郷土史はじめませんか・後編
誓詞橋交差点にあるふたつの石碑、そのひとつに天明六年
天明六年とはどんな年だったのか、明治の前の元号も時系列で頭に入れておいた方が良いのか。私が郷土史を始めるきっかけとなった出来事からお話させていただきますね
かれこれ10年ほど前でしょうか、とある八幡神社に立ち寄った際、歴史ガイドのおじさんとその御一行様をお見かけしたんですね
当時の私は歴史など新撰組くらいしか興味がなかったのですが、定年退職をして時間を持て余したら神社巡りなどをしてしまうタイプだなという自覚はあったので
源頼義義家が奥州へ向かう途中この地に立ち寄った際
ガイドさんの話を耳をダンボにして聞いていた、すると御一行の中の一人が
義経しかしらんなあガハハハハ
びっくりしちゃったんですね
ヨリヨシ、そんなんいたっけ?
私も頼義が分からなかったので
私は神社巡りがしたいだけでした。日本百名城をやりたいなどという大きな野望は持っていませんでした。けれど近所の小さな神社をエンジョイしたいだけであっても、ヨリヨシはなぜ奥州へ向かっていたのか、その時、日本がどうなっていたのか、背景にある日本史が分からないとどうにもならない
ヨリヨシについて知りたかったら、源頼義で検索をする。これがフツー、一般的だと思います
ということはピッコロ大魔王について知りたかったら、2回目の天下一武道会のエンディングから読めばいい、ピッコロ大魔王の初登場はここですからね
いやいやいやいや一巻から読まなきゃ分かんないでしょうドラゴンボール、と思われた方、挙手(はい)
歴史も同じだなと感じました
日本史も一巻から、旧石器時代縄文時代からやらないと分からない。ということで日本史のダイジェスト本を購入。このチョイスからも、私が日本史、あまり得意でなかったことが伝わりますよね。ちなみにここまで(ヨリヨシから)二年の月日を要しています
あ、日本史ならある程度は大丈夫、って今思いました?
私も新撰組が好きだったので日本史に苦手意識はありませんでした。むしろ得意だとすら思っていました、けれど知っているのは幕末だけだったんですね
これは、ドラゴンボールが好きです、でも魔人ブウ編しか読んでませんという状態です。好きであることに間違いはありませんが、ドラゴンボール全体を理解しているとは言えませんよね
幕末はこれだけです、戦国時代もこんなかんじ
元号はある程度は時系列で覚えておいた方が良いです。でないと、例えば元禄期の石碑に出会った場合
やっべふっる!
が出来ません。ふっる! は出来た方がなんかこう気分が盛り上がります
北野には計七百十九匹、この先の勝楽寺(狭山湖に沈んだ村ですね)には六百九十八匹
所沢市北野では犬を飼うべからずとの家訓が生まれ、第二次世界大戦後まで番犬を飼う風習が少なかった
この辺りは生類憐れみの令で「お犬様」を押し付けられ酷い目にあってるんですね。生類憐れみの令は綱吉なので元禄です
小手指の範囲は広い、と言ったのはどうも新井白石ぽい。新井白石といえば正徳小判、正徳
さいたま市の見沼田んぼが見沼「たんぼ」になったのは享保の改革
越谷や春日部など県の東もネタにして、よくコメントをいただくので七月に八潮に行って思いっきり熱中症になってきたんですけど
日陰がない、恐るべし中川低地!
朦朧とする意識の中で妙に頑丈そうな作りの船問屋をお見かけしたんですね
元々あった建物が安政地震で被災したため、がっちりとした設計で作り直したと八潮市の資料にありました
安政といえば、吉田松陰でしょうか、藤田東湖でしょうか、幕末真っ只中ですね
冒頭の天明六年、江戸時代最大といわれる天明の大飢饉の終盤の年です。神仏にすがるしかなかった時代、あの碑にどれほどの祈りが込められているのか、今となっては分かりませんが、直接のきっかけは浅間山の噴火です。この辺りにも大量の火山灰が積もり、農作物に大きな被害が出たことは想像に難くありません
日本史をやり直すと、元号も自然になんとなくですけど並ぶようになってくるんですね。郷土史と日本史は切り離せません
埼玉屈指の難読地名、男衾。男の掛け布団と書いて、男衾。天皇の代替わりの際に「真床覆衾」というちょっとエッチな儀式がある、この場面をがっつり描くのは石ノ森章太郎先生だけ!大人向け!
