Avenue sakura #5 | 3rd album - Reiwa Time Slip
お久しぶりです。岡田です。
第5回です、天国自由帳(ヘブンズノート)のお時間です。今回は文字数が多いので暇な時にぜひ。対戦よろしくお願いします。
はじめに
3rd album - Reiwa Time Slip 制作中に考えていたことや制作を終えて思ったことなど書いていきたいと思います。
前回の2nd album - FOLSENSE 同様、今回も東京都内で作りました。
早いもので上京して2年が経過しました。生まれてから約20年名古屋市で生きてきた自分にとって、東京での生活はあまりにも刺激的で現在進行形の素晴らしい経験でした。今回はこの辺りの話に触れていきます
具体的にどれくらいの期間東京都に居るのか、このまま東京都で一生住み続けるのか、将来的には名古屋に帰るのか、海外に住むのか。この辺りはまだ未定なのですが20代の内は都内で生活することになると思います。近隣に在住の方は何卒よろしくお願い申し上げます。
Reiwa Time Slip とは
事の発端は2019年末
世界的にコロナウイルスのパンデミックが起こり、学生は修学旅行どころか通学する事もできず、学校教育は在宅でのオンライン授業に切り替わった。
街に出れば飲食店は軒並み休業、当然アルバイトは満足な稼ぎ得られず。
正社員雇用の人達ですら職を失った人も少なくなかったと思う。
ライブやイベントの開催はおろか友達と食事に行くことすら困難だったし、街中にマスクをつけてない人なんて居なかった。本当に居なかった。
こちらの写真は2020年の10月、金曜日午後22時ごろ。
友達と名古屋の栄(名古屋で最も人が集まる繁華街) の居酒屋で飲んだ帰りにスマートフォンで何気なくとった写真。人も少ないし土砂降りの雨が降ってた。
自分はこの時『このままだと街ごと潰れてしまう、俺らでなんとかしないといけない!』と密かに熱い闘志を燃やしていた。(本気で思ってた)(冷静に考えたらそんなわけない)
毎年アルバムを作ることを決意したのも丁度この頃だったと思う(結果オーライ)
そんでもって今回のアルバムタイトル Reiwa Time Slip 元々は2022年の5月、ビートメイクを始めてすぐの頃。作ったビートをとりあえずSound Cloudに公開してPlaylistsにまとめたものでした。先ほどの写真は元々のジャケ。
初めて歌詞を書いた時とか、曲を作った時。絵を描いた時。
スポーツ選手だったら、初めてキャッチボールをした時、バットを握った時、サッカーボールを蹴った時など。皆必ず通るけれどいつか忘れてしまう初めての時の感覚。
こういうのは後から取り戻せないし、いつでも思い出せるように。恥ずかしくても忘れちゃいけないんだろうなという思いからこのタイトルをつけました。
それと、生活する中で東京と名古屋やそれ以外の土地を行き来すると、時間の流れが違うような感覚がありました。(浦島太郎現象?)
実際、東京都は街自体のBPMが早いように感じるし、そういう部分が作る曲のテンポにも影響してると思う。一概に早ければ良いって問題じゃないけど、流行の入れ替わり方や生活のスピード感はたった2年ぽっち住んだだけでもすげー実感するし、地方の中枢を担う街は見習う部分があると感じました。
(この街、つい150年前まで江戸だったらしい)
難しいことは分からんのですが、要はこの日本という国はガチで東京都を中心に回っているらしい。そんでもって東京という街は世界的に見ても有数の大都会であることも間違いないらしい。どこ行っても人が多いし外国人も沢山いる。コンビニや飲食店のバイトとか観光とかだけじゃなく、しっかり仕事しに来ているであろう外国人も沢山見かける。
つまりこの街は常に世界中から技術もカルチャーも最先端のものが流れ込んでくるということなんだと思う。痺れるほどカッケーぜ、TOKYO(俺はNagoya,Japan)
いつか古いものになる最新
それらを踏まえて、今回のアルバムはいつか古いものになる最新というテーマで作りました。
この令和の時代にわざわざガラケーとかゲームボーイとか持って来て作り物のエモを歌うんじゃなくて、あくまで今の自分の精一杯、時間の流れと時代の変化が勝手に懐かしくしてくれるもの。特にビートはそれを念頭に作りました。
でも、この令和の時代にわざわざVOCALOID持ってきてます
アルバムの中には何曲かVOCALOIDを使用して作った曲があります。後ほど詳しく触れていきます。
都会の定義と関東における名古屋の認識
実際に2年間住んでみて、東京都と名古屋市を見比べて具体的に何がどう違うのか。間にはどれくらいの差があって何が足りないのか。関東の人たちは名古屋という街をどう認識しているのか、都会とは何か、そして、名古屋市は都会と言えるのか。
この辺りをハッキリさせるため自分なりに色々考えて回りました。
他の都道府県、市区町村のことは分からないことが多いので、自分の考えが正しいと言い切れる保証はないけれど、これまでの人生経験を元に2つの街を比較して思ったことを書いてみます。
2024年時点で日本国内における都会の定義はプロ野球の球団が本拠地としている球場がある街。あるいは、本拠地にすることが可能な街 と言うことになるんだと自分は思います。
大袈裟な書き方した割には案外おもんない結論になってしまったと反省している部分もあるのですが、自分なりに突き詰めた結果でした。
海外だとサッカースタジアムとの相関はありそう(サッカー詳しくないので有識者に問うてみたい)
日本における野球の人気や興行規模、経済効果はすごく大きいものだと思うし、日本の経済成長と野球の発展との結びつきは浅くないように思える。
