが、運よくバトンを受け取ってくれる人がいました。
この後も販売する本の出入庫や整理、壁の展示の設営、近くに借りているスペースでの読書会・落語会、商店街活動といろいろ引きずっていくこともありますが、店に立つことはなくなります。
あまり深く考えることもなく店を始めたにもかかわらず、新しい知り合いが増えて、やりたいイベントをたくさん打てて、いやあ、じつに充実した6年(じつは7年)でした。
一段落と思いきや、店を閉めてからの約ひと月、私は毎日店に通い詰めていました。そうです。後片づけです。商品・備品の分類、そして廃棄または引き取り、引き取るものを置くためには自宅にスペースを作らなければならず、自宅の大々的な整理整頓、そしてまた廃棄と引き取りの繰り返し。やってもやっても終わらない…。
もちろん新店長も手伝ってくれました。とはいえ、これまでちょっとずつちょっとずつ貯めこんできた荷物はゴミのようで宝物、宝物のようでゴミ。貯めた本人以外には分類不能だったりします。正直、途中で「この人、ほんとうに片づけて出ていってくれるのだろうか」と疑心暗鬼になられていたのではないでしょうか。けっきょくリニューアルオープンの前日まで、私はひたすら物を分類し、梱包し、運びつづけたのでした。
盛大な遊びの後片づけ、マジで体力との勝負でした。やって当然、そしてやらなければ迷惑がかかる、日々の作業が誰かを喜ばせることには何一つ繋がらないし、達成感もありません。
「おうちに着くまでが遠足です」という名言は、誰が生み出したしたのでしょうか。「終活」という言葉が辞書に載る現代でも、命がいつ無くなるかは正直わかりません。どうせ私なんぞいろいろ散らかしたまま、みんなに迷惑かけて逝くことになるんでしょう。死んだらどうせわかりません。精神力も体力もある状態で、事業の片づけをできたこと、この体験は貴重でしたし、いろいろ学びがありました。
新し物好きで、気の多い私にとって、また新しいことを始めるために、これまでやっていたことに一区切り付けるのは絶対に必要なことでした。後片づけがほぼ終わったいま、「やり散らかさなかったぜ」「無事に渡せたぜ」という、リレー第一走者の気持ちになっています。
ほんとうにお疲れさまでした。>自分
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