大人の学び直し。マンガ日本の歴史やお子さんの使っていた日本史の教科書など、とりあえず日本史を手短なところからやり直してみては、というお話をさせていただきました
砂川遺跡です。私の記憶が正しければ埼玉県内最古、二万年前の人類の痕跡であると思うのですが、二万年前、ちょっとピンとこないですよね
私は二万年前なら二万円、お金に置き換えて考えていました
埼玉県にも海がありました、縄文海進と言います、縄文海進は6000年前なので6000円
源頼朝は千二百年頃の人なので八百年前、八百円
徳川家康は四百円、坂本龍馬は百七十円
お年玉くれるって言ったら、砂川さんと坂本さん、どちらからもらいたいですか?
ね、二万年前、とんでもなく大きな数字です。幕末も170円、少し身近に感じていただけたのではないでしょうか
秩父を歩いていると、秩父も昔は海だった、という案内板に出会うことがありますが、秩父のクジラは2500万円ですね
秩父のクジラから見たら私と坂本龍馬なんてもう同級ですよねw
この辺りには古墳がありません。二万年前は人が住んでいたのに、古墳時代は人の住みにくい場所だった。狩猟生活が稲作に転換していく、日本史の大きなうねりのようなものを感じることの出来るエリアでもありますね、ちょっと大げさですかね
三ヶ島稲荷神社にある石碑です。湯殿山、羽黒山、月山、奥州出羽三山ですね。山岳信仰といいます
みんな大好き三峯神社の三峰も、三つの山という意味なので山岳信仰ですね
この辺りは言うまでもありませんがお茶が名産です。ではなぜお茶だったのか、地学の視点から触れますね
むかしむかし地面がありました(ざっくりですよ)
大昔の多摩川が青梅を起点に右に左に、大量の礫(小石ですね)を吐き出し堆積させました
遠くの山々が噴火、礫の上に火山灰が積もりました
多摩川がこっちを流れ火山灰を押し流しました、こっちも流れて押し流しました
また火山灰が積もりました、押し流した押し流した、また積もった流した流した
だから狭山丘陵は武蔵野台地というお皿の上に置いたオムレツのような形をしているのですが、その結果、つまりこの辺りには火山灰、関東ロームが特に分厚く堆積したんですね
関東ロームは火山灰由来なので水を貯めることが出来ません、その下の礫も小石ですから水を溜められません。水を溜められないので田んぼが作れない、麦しかない、で、うどんなのですが、お茶の木も水を溜められない、水捌けの良い土壌を好みました
そしてお茶の木は根っこが5mも6mも伸びるのだそうです
お茶は水捌けの良い土壌が分厚く堆積しているところでなければ栽培できないんですね
お土産は土から産まれると書きますよね
その土地の名産と、地形の成り立ちはやはりどこかで繋がっているのかなと思います
ズビズバーパパパヤー、左卜全のお墓は三ヶ島にあります
式内社、三ヶ島の中氷川神社です
ん? ですよね
実は式内社というのは、中央政府に由緒正しいと認定されたその時代から今も同じ場所に座す、まちがいなくここであると言い切れるものがあまり多くありません
大宮氷川神社ですら(もちろん式内社です)実は浦和の女体神社の方なんじゃないの? などはっきりしておりません
中氷川神社も山口と三ヶ島がそれぞれ「うちが本当の式内社」主張をし決着が付いていないんですね
一ノ宮ですらも、私たちは武蔵一宮といえばもちろん大宮氷川神社ですが、多摩市に一ノ宮という場所がありますね。東京都は、一ノ宮は小野神社、大宮氷川神社を認めていません
そして小野神社も多摩市と府中市にあり、どちらが正統なのかはっきりしていません。式内社は分からないことが多いんですね
武蔵44座、ここは動いてないやろ言い切れる神社は、神川町二ノ宮にある金鑽神社だけ。ここは山そのものが御神体なので動かしようがありません。式内社はそのうちまとめたいと考えています
今なぜ郷土史なのか
お金がほとんどかからないからです
いや、知ることで初めて見える景色がある、とか、埼玉県の人口は730万、島根県民と鳥取県民を足した数よりもさいたま市民の方が多い
他県から観光客を誘致するなんて無理だ。出来ても川越と秩父長瀞だけだ、埼玉県民730万がそれぞれ地元を歩けば埼玉はまんべんなく活性化する!