難しい話はわからないのですが、日本は野球が発展した国だからそうなのであって、恐らく各国における最も人気のあるスポーツ、そのプロ興行を成立させるには交通の便が良く、人口が多い地域であることが絶対条件なんだと思う。(違ったらごめんなさい)
これを元に愛知県名古屋市はどうなのか、これも結論は47都道府県で考えたら余裕で都会。だと自分は思います。中日ドラゴンズあるし。
それでもやっぱり名古屋を都会と呼ぶには違和感がある人は居ると思う。(自分も少し違和感がある)
その理由もいくつか考えてみました。
関東地域で名古屋の出身です。と言うと体感8割以上の人から世間知らずの田舎者の扱いを受ける。これは必ずしも悪気があるというわけではなく、関東あるいは日本における都会の認識は東京23区内であり、極論、それ以外は地方という共通認識のようなものがあるんだと思う。
そもそも関東圏の方々は名古屋がどういう街でどれくらい栄えているのかを知らない人が多い、これは自分が仙台や福岡をよく知らないのと同じようなことだと思う。
確かに都会なのかもしれないし、どう言う街なのか知らんけど。知ったところでどっちみち東京どころか横浜より下じゃんという話になってくるし、だったら東京から距離が近い千葉埼玉の方が良くない?ってなる。(一理ある)
まあ、自分にとっては幼少期〜大人になるまでを過ごした場所ってだけあって、都会か田舎かなんてのはどうでもいいんですけど。言葉ではうまく伝えられないような特別な思い入れのある場所でもあるわけです。
これもいい機会なので、改めて自分の地元がどういう場所なのか説明して名古屋という土地を売り込みかけてみたいと思います
桜京岡田先生の
名古屋市紹介のコーナー
PTAが大絶賛、桜京岡田先生による特別授業のコーナーです。(無免許教師)
今回は私の故郷、愛知県名古屋市についてご説明致します。
愛知県名古屋市
面積は約326㎢、関東で例えると神奈川県相模原市と同じくらいの広さです。(なるほど、わからん)
市内は16の行政区に分けられており、それぞれの地域に特色があります。
今回は自分の住んでいた二つの区に焦点を当てて説明していきます。
・天白区
天白区は15歳まで住んでた場所なので最近のことはわからなかったり。
詳しいことはTyLAに聞くと良いと思います
自分が中学までを過ごした天白区はビルの立ち並ぶ中心部や繁華街から少し離れた場所にある住宅地域。いわゆる閑静な住宅街という雰囲気の場所でした。教育熱心な親御さんが家庭を持つ場所に選ぶケースも多く、公立中学から高校大学への進学を考えた子育てや、静かな暮らしを望む住民が多い傾向にあります。
日本全国に店舗を展開するサブカル代表の雑貨屋
遊べる本屋ことVillage Vanguard本店があります。興味のある方はぜひ。
関東の街で例えると神奈川県川崎市北部みたいなイメージ。
・千種区
16歳ごろから住んでいた場所なので自分にとっての地元という感覚ではなく、あまり知らないことも多いですが軽く説明していきます。
自分が高校〜20歳までを過ごした千種区は市内の誰しもが一度は憧れる高級住宅街の覚王山。すぐ隣には綺麗な料亭やレストランから下町人情を感じる居酒屋、ディープな風俗街まで独特な雰囲気が建ち並ぶ池下今池エリア。国内三位の入場者数を誇る東山動植物園。サイコーにちょうどいいトーキョー、ボウリング場のある本山〜星ヶ丘など。
愛工大名電や東邦高校など高校野球の名門校、中高一貫の私立、名古屋大学をはじめとする多くの大学があり。それに伴った塾や予備校も多く見られます。中学受験を見据えた子育てや豊かな暮らしを望んでこの街を選ぶ人が多い印象です。
NYのストリートを彷彿とさせる完成度の高いグラフィティーで有名なALPHA PLUS星ヶ丘店があります。興味のある方はぜひ。
関東の街で例えると東京都世田谷区〜目黒区周辺のイメージ
(足を運んだ経験が少ないのでわからないけど、横浜にもイメージ近い街があるのかもしれない)
と、この二区は主に私が生活をしていた地域です。表面的な情報だけ見ると天白や千種に住んでるやつって富裕層の親のもとに産まれたボンボンの良い子ちゃんじゃないの?と思われることも多いけど。自分の周りには昔から家庭環境に複雑な事情を抱えてる人が多かった。
自分は名古屋で最も生徒数の多い公立中学校の出身で、同級生の人間関係はすごく冷めてたような記憶があります。中学は高校入試までの通過点で、卒業したら会わなくなるし。みたいな。だから、地元の友達で成り上がる!みたいなカルチャーに強い憧れがあった。
名古屋市を大きく分けると
上記二区以外の14区はほとんど住んだことのない地域なので、詳しいことは実際に住んでいる人に聞くと良いと思います。私の主観ではありますが知っている範囲で軽く紹介します。
名古屋市は大きく分けると
・ちょっとヤンチャな南西部(緑区、南区、港区、中川区、中村区など)
・閑静な住宅街の北東部(天白区 名東区 守山区 昭和区 瑞穂区など)
・繁華街やビルの立ち並んでいる中心部(千種区 中区 熱田区 東区など)
(自分はあまりよく知らない西区と北区)(詳しい事は住んでいる方へ)
この三つに分けられると思います。自分が中学の時なんかは緑区南区港区中川あたりに気合入ってる不良が多かった覚え。
最近だと派手なファッションに編み込んだヘアスタイルのヤンキーを見かけることもあるけど、当時はヒップホップ的なグレ方してる若者はほとんどいなくて。どちらかといえば硬派な不良文化が根付いてた(ドカンとか)(長ランとか)(先輩から5万で回ってくる原付とか)
中心部はいわゆる都会と呼べる場所。家賃は少々高いけど徒歩圏内に色々なお店や職場があるので、車を持たなくても充分な生活ができる地域だと思います。クラブやライブハウスなどが数多くあるのもこの地域の特徴です。
中村区とかは住んだことはないけれど、高校の時に少し馴染みがあリます。名古屋駅付近の栄えている場所、駅から少し離れた所にはかつて名楽園と呼ばれた市内唯一のソープ街中村遊郭。西にちょっとヤンチャな地域なども混在していて面白い場所だと思います。
