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写真を超えることができるか、嗅覚

二週間ぶりの更新にございます。皆さま、覚えておりますでしょうか、猫目です。もの書きをしている者にございます。とかいって最近では何をやっているか定かではないのですが、まあ、書きつづけてはいます。いろいろと。

さてこの二週間なにをしていたのか、そんなこと、あまり興味が無いかと思うのですが(目立ってお話できることがない)、しいていうなら本を読み漁っておりました。食う、寝る、出す、仕事する以外はひたすらに文字を追いかけておりました故、こうだんだんと頭がふやけてまいりました。

本に埋もれていくひとの頭はさぞ重たいのだろうな、と思いながらもやはり愉しいので本を読んでしまいます。

読んで読んで読んで、書いて、書く。

これこそ執筆を継続していくために欠かせないサイクルなのではないでしょうか。と、思うと同時にやはり頭がおかしくなります。

だから人とお話しできることはありがたいことです。

まあそんなわけですので
ちょっと脳内が波打っておりますが

これ以上前置きを長くしてしまってはいけないと先ほどから焦燥に駆られておりますので切ります。ぷっつり、切らせていただきます。ここから先は二週間前に書いたものです。多少はまともな感覚で書いているかと思いますのでお付き合いいただけますと心底救われますので是非に……。

写真を超えることができるか、嗅覚

思い出の品として写真があげられる。これは当人だけでなく、だれが見てもほとんど同じ印象を与えることができる「思い出を語るうえで欠かせない材料」でもある。

だが、じつは思い出をふり返るにあたって写真よりも強力……あるいは同等くらいに大切で無視できない存在がある。

それこそが、嗅覚。
匂いだ。

このお盆、猫目は母の実家である青森県へ出かけた。墓参りが主たる目的だ。

とはいえ新幹線に乗り、隣ではしゃぐ母と過ごしていると、やはり小旅行気分にならざるを得ない。

そうして2泊3日という時間はあっというまに過ぎていった。関東でコロナが流行り出したことを懸念し、いつもは母の実家に泊まらせていただいていたのだが、今回ばかりは宿で寝起きすることに。

ご存知のとおり青森は広い。否、東北はどの県も面積がある。お隣の岩手などは端から端まで189kmもの距離がある。

新青森駅に到着したのは18時を過ぎだ。そこからまっすぐ宿に向かい、ぐっすり眠るはずだったが何故か眠れず、早朝に温泉に浸かって疲れをごまかした。いや、じつはあんまり疲れていなかったのかもしれない。心は確実に躍っていた。

2日目

無事にお墓参りや寺を回り、残った時間で観光をした。母の兄が親切にも車を走らせてくれたのだ。

実家がある弘前市からまず五所川原市、金木町という場所を目指し「斜陽館」をおとずれた。小説家・太宰治の生家だ。

ずっと行きたかった場所である。

そこは入口からして歴史を感じさせた。受付横に設置されたノートには多くの観光客が書き残した文がつづられていた。

猫目と同じように関東から来たひとの言葉もある。もっと遠いところからやってきたひともいた。皆それぞれ2、3行のメッセージを残していた。某アニメのキャラクターを描いていたひともいた。非常にうまく魅入ってしまった。春河35先生本人かもしれないと勘ぐった。

「〇〇から来ました」
「ずっと来たいと思っていました」
「見れてよかったです」

など、ページには本当にたくさんの感想がならんでいた。猫目はそれらに半分ほど目を通してからノートをとじた。

あとで感想でも書こうかなと思った。
だが、結局は書かなかった。

なにも、書かずに、その場を去った。

母はなにやら上機嫌に文字を残していた。アンタも書いたらいいのに、としきりににペンを握らせたがった。

だが、猫目は書かなかった。

書きたいことがなかったわけでも、書くほどの感想が浮かばなかったわけでもない。

ほんとうにすばらしく立派な家であった。庭などもすてきだ。風通しも良い。窓辺に立っているだけで微風が頬をなでていく。なにもかもが"私にとって"の理想であった。

館内での撮影は自由だと
受付のひとが教えてくれた。

それならとカメラに収めて巡った。広間、台所、廊下など11室278坪、2階が8室116坪であわせて約680坪の広大な敷地をまわっているとき、ふいに思ったことがある。

館内での撮影は自由。

はたして

館内……なのだろうか、ここは。館内というよりは、やはり家の要素が強い。いや家なのだから当然なのだけれどそれにしたって”館内”という感じがどうもしっくりこない。

館内ではなく、家だとしたら。

家の中での撮影は自由
ということになる。

居間も台所も寝室の撮影も
どうぞご自由に。

……。


それから猫目はまわしていた動画を止めて、ついでに足も止め、まっすぐ前を見つめた。

廊下がつづいている。そこにひとはいなかった。足を踏みこむたびに床が軋む音がする。これまで小説の中にさんざんと書いてきた「床が軋む音と感覚」がそこにはあった。現存していた。

