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前田利家 埼玉を縦断す【川越市/所沢市】

唐突ですが自己紹介をさせていただくと、好きな食べ物は肉汁うどん。苦手な食べ物は、そうですねえ、強いて言うなら魚介類でしょうか

そんな私ですが、先日職場の旅行で石川県に行ってきました。 一泊二日の弾丸旅行だったんですけどね、印象に残ったことといえばエビ。昼夜朝昼ずっとエビ。もちろん美味しく頂きましたよ。けれど、なんだか自分がラッコにでもなったような、そんな気分の今日この頃です

ところで石川と言えば加賀百万石の祖である前田利家の名を思い浮かべる方も多いと思います。が、遠い石川県の人ですからね、埼玉にはあまり縁の無い人のような気もしますよね?

いえいえ、実は天正18年(また出ましたね)前田利家は埼玉に、それも川越に来たことがあるのです!

何をしに来たのかはさて置き、先ずは遠路はるばる川越までやってきた前田利家御一行様の労を労いたいと思います

歓迎 前田利家御一行様! ようこそ川越市へ!

そして、川越城 落城

豊臣秀吉の小田原征伐ですね。北条サイドの支城であった川越城は前田利家率いる北国軍に攻められ落城しました

けれど戦火に包まれたという感じではなかったようです。なにせ前田利家軍は大軍です。その中には上杉や真田などのビッグスターも含まれています

時の川越城主である大道寺も群馬の松井田で敗戦、すでに降伏済みですから、戦うなんて無茶はさすがにしなかったのかもしれませんね

それともう一つ。川越城本丸御殿のとなりにある童話とうりゃんせ♬ の舞台にもなった三芳野神社。つい先日改修工事が終了し創建当時の雅なお姿が蘇りましたが、よーくご覧ください

前田家の家紋と同じ梅鉢がいくつも確認できますね!

いやちょっと待て、確かに梅鉢だが

と~りゃんせ~、と~りゃんせ~♬ こ~こはど~この細道じゃ~♬ 天神さまの細道じゃ~♬ という歌詞からも分かるように三芳野神社は天神様を祀っている。天神様とはご存じ学問の神様、菅原道真のことであり、彼の好きな花と言えばもちろん梅♡ なので天神様の家紋はだいたい梅鉢。同じであっても前田家の家紋が付いている訳ではない

ええ、私もそう思います

ただ川越のとなり、所沢の北野天神にこんな梅の木があるんですね

大納言梅

大納言とは甘納豆、のことではなく前田利家の官職です。なぜこんなネーミングの梅の木が所沢にあるのかというと

菅原道真の子孫だという前田利家は小田原攻めの折、当神社に立ち寄ったが当社は幾度かの戦乱の兵火により灰燼(カイジン)と化していたので社殿を再興一本の梅を此処に献栽して武運長久を祈願した

北野の天神さまは、皆さまが西武ドームに行かれる際に立ち寄るヤオコーのほんの少し手前にある、式内社、武蔵44座のうちの二つを内包する、歴史的に見て県内でも特に濃密な地域に座する神社です。ちなみにヤオコーの駐車場の奥の丘は古墳です。海谷古墳と言います

ということは前田利家御一行様はこの辺りを通っている訳ですが、鎌倉街道が何本かあり、御一行様がヤオコーの前を通ったと言い切ることは出来ません

ただ、斎藤鶴磯さん、江戸時代の終わりの頃の方ですね、所沢民です、この方の描かれたスケッチが残っているのですが、そのスケッチを見る限り、北野天神周辺は江戸時代からまったくと言っていいくらい変わって無いんですね

ヤオコーの前の道ありますね、なので前田利家、上杉景勝、真田昌幸らはヤオコーの前を通っていると、わたしは思います

あんまり殺さないで下さいね

それは約束できんなあwww

それはともかく前田利家が所沢を通った時点では、この辺はまだ北条領であり適地なんですよ!?

それに利家のポジションならば、北条を追い出したあと徳川が入る予定であることくらい知っていたと思うんです

前田家の領地になることはない、分かっているのに、自分が自称菅原道真の子孫だからという理由だけで所沢の天神様を再建してくれるなんて

さすが百万石(お金持ち)だと思います!

緑のラインが前田利家の進軍ルート。川越は徳川勢を中心とした南方隊(ピンク)にも攻められてるんですね。これはさすがにムリゲーですね(石田堤史跡公園の案内板より)

それでは、良い機会ですので石という単位についてお話させていただきます

石、江戸時代以前の古い単位、そう多くの方が捉えているのかなと思うのですが、現在も現役の現役、使わない日はないかもしれませんので

一石の十分の一は一斗、一斗缶の斗ですね

一斗の十分の一は一升、一升瓶の升です、毎日使ってたら飲みすぎですね

一升の十分の一は、一合、毎日使ってますよね

もうちょっとだけ

昔の人は一人一食一合を基準にしました。つまり一日三食、三合食べたとして、現在は一年三六五日ですが、旧暦のカレンダーには三十一日がありませんので、一ヶ月三十日✕十二ヶ月で一年三百六十日、三合✕三百六十日で千八十合、千八十合は概ね一石です

人一人が一年に食べるお米の量、これが一石

で、一石のお米がとれる田んぼの面積が一反

一反とは360坪です。現在は300坪なのですが、それは豊富秀吉の太閤検地以降、大増税ですね

人一人が一日に食べる量の米がとれる田んぼの面積が一坪ということですね。この人間そのものから滲み出てきたような単位を頭に入れてから口分田や百万長歩の詔、五公五民、加賀百万石、十万石まんじゅうなどを見るとまた解像度が違ってくるのかな思いますので参考にしてみて下さい

前田利家は縁もゆかりもない所沢の天神様を直してくれるような方ですから、川越城に攻め入った時もきっと紳士的な振る舞いであったであろうし、三芳野神社にも間違いなく参拝していると思うんですね。もしかしたら三芳野神社があったからこそ守られた川越、なんてこともあるかもしれません

城に火をかけよ!

お待ちくだされ浅野どの! 城と一緒に天神様まで燃えてしまったら大納言様に何を言われるか分かったものではありませぬ。かなり面倒くさいと思いますぞ

それもそうじゃ、止めておこうか

止めときましょう

みたいなね、分かんないですけどwww

はーい♪ ぼくこてまる

菅原道真をイメージした烏帽子をかぶり、所沢の英雄、まあ通っただけなんですけど、新田義貞の家紋を身にまとい、小手をかざすポーズを決める

こちらがあらゆる小手指が詰まっている小手指のゆるキャラ、こてまる君です

こてまる君のおなかにご注目下さい。一輪の梅の花がありますね

案内板には「菅原道真ゆかりの梅」と記されているのですが、この小さな梅に前田家に対するリスペクトが込められているような気がするんですね

そうでなくとも所沢民である私は前田家に感謝の気持ちを持っています。なので石川に行ったら金沢のお城に伺い、前田利家様の銅像にお礼を言おう、目論んでいました

けれど、お城には寄らなかったんですよね

やっぱり団体旅行は苦手です。總持寺にも倶利伽羅峠にも寄らなかったし、ホントにエビばっかりだったし

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