名古屋市内はほとんどの場所で地上を電車が通ってないので、市内は地下鉄で移動することが主になると思います。(東山線の上社〜藤が丘、守山は名鉄瀬戸線、港区中川区はあおなみ線など、電車が地上を走ってる地域もある)
名古屋は電車賃が少し高いので、住むなら地下鉄の駅の近くが便利だと思います。
家庭を持つなら天白区名東区あたりはおすすめです。子育てにちょうどいい土地だし、交通の便も良い。個人的に住んでみたいのは東区と名駅付近
派手すぎず地味すぎないを好む名古屋の土地柄、街の雰囲気は東京やそれ以外の土地の人たちから見ても魅力を感じるものがあると思う。(知らんけど)
具体的に名古屋の何が良いのか問われると答え方が難しいけど、その答えが(ガンジャ合法にするとかカジノ合法にするとか)ハッキリしてくると観光客や移住する人が増えて東京大阪に引けを取らない華やかな街になると思ってます。(俺の人生の課題)(俺は名古屋のシューマッハ)
多少贔屓目に見てるのかもだけど、客観的に見て本当にそう思います。あとそこまでブスじゃないよとも思う。(当社比) (風評被害) (イヤなら秋田) (俺は名古屋のチンギス=ハン)
3rd album - Reiwa Time Slip
前置きが長くなりましたが改めて、3rd album - Reiwa Time Slip 制作時の心境や思ったこと、このアルバムが持つ意味や狙いなど。色々きていきます。
収録曲について、ビートメイクのススメ
今回のアルバムは全17曲、その内ビートだけのインスト曲が5曲入ってます
インストの曲に焦点を当てて詳細を書いていきます
1曲目 Reiwa Time Slip
今回のアルバムのイントロの役割をしています、元々は2022年5月頃ビートメイクを始めてすぐの頃に作った曲でした。
そのころはミックスの仕方もプラグインの差し方も全くわからず、何か新しいことを始めた時に必ずぶち当たる右も左も分からない絶望状態の時期でした。
作曲するのも初めてだったので、決して良い曲ではないけれど初心者の頃の新鮮な気持ちで作る感覚ってのはあとから取り戻す事ができないような気がしたので、忘れないようにという思いも込めて一曲目に持ってきました。
曲の中で電車ののアナウンス音声などを使用しています、これについては後ほど詳しく書きます
5曲目 RAINBOW BRIDGE STUDIO
後述するボーカロイドを使用しての作曲、あるいはそこから派生したポップミュージックのような雰囲気を作ってみました。
厳密にいうとこの曲を作った場所はRAINBOW BRIDGE STUDIO(以下RB STUDIO)では無くて、只今絶賛建設中のプライベートスタジオ(おれんち) がRB STUDIOになる予定です。
友達とかと連絡取ってると『東京のどのあたり住んでるの?』と聞かれる事が何度かあって、一概に東京といってもそれなりに広い。数日間の短期滞在であれば場所も含めて予定を立てることになると思うので、曲名にしちゃった方が手っ取り早いかなと思いました。
レコーディングとか相談事とか、東京に来たついでにsakuraと直接会う用事がある方は、だいたいそこらへんの方に居ると思っていただければ大丈夫です。
よその土地から移住して生活させていただいているという身分なので、あんま悪い意味で目つけられるような振る舞いはしたくないのと、プライバシー的な部分に関わってくるので言える範囲はこれがめっちゃギリ。
11曲目 British Colombia
12曲目のハウスホップに繋がるような形でSkitを作ってみました。割と上手くできたと思ってます。
タイトルに関しては、将来的に海外に住んでみたいという自分の密かな目標と、愛知県を海外で例えるとどのあたりなんだろう?という問いに対する自分なりの答え。
ブリティッシュコロンビアと言われてピンとくる人は少ないと思うけれど、2010
年に冬季五輪が開催されたバンクーバーなどは知っている人も多いと思います。
名古屋市も過去に名古屋オリンピック構想と言われる1988年の夏季オリンピックの開催を目指して誘致していた事があったらしい。(結果は韓国のソウルでの開催が決定し、五輪招致の中心人物であった愛知県知事が自殺するなど悲しい結末に終わったとのこと)
2021年の東京オリンピック開催は皆様の記憶にも新しいと思います。実際、街を歩いていても国立競技場や選手村跡地などオリンピックの面影が今でも残っていたりする。
実現するかどうかはわからないけど、俺は生きているうちに名古屋でオリンピックが見たい。という思い。今から本気になれば、ワンチャン。
15曲目 四面楚歌
タイトルは曲のイメージからそれっぽい名前をつけてみました
今から約2200年前、紀元前の中国の言葉らしい。モンハン3rdにディアブロス亜種、アグナコトル亜種、ティガレックス亜種、ジンオウガの連続狩猟という内容の四面楚歌というクエストがあって、なんか覚えてました。あとはチェンソーマンで韻踏んでみた。
世界史は勉強してこなかったので全然詳しくないけど、ローマとか中国とかの歴史は紀元前の記録が残ってたりするから勉強してみるとすごく面白いと思う。
紀元前の日本の歴史はどんなんだったのだろうか、大きな事件や面白い話の一つや二つあったんだろうけど、記録があんま残ってないからわからないというのはもどかしい。
17曲目 仏契
アウトロの役割をしています。曲自体はボカロっぽいメロ、エレクトロなキック、ブンバップなスネア、トラップっぽいハイハットを打ち込んだら良い感じになるかなと思って作りました。実際作ってみた感想は自分が5~6年前に聞いてた海外のトラップミュージックをビートにアウトプットすると少し古いかも?という印象