ぎぃ、と音が鳴る。

なんだろう。
ひどい間違いを犯している気持ちになった。

とても不思議な感覚だ。なんといったらいいのか、尊敬する先生の家を土足でズカズカ勝手に踏みこんでいる気分だった。

今しがた庭先の岩を目にしたとき(半ば土にうもれた苔だらけの岩を見たとき)、たしかに猫目はこう思った。

"もしかしたら太宰治も
この岩を見ていたんじゃないかな"

だとしたら


時は違えど同じものを目にしたことになる。そう思って感動した。

が、しかし。

その感情を上回るほどの勢いで、自分の頭にある種の申しわけなさが過ぎる。

他人の家を、部屋を、廊下を、こうも好き勝手に歩いてもいいものか。どうにもわからなくなってしまったのだ。引け目を感じたといえばいいのか、それに似た感情が猫目のなかで疼く。

それまでは取りこぼさないよう、隈なく目を動かして記録につとめていたのだが、その瞬間から少しだけ伏し目になって歩いた。

とぼとぼ
階段を下っていく。

太宰治が大好きだ。
太宰の作品が好きだ。

太宰はこの家が好きだっただろうか。豪邸を囲うレンガ塀は、頭上よりはるかに高く、言わずもがな簡単に崩すことはできない。

守られているがそれでいて不安を抱く。
自由そうでどこか不自由さを感じた。

もちろんこれは猫目の個人的な感想に過ぎない。

結果として斜陽館を訪れてよかったと思っている。感動、発見、歴史が詰まっているのだあの場所は。だから、これから行こうと計画を立てている方はぜひ足を運んでみてほしい。

そういう方のための参考になるかなと思い、最初に室内の写真をいくらか撮った。が、ここに載せるのはやめておく。自身の足で床を踏み、空気に触れ、情景を焼きつけ、肌で感じ取ってほしいとそう思ったからだ。

あそこには、写真では伝わらないものがある。

すばらしいところだった。

すばらしく、大きな、広い、家だった。

今回、猫目はかの作家先生の私生活を盗み見てしまったような気持ちになり、結局ノートになにも記さなかった。

どこまでも延びる田んぼ

斜陽館のあとは本州最北端、竜飛岬(たっぴみさき)まで車を走らせた。もちろん走らせているのは母の兄だ。昔から運転が好きらしい。レーサーかなと疑いたくなるほど山道を巧みに滑っていく。

そんなこんなで青森県内を滑るように走って夜は宿に着くなりぐったり。1日目は和室、2日目は洋室に案内いただくなど、この小さな空間もふくめてずいぶん移動の多い旅だった。

そんな旅のなかで母の実家、友人の家、道の駅、食事処、土産店、旅館のどれもに「これが青森だ」という香りが漂っていた。

この香りについて、猫目は長らく突きとめることができずにいた。

ここ青森に充満するこの香り……
これはいったいなんの香りだろう?

たしかにそこに存在する独特な香りに、猫目は幸いにも気がつくことができた。ヒバだ。

ヒバの木の香りだ。

それに気づけたのは、なにも猫目が国内のあらゆる樹木の香りを知り尽くしているからではない。それだったらとっくにその分野に定着している。

じつは、これで気がついたのだ。

これはヒバの断片を和袋につめたもの。この、たまたま手にとった土産の品を帰りの新幹線であけたことでようやく正体に気がつけた。

試しに母に匂いを嗅いでもらうと「あ、うん。新築のにおいがする」といった。調べてみると青森の建造物の多くに「青森ひば」が使用されていることがわかった。

猫目は今、ヒバの香り袋を手に文字を綴っている。不思議なもので香りには写真(視覚)とは、またちがった奥行きを思い出させてくれるちからがあるらしい。たしか「クレヨンしんちゃん」の映画でも嗅覚と思い出をつなげた作品があったはずだ。

なるほど。こうしてみると匂いというのは一瞬にして、あの時あの場所まで私たちをタイムスリップさせてくれる。

写真はたしかに思い出を鮮明に映しだしてくれる。猫目は写真を撮るのも、眺めるのも、それを片手に思い出に浸るのも好きだ。

だがおそらく写真には時効のようなものがあって、時の経過や眺める回数とともに、それは純粋な思い出ではなく"今、眺めている思い出”と化していく。

あの時、を現在から見つめかえしている。

あの時に戻るためには、写真とプラスで匂いがあったらいいかもしれない。

そんなことを思った土曜日でした。
本日もさいごまでおつきあいいただきありがとうございます。

「私は、私の作品と共に生きている。」

「私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。」

『もの思う葦』新潮社/太宰治

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