いろいろ書いたんですけど、どうしても説教くさくなってしまうのでもうぶっちゃけました
郷土史は基本散歩なのでコスパがとてもいいんですね
はじめに買うべき一冊は、と聞かれたら「埼玉県史通史編1」です。もちろん専門用語ビシバシの難易度の高いものですが、いずれ必要になりますし、ネットで探してもいくらもしませんが、古本まつりなど、数百円で買える場合もあったりします
あとは、図書館、郷土資料はほとんど貸し出しをしてくれないのですが、貸出してくれるものもあります、それを片端より読む! それだって一年や二年はかかるでしょう
さいたま市の方は良書があるので、ぜひこの二冊を入手しちゃって下さい、ホントに素晴らしいです。もうそれで郷土史の入り口としては十分だと思うんですね
郷土史はかつては学校の先生だったり、地元の歴史大好きおじさんが、定年退職後の余暇を使い取り組み、集大成を本にまとめるというような感じで細々ながらも受け継がれてきました
けれど70まで雇用とか、年金80歳など、定年退職後にというのは、もうちょっと現実的ではないような気もしますよね?
お金のかかる趣味、この国たぶんもう無理です。郷土史、一歩踏み出せば長く続けられる趣味だと思いますので、スマホももう飽きたでしょう、図書館に行って、なんか借りてなんかコピって、町へ出る、と
庚申塔や馬頭観音は忍者のようだ、という先生がいます
意識をすると、いつからそこにあったのか、初めてその姿が見える
いつからここにいらっしゃいました?
250年くらい前から
私も何度も体感しました。見えていないだけでした
どんな地域にもある、目には見えない時間の奥行きのようなもの、感じていただけるかもしれません
というわけで、郷土史はじめませんか
三ヶ島地区に、庚申塔や馬頭観音、古い道がとても多く残っているのは、たぶん駅遠
駅から遠いエリアだったため開発が進まなかった、故に古い風景が残ったというのが、ひとつあるのかなと思います
現代の感覚で「なにもない」と思われているところに、忍者だったり、いろいろなものが潜んでいる可能性があるということですね
埼玉にはなにもない
鎌倉や江戸東京と密接な関係にあった埼玉になにもないわけないでしょう?
皆さんの住まわれている町内にも、きっと必ず何かあります。ぜひ会いに行ってみて下さい
それでは! 見える史跡は見ないをテーマに歩いてきたつもりですが、狭山湖から西武球場前までは見どころのとても多いエリアです。私の地元、所沢市山口の本当の実力、見せつけちゃいたいと思います!
根古屋城跡
遺構が完全な形で残っていると評判の中世の山城です。しかし見どころと言った舌の根も乾かぬうちに恐縮ですが、東京都水道局管理地内のため立ち入り禁止、ごめんなさい、見ることは出来ません
狭山湖の完成は昭和九年、ということは、ここも匡救事業ですね。まもなく太平洋戦争が始まりこの場所もB29の爆撃を受けました。給水塔に米軍機の機銃掃射の跡が残っています
大河ドラマ青天を衝けの中に、高崎城襲撃を企てるヤング渋沢栄一たちを尾高長七郎が
70人100人で挙兵をして何になる、犬死にするだけだ! どうしても行くと言うなら、栄一、俺はおまえを斬ってでも止める
緊迫感のあるとても良い場面がありました。これは目まぐるしく変化する幕末の情勢を目の当たりにした長七郎が、挙兵は無謀、即犬死にであると判断をしたからなのですが、長七郎の言う犬死にをした若い志士たちのくぐった門がこの門でした
西武球場前で挙兵?