タイトルはパワプロに登場する架空の大学名からつけました。仏契と書いてぶっちぎりって読むの面白いなと思って。
今回のアルバムを総括して、ラッパーこそ自分でビートを作れるようになるべき。と思いました。今現在、ヒップホップにおけるビートメイカーというポジションはDJが担っているイメージが強い。
その背景には現在行われているラップバトルシーンや若いラッパーのオーディション企画で勝ち上がるためにはビートメイクは必要とされていないスキルであることも要因のひとつだと自分は思う。
オーディション企画などを通して若いラッパーは毎年何人も頭角を表しているし、これ以上増やさずともラッパーは役者が揃ってきてるとも思う。それに対して、ビートメイカーやプロデューサーのメンツはここ何年かほとんど変わってないような気がする。どことなくシーンがマンネリ化しているように感じるのもそこが原因なのでは?今のシーンで発掘して育てるべき必要な人材はビートメイカーなのでは?と思う。
上の世代を見ても、30代40代を過ぎても作品を出し続けて一定以上の評価を受けているラッパーは自分でビートを作れる人が多いと感じる、ビートメイカーを兼任するというのは、若い才能がどんどん出てくるラップのシーンにおいて長く生き残るための術の一つでもあるんだと思う。
思うようなビートが作れるようになるまではそれなりに時間がかかるし、ある程度の努力は必要になってくる。けれど作曲素人だったとしても1~2年本気で取り組めばそれなりにできるようになると思います。
自分で納得がいくまで何度でも作り直せるし、制作のたびにいろんな人に連絡をしたりする手間が省ける。(作ることに集中できるのでこれが意外とデカい)制作費は大幅に削減できるし、浮いたところをMVや広告費やCDプレス費など他の経費に回す事もできる。
とはいえ、パソコンを買ってソフトを買って機材を揃えて、、となると初期投資もそれなりにかかってくる。それなりの環境を作ろうと思うと社会人の給料でもでもまあまあ厳しい額にはなる。
それぞれのライフスタイルがあるので無理してでも作れるようにとは言わないけれど、歌詞書いて歌える人がビートが作れるようになると良いことづくめでしかないのはマジよりのマジ。
あとは意外と女性向きの仕事なのかもしれないとも思います。自宅に篭って出来るし、機材揃えたら部屋ごとSNS映えするし。ビートテープとか作って配信するのもそんなに難しくないし、女性がビート作れたらカッコいいと思う。絶対良いモテ方する。女性ビートメイカーとかもっと増えても良いのにとか思ったり。
それはどうでも良いんですけど。とにかく、キツいのは初心者の時だけ。
15年後とか20年後とか、『名古屋の奴らってみんな自分でビート作れるのヤバくね?』ってなってるシーンだといいな。
音楽とか芸術の分野には汗水垂らして努力するイメージはないかもしれないけれど、芸大に入ろうと思ったら絵の予備校に通って無茶苦茶デッサンかきまくる生活が必要になってくる。音大に行こうと思ったら楽器を弾きまくる生活が必要になってくる。
もちろんそれには、共通テストの点数で一定以上の成績がが伴っていることも必須になってくる。(厳しいって)
自分もこの2年間無茶苦茶ビートを作りまくったし歌詞を書きまくった。元々音楽のことは素人だし、だからこそ毎日のようにパソコンに向かっては音と格闘する日々を過ごしてきたし、満足のいく結果が出るまでこの生活は続く。
才能のある人だからできるみたいに思い込んで(関係ないっしょ)早い段階で諦めてしまう人が多いと思うけど(気持ちっしょ)大事なのは根性(テストステロン)だと思ってます。
VOCALOIDの使用
今回のアルバムでは一部楽曲でボーカロイドを使用して作りました。
具体的には3曲目 雲の巣 hook、7曲目 透明の歌、8曲目 Hiraga Gennai (feat.鏡音レン)、12曲目ハウスホップ、16曲目 故郷 この5曲は一度ボーカロイドでデモを作ってからレコーディングしました。
使用したVOCALOIDは2015年発売の鏡音リン・レンV4X
今回は使わなかったけど英語での作詞にも対応してるソフトでした。
8曲目 Hiraga Gennai (feat.鏡音レン)
こちらの曲はボーカロイドを購入してすぐ作った曲で、全てボーカロイドに歌わせてみました。使い方とかもよくわからなかったのでチュートリアルみたいな感じでとりあえず作ってみました。
一度完成させたあと自分でも歌ってみたのですがキーがうまく合わなかったのでそのままの配信を決意。ビートとかも特定の何かの曲を意識して作ったというよりは、漠然としたイメージでボーカロイドっぽいものをそれっぽく作ってみた感じです。
12曲目 ハウスホップ (feat.鏡音リン)
こちらの曲は普通に作った曲に後からボーカロイドでハモリなどを作りました
ボーカロイドを使ってメロディーを打ち込むとデフォルトで『ラララ』という歌が歌われる仕様になっていたので、そのまま使ったりしてみました。ボーカロイドプロデューサーをしていた人にとっては馴染みのある音なんだと思う。
実際にボーカロイドを使用して作曲してみた率直な感想は今の自分には必要のないものであると感じました。
ただ、作詞作曲をゼロから始める時にボーカロイドを使って練習してみたりとか、ボーカロイドを通して他人に歌ってもらう感覚を養ったりだとか、曲を提供する際のデモ音源で使用したりだとか、歌のメロディーやハモリを視覚的に理解するためとか、使い方次第では試してみるのも大いにアリなんじゃないかなと思う。
特に今回はハモリを作る上で大活躍してくれました。
操作方法もシンプルで慣れたら意外と簡単に作れるし、思っていたよりも発音がしっかりしてた。ボーカロイドを前に押し出して売っていくというよりは裏方で使用するプラグイン機材の一つとして捉えるとものすごく優秀だし、日本が産んだ素晴らしい発明であると感じました。
自分のことだとMCバトルやサイファーなどのフリースタイル、今回のボーカロイドなど、気になっている事を一度試してみてから必要かどうかを見極めるってのは多少遠回りにはなるけど大事なことだと思いました。
既存の曲のメロディーを使用したビート
既存の楽曲のメロディーなどを使ったビートというのも今回のアルバムのテーマにありました。サンプリングビートかどうかを問われると微妙なところですが、似たようなもんだと思います。
サンプリングビートについてはぶっちゃけ自分も定義がわかってないところもあるのですが。ざっくり説明すると既存の曲を切って貼ってしてリメイクするみたいなイメージ。
これ著作権的に大丈夫なの?みたいな意見はあると思いますが、自分の見解では限りなく黒に近いグレーだと思います。カルチャーの一部として浸透しているので黙認されている事が多いけど、問題になってもおかしくないような作品は世界中で見受けられる。
メジャーレーベルに所属しているアーティストとかは権利的な問題でサンプリングビートで曲を作るのが難しかったりするんだと思う。自分なりにOKな線引きをした上でギリギリのラインを攻めてます。軽く紹介します。
1曲目 Reiwa Time Slip
曲の中で名古屋市営地下鉄の電車接近メロディー、東山線名古屋駅到着時の車内アナウンス、東海道新幹線東京方面の車内アナウンス音声を使用しています。
YouTubeにこれらの音声をまとめている動画があったのでそこから引っ張ってきました。
(公式のものではないと思うのですが参考動画)
明らかに悪質な使い方をしていたりであれば100%ダメなんだろうけど、自分は小さい頃から地下鉄乗ってきたし、市民にとっては馴染みのある音でもある。曲の中でのアクセントの一つとしての使用であるので、自分的にはOKな使い方していると判断しました。『よっぽどダメだったらなんか言われるやら』と思うし、『俺がこの音使っちゃダメならもうダメや』という心境。
2曲目 Aves
冒頭のや曲の中でゲームミュージックのBGMのメロディーを使用してます。
我々世代にとっては思い入れのあるゲーム、ポケットモンスター ダイヤモンド・パール 209番道路のBGMからメロディーを引用しました。
(公式サウンドライブラリより、209番道路は43:09〜)
ある程度有名なBGMは調べると楽譜や譜面演奏動画があったりするので、音階をキーボードで打ち込んで作りました。BPMも少し遅くしてあります。
3曲目 雲の巣 (feat.彩)
2009年公開 映画サマーウォーズの劇中BGMのメロディーを使用しています
小学生の頃金曜ロードショーでこの映画を見て大きく心を動かされたのを今でも覚えています。普段あまり映画に興味のない自分ですが、細田守監督の長編アニメーション映画は沢山見ました。
2009年というと自分は小学生だったので、世の中のことをよくわかってない頃だったのですが、WBCで日本代表が優勝して甲子園で愛知の中京大中京高校が優勝して、真剣に野球をやりたいと思ってた頃だったと記憶してます。
携帯電話もまだガラケーが主流だったような、まさにこれからスマートフォンの時代。みたいな流れがあったようなのをうっすら覚えています。
こちらもYoutubeに譜面演奏の動画があったのでキーボードで打ち込みました。最後のhook以外は少しアレンジしてあります。
(深夜テンションでめっちゃわらってしまったやつ)
元々この曲のサンプリングビート的なものを作りたかったので、featで入っていただいた彩にデモのビートを送って意見を交換しながら作りました。
3rd albumを作り始めた段階では彩に参加してもらう予定は無かったのですが。関東で就職が決まり住む場所が近くなったと連絡をくれたのでせっかくならと。一緒に作りました。
この曲以外にも彩のソロとかfeatのプリプロを何度かレコーディングしました。現在のRB STUDIOに引っ越す前のバチ狭い部屋で、環境も快適なものとはいえない中。文句も言わずに曲作りに付き合ってくれました。彩本当にありがとう。
曲を作った以外にも、ラーメン食べたり、彩の知り合いのツテで渋谷のクラブのナイトイベント行ってバックDJしました。こっそり東京近辺のサイファーにも行ってきました。中学生高校生が多くて年齢を感じました。
曲を作る際は『日本の夏っぽい曲、入道雲みたいな。』というざっくりしたテーマを伝えてhookを録って送りました。バッチリ32小説返ってきた。自分が提示したテーマにしっかりあってるし、リリックに一貫性がある。踏むとこしっかり踏むのはもちろん、踏み外すとこ上手く外してグルーヴを作ってるし、最後の8小説で熱が入る部分なんかは思わずテンション上がる。
この曲を作るにあたって、彩というラッパーをどうプロデュースするかということも考えながら作りました。
ここまで沢山イベントやサイファーに行って、学生遊びの延長にあるフリースタイルからゲストライブ、ピンからキリまでそれなりに多くのラッパーを見てきたし、無茶苦茶沢山のラッパーの曲を聞いてきたけど、彩くらいのレベルのラップができるラッパーはそこら辺にそう何人も居ない。と自分は思う。
けれども、今のシーンや流行を見ると彩のようなタイプのラッパーを売るのは少し難しいとも感じる。現状のシーンにフックアップされているアーティスト、シーンを作っている上の方の人たちが必要としているスタイルを考えると仕方ないのかもしれないと思う反面、こういうタイプのラッパーが日の目を浴びることの出来ないシーンでは夢があるとはいえないよなあ。とも思う。
彩含め、彼の所属するクルー狐蝶蘭や、その周囲のラッパーをどうプロデュースして売っていくかみたいなところも今後の課題の一つとして考えながら進めていきます。
具体的にはMPCとかサンプラー機材を導入してBoom Bap、Lo-fi Hip Hop、サンプリングビートの曲制作に強い環境やシーンを作っていこうと思ってます。頑張ります、ちょっと待っててね。