違います、奈良県です
この門は奈良県の十津川にありました
幕末武州の青年群像、89ページから115ページまでをご確認下さい。県内の図書館にあります。埼玉の幕末は完全網羅の一冊です
奈良県十津川から移築されてるんですね。背景を知らなければただの門ですが、読めば、いわゆる天誅組の犬死にがなければ、栄一も高崎城を襲撃し
恐らくそこでゲームオーバーでしたので、現在の一万円札の肖像も別の方になっていた、幕末の風雲急まで感じていただけるかもしれません。桜田門、坂下門、この門という流れですからね
ただの石灯籠ではありません、徳川家の菩提寺東京芝「増上寺」の石灯籠です
東京空襲で焼け野原になった増上寺の敷地の一部を後の西武の堤なんとかさんが買収、買収地内の石灯籠を所沢山口に移した、そしてあまりの数に欲しい人持ってって良いよ、みたいな感じになったんですかね
飯能の能仁寺や河越館、前編に登場した勝光寺、竹寺、今回のコースもここにありました
埼玉県内のあちこちにありますね
けれどより価値の高いものは所沢に残した様です
銅製の灯籠!
現在七十六基あるそうです!
徳川家の菩提寺、増上寺の権威と大きさを所沢山口で感じてみて下さい!
読みます
崇源院霊廟の門として三代家光が建立した、崇源院は二代秀忠夫人、豊臣秀吉の側室淀君の妹にあたる
はい江様キターー!
所沢山口以外で江様を感じることの出来る場所なんて、あるのかしら?
初代家康及び三代家光を祀る日光が煌びやか、そして世界遺産であることは日本人の常識です。ということは二代秀忠の霊廟も世界遺産級であるに決まっていますよね?
あれ、秀忠の霊廟ってどこにあるんでしたっけ?
はい一部所沢市山口キターー!
台徳院とは徳川秀忠のことです。やはり東京にあったのですが空襲を受け被災、灯篭と同じ経緯で所沢山口に移築されました、戦前は国宝指定でした
そしてこちらの門、やはり東京にあった武家屋敷の門なのですが
長州藩!!
それじゃあ私、面白いこと言いますねいきますよー
家光だあ秀忠だあさんざん葵の御門散らしておいて本堂の前に長州藩の門
江戸幕府滅びるやろがーーーい!
どうでした? キレッキレだったと思うんですけど
え、面白さが分からない、あー、それはちょっと日本史が足りていないかもしれませんねえ
先ほどの案内板もそうでした。江と書いてあれば、あー大河ドラマの? 樹里ちゃん? となりますけど、秀忠夫人淀君妹で、あ、浅井三姉妹の江? となる方、そんなに多くいらっしゃらないですよね
日本史がちょっと分かると案内板の解像度もちょっと上がって、この場合は江様でしたが、そこに人を感じたり、時間の奥行きのようなもの、ドラマを感じることがとても増えてくるんですね
日本史と郷土史は切り離せません
日本史の学び直しをしながら地域のお地蔵さんや小字、小さな橋の名前、アパートの名前に気持ちを向けていく
知ると好きはセットなので、地元への愛着もきっと深まっていくでしょう
手始めに小字コピっていつもの散歩コースを歩くところから初めてみてはいかがでしょうか
以上、私の想う「郷土史はじめませんか」でした
今回のコース、尺の関係で触れられなかったテーマもたくさんありました
私が実地でガイドをさせていただく、ツアー的なものも企画しておりますので、詳細はSNSでご案内いたします、ご興味がございましたらXの方、フォローしておいてくださいませ。それではまた(ブシュ)
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