余談ですが昨年名古屋に一度帰った時にTyLAと植田で朝まで飲み散らかしました。Unknown PlaylistでEP作りたいみたいな話をしたので、タイミングを見てクルーでも動いていきます。
今現在は自宅にそれなりのスタジオを作っているので、半年もすれば良い感じの環境ができると思います。連絡先を知ってる方は東京に行く用事のついでに、sakuraんちで一曲録って帰ろっかな〜とか大歓迎です。遊び感覚でぜひ。
将来的にはメジャーなアーティストが使用するような本格的なレコーディングスタジオを作りたいという目標。溜まり場代わりの休憩所にもなるような、オシャでカッケー場所にしたい。TyLAも名古屋にレコーディングスタジオ作りたいみたいなことチラッとって言ってたので、同じ方面を向いてると思います。
Unknown Playlistとしてはここまで表立った活動をしてないし、普段から頻繁に連絡を取ってるわけじゃないんですけど、2人ともAB型なので。お互いの事はお互いが一番よく分かってると思います。
曲については一旦以上になります。より良いビートが作れるようにまだまだ修行します。
ART WORK : sakura (Sakyo Okada)
ジャケットも自分で作りましたので軽く紹介します。
2023年の8月にイラストを描くためにiPadを購入(高かった)配信まであまり時間がなかったので、軽くソフトの使い方を練習しながらなんとか上手く見えるイラストを描く、というのを念頭に進めました
とにかく男ウケするカッコいいものを作りたかったので
夜景!時計!ローマ数字!幾何学模様!アシンメトリー!
𝓡𝓮𝓲𝔀𝓪 𝓣𝓲𝓶𝓮 𝓢𝓵𝓲𝓹
こんな感じになりました。
先述した通り、イラストを描くのにはiPadを使用しました、色々調べてみた結果iPadでかいてるイラストレーターさんが多かった。Apple製品との互換性があるしApple Pencilが強い。
ソフトはProcreateを使いました、買い切り1000円くらいでジャケットを描くには十分だった。iPadで買い切りのものだとibisPaintとかあったので、機会がある時に他のものも試してみようかなと思います。
雑誌なんかで紹介されているようなプロのイラストレーターさんが使っているもの調べてみたところCLIP STUDIO PAINTというソフトを使っている人が多かった。
こちらのソフトはiPad版に買い切りのものがなく、バージョンによって月額500円〜980円、年額2800円〜7800円とサブスクリプションのみの販売となっていました(初心者がいきなり購入するには少し躊躇する価格帯)(PC版には買い切りのものがあった)
もう少し慣れてきたらこちらも使ってみたいなと思ってます。
これからイラストを描いたりしてみたいと思っている方は参考にしていただければ幸いですが、イラストに関することは全然わからないことが多いので、自分で調べてみたり詳しい人がいれば聞いてみたりするのがいいと思います。
ジャケットを描くにあたって色々なイラストレータさんのSNSや作品集を見漁りました。
実際に本を手に取ってイラストを見てみるとすごく楽しくて、休みの日に本屋に通っては色々買ってしまいました。
sakuraという人間がどれくらい絵が描ける人間なのかについては諸説あるのですが、正直、自己評価はあんまり高くない。ラップやってる人やヒップホップシーン、あるいは音楽シーン中であれば自分より絵が描ける人間はそう多くはないのかもしれないけど、作品集を買ってみたりイラストレーターさんのSNSを見てみたりすると、絵が描ける人たちの中ではまだまだ全然下の方であることを痛感しています。(世の中にはイラストレーターのシーンみたいなのもあるんだと思う)
元々運動部の人間だし、漫画家になりたかったわけでもなければ高校卒業後の進路に絵を描くことを学ぶなんて微塵も考えてなかった。
絵を練習しはじめたのは6年前、ラップをし始めた時と同じ17歳ごろ、曲を作ってCDないし作品として世に送り出すのであれば自分でジャケット描けた方が良いのでは?と思ったのがきっかけ(ナイス判断)(オカ津サキョ師)
そのころは通信制高校に通っていて、全日制高校に通っている周囲と比べてとにかく時間があった。勉強そっちのけでラップする傍ら暇な時に漫画とかポケモンとかをルーズリーフにスケッチしたりしてた。(最高の17歳)(代わりに学歴は無くなった)
まだまだ未熟であると実感しているけど、良い意味で言えば自分がここまで身につけてきたスキルの中で最も伸び代が大きいのはイラストだと思う。どれくらい描けるようになるかわからないけど、自分が憧れたイラストレーターの方々のように作品集を作れるくらいまで頑張れたら良いなと思っています。
細々と練習し始めて、紆余曲折を経て6年が経過して、やっとiPadでデジタルイラストを描ける環境が出来た。ここからより一層スピードを上げて鍛錬を積んでいきます。先は長い、、
ジャケットについては以上になります。
ビートメイクと少し違うのは、必ずしもアーティスト自身がイラストを描く必要があるとまでは思わない点。それなりのイラストが描けるようになるには時間がかかるし、絵を描くのが苦手なら素直にイラストレーターさんに外注しちゃった方が良い作品が作れると思う。(そのために絵を描いてる人達だってきっと居ると思う)
もちろん、ジャケットも自分で描くことにこだわりたいのであれば積極的にやってみるべき。描けないよりは自分で描けた方がかっこいいのはマジだと思う。それができる事によって聞く人たちも曲の受け取り方が変わってくるし、リリックにも説得力が出てくる。それに加えて、ここまで作ることができればアルバムの制作費とか考える必要が無くなるのはかなり大きい。
アルバムを作ったり考えている人はイラストじゃないにしろフライヤーのようなものだったり、コラージュアートのようなものだったり、ジャケットを自分で作れる方法を何か一つ持っておくと良いかもしれないと思います。
自分は絵に興味を持つのが少し遅かったしド素人だったけど、練習したらそれなりにできるようになってきました、ゴッホが画家になったのも27歳からって言われてますし、年齢的に始めるのが遅すぎるなんてことは無いと思います。絵なんかは特に。(画家なんてゴッホくらいしか知らんけど)
Music Video制作
Music Videoについて書いていきます
アルバム2曲目AvesはMusic Videoの制作を依頼しました
撮影、編集、制作担当をしていただいたのは愛知県名古屋市を中心に映像クリエイターとして活動しているTOSHIさん率いる株式会社燈の皆様
sakuraとTOSHIさんの関係性
TOSHIさんと初めてお会いしたのは2019年秋頃、まだTOSHIさんが個人の映像クリエイターとして活動していた頃。TyLAとUnknown Playlistというクルーを組むことを決めてMusic Videoの制作ができる人を探していたとき、ALPHA PLUSの店長さんに紹介して頂きました。
カメラマンさんと演者、会社と客という関係性ではあるけれど。どちらかといえば地元の先輩後輩みたいな感じでもある。(年齢は割と近い)(中学高校がギリが被らないくらい)
TOSHIさんがどういう人なのか、自分もあまり知らないことが多いのですが。初対面の時から一貫して仕事のできる人という印象。職種は違えど、自分の会社を立ち上げて身近な仲間達と仕事を回している姿や、一本の動画に対して向き合う姿勢は大きな影響を受けたし、見習うものがありました。若いのにようやっとるなあという思い。(ワシも頑張らねば)(ワシは後輩)
曲を作って公開するにはミュージックビデオの制作がひとつ大きな壁になってくると思います。
料金については各カメラマンさんと応相談という事ですが、しっかり依頼するとなればそれなりのお金が必要になると思う。
実際、今回のミュージックビデオも金額だけ見れば決して安いとは言えない。けれどもカメラマンさんも仕事として請け負っているし、安い金額でお願いしてそれ相応の物になってしまうよりは、多少値が張ってもしっかりと良いものを作ってもらう方がお互いに良い。というのが自分の考え。
今回noteを書くにあたって、株式会社燈 代表のTOSHIさんから『お客様の生活や昨今の社会状況など様々な事情があると思うので、料金は分割での支払いにも対応できます!』という旨のコメントを頂きました。
名古屋近郊でミュージックビデオ制作を検討しているアーティストの方はTOSHIさんに相談してみるのも良いと思います。
問い合わせは株式会社燈のHP、SNSのDMからでも可能との事です(掲載許可頂いてるので、sakuraのnoteとか見て連絡しましたと伝えれば大丈夫です!)
テレビ局や地方自治体からのお堅い仕事をする傍ら、愛知県を中心としたヒップホップやレゲエミュージックシーン、それら最前線で盛り上げているアーティストさん達とも密接な関わりがあり、アーティスト、ミュージシャンの生活事情や音楽カルチャーにすごく深い理解のある方でもあります。
カメラマンさんに連絡するのは、始めは緊張もするし、面識がなかったりすると、どういう人なのかとか不安でもあると思うけれど、話せばわかる。と思います
見せたいものと見たいもの。の擦り合わせ
実はこのAvesという楽曲、サードアルバム制作の初めの方にできた曲で上京してすぐの心情、東京の景色を美しく歌詞に落とし込むという意識で作りました。
2023年5月の段階でデモが完成しており、6月にはMV製作陣の皆様に音源を渡していました。
2023年6月頃、MVを制作するにあたって名古屋市内某所にある株式会社燈の事務所に案内して頂きました。(秘密基地みたいで超カッコよかった)
そこで今回のミュージックビデオの制作を中心になって担当していただいた門間さん、度會さんとお会いし、打ち合わせを進めることに。こちらからの要望として
・3分間のショートドラマのようなものを作りたい
・リップシンク(音源に合わせて歌うシーン)を少なく、あるいは全く無いものを撮影したい
という要望を伝えました。
しかし、話し合いを進める中でリップシンクも撮影することに。
これはMusic Videoを制作する上でリップシンクなしのものを作るのは少し難しい。というのもあるんだと思うけれど、視聴者がMusic Videoに求めるものを考ええると歌ってるシーンがあった方が良いという判断なのだと思う
その後、当日のタイムスケジュールと場所とシーンが書かれた香盤表を作って頂き2023年秋頃に撮影しました。
完成したミュージックビデオがこちら
撮影編集、香盤表の作成を担当していただいた度會さんから、『狭く暗い部屋で食事も喉を通らないような精神を病んでいる状態から明るい外の世界へ、綺麗な青空に飛び立つような表現で映像を作りました!』というような旨のコメントを頂きました。
小道具の準備や撮影場所の確保、移動時の会話など。演者にとってスムーズな撮影ができるように常に気を配ってくれていたのを覚えています。
たった数秒のシーンにも細かく意図があり、熱意を持って作ってくれたことが伝わりました。映像のクオリティー、完成度も自分の想像以上のものが届いてとても嬉しかったです。
今回は高校生前後くらいの年頃の男性を演じることをイメージして撮影に臨みました。年齢的にも若い役を演じたりするのは今がギリギリだと感じたので、できる時にやっといた方がいいかなという判断。
服も制服っぽいもので、髪型も校則に引っかからないようなものにうまく調整しました。
実際に完成したものを見てみるとこれは演技してる自分というのが率直な感想。初め見た時はそういう違和感から少し気持ち悪さを感じたけど、その反面、カメラの前に立つのはほぼ素人の演者にしてはうまくやれてる方じゃない?とも思った。意外と恥ずかしくはなかった。
今後もミュージックビデオはドラマっぽいものというか、しっかり物語や役を作って演技していきたい。というのが自分の思い。撮られていることを意識しすぎてしまうと緊張もするし、ぎこちない立ち振る舞いや不慣れな部分はどうしても目立ってしまうので。うまくなるように経験を積んでいきたい。
今回のまとめ
3枚のアルバム制作を終えて
2021年から始まったアルバム制作、毎年少しずつできることを増やしながら早いもので3枚を作り終えました。
この3枚については
・1st albumは制作を協力してもらう人たちへの連絡やスケジュール管理。1年という期間を肌で覚えつつアルバムとして曲をまとめる感覚を身につける
・2nd albumはビートメイクやレコーディングミックスマスタリングなどエンジニア関連の裏方を勉強しつつ最低限必要なレベルまでラップを身につける
・3rd albumはジャケットアートワークを作れるようにイラスト練習しつつ、メインストリームで流れる曲の構造を勉強し、歌を中心とした作曲に切り替える。
という当初から建てていた大まかな予定があったので、ここまでの3枚は多少失敗してもいいから練習のつもりでとにかく作って肌で覚える(習うより慣れ) という気持ちで作りました。(不器用なのでそうするしかなかった)
遠回りにはなったし、数字としての結果は出てないけど、大きく成長できた3年間だったと思います。
ここまでは名古屋に住んでいた頃に吸収した自分の感覚をアウトプットしたような感覚。一つ完結させたような達成感と思うように作れなかったという無力さの実感から来る虚無感。とにかく練習はここまで。という思い。
4th album以降 アーティストの消費期限
ここからの2〜3年は数字という形で結果が出る曲を作るという方針で進めていきます。
歌詞にしろビートにしろ、雑になっていた部分をしっかり見直して、詰めれるところを詰めていきます。ここまでの3年で作り上げたものは一度リセットして、新しく組み立て直すような気持ちで。
場合によっては強い批判の対象になってしまうのかもしれないし、古くから自分を知る人や音楽に対する情熱や愛がある人ほど嫌悪感を示してしまう。そのようなものを作ることになるのかもしれない。
この先どうなるのかは自分でもまだわからないけど、元を辿れば17歳の頃からいつかこれで生計を立ててやるという強い意志で続けてきた。この部分はずっと一貫してるし、そのために必要ならどんなことでもやってやるという思いでビートを作ったりジャケットを描いたりした。
自分は、アーティストやミュージシャンの消費期限はスポーツ選手の選手寿命と同じくらいだと思ってる。どれだけ実力があったとしても年齢には敵わないし、歳を追うごとに世間は若い才能に目を向ける。
もしもこのまま結果の出ない日々が続いて30代中盤から40代に突入してしまった時を想像してみてほしい。後輩達が作ったシーンにしゃしゃり出てデカい態度で先輩ヅラしてるような自分がいるかもしれない。という恐ろしい想像。
それは自分の求める理想の人間像、将来像とは真逆のものだし、本当にそうなれば地獄そのものでしかない。
歌詞を書いて歌を歌うという、世間からすれば痛いやつと思われても仕方ないことをしている以上、いつまでも若気の至りを履き違えた老害のおじさんと思われる前に、どこかで引退を考えるのは必然とも言える。
その上で、私たちには時間がない
厳密にいうとこれ以上結果の出る見込みのないものを悠長に作ってられるような時間は本当に無い。
しかし、自分が居た頃の名古屋には『売れるよりも大事なこと〜』だとか、『仲間達と遊べればいい〜』みたいな。危機感の無さすぎる甘すぎる空気が街全体に伝染しているように思えた。(最近の事はわからないけど)
誰が悪いとかの話じゃないけど、自分1人が変えようと必死になっても孤立する一方でしかなかった。だから嫌われる覚悟で東京来た。
説教くさい文章になってしまったけど。こういう部分は自分だけじゃなく多くの人が思っていながらも、どこか目を背けている部分でもあると思います。
とにかく、先ほど書いたような地獄でしかない最悪の未来を避けるためには変わらないといけない。というのが本音であり、今の年齢からならまだなんとかなる。というのが自分の思い。
少しだけでも理解してもらえたら嬉しいです。
今年の方針は、新たにMV制作ができるように進めていく予定です。イラストやビートメイクなども引き続き練習してみます。
実は昨年、Blenderというソフトを使っての3DCGモデリング制作に少し挑戦したのですが、パソコンのスペックに不安があったので断念しました。(今パソコンが調子悪くなったら結構ヤバかった)また新たに性能の良いPCに買い換えるタイミングで3Dのジャケや映像制作にも取り組んでみたいと思います。
SNSの更新についてですが、noteの更新以外ではX(前Twitter)を使用しない方向でいきます。これは自分に限っての判断なので周囲の皆様は今まで通り続けて頂いてで全く問題ないです。
長くなりましたが、今回は以上になります。大容量、約22,000字。
まだまだ東京で修行してます。とは言っても名古屋と東京の距離なんて結構近い、日本の夜明けくらい近い。こちらの土地では真面目な好青年として生きているので、襟足のサクラの異名でぶいぶい言わせてた頃の話は絶対に内緒な、頼むぜ。
次回、『Avenue sakura #6 【最終回!?】リオレウスの逆鱗さわってみた。』でお会いしましょう。デュエルスタンバイ。それでは。
サクラ卍
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