適当に書き連ねる駄文
こんにちは。砂石 一獄(さいし ひとごく)です。
ちょっとした思い付きでnoteを開いてみたところ、アカウントを作ったまま放置しているのを発見しました。お恥ずかしい話ですが、作った事さえ忘れていました。
かといって、特筆何か書きたいという訳でもありません。「小説家になろう」にて小説執筆を行っておりますが、それとこれとはまた別の話。
と言う訳で、今回は「一体何を話そうか」という議題について文字を書き連ねていきます。
何だか、マトリョーシカみたいですね。
小説のようにプロットを構築している訳でもなく、イラストのように下書きがある訳でもありません。ただ、思考の行く末のままに、思いを書き連ねていきます。
そもそも方向性を決めるというのは、いわば「作者の色を作る」ということにもつながる訳です。
読み手側には、「この文章を読めばこういった情報が得られるはず」という”期待”が前提としてあります。
まずは”期待”についてもう少し自分なりに言語化してみます。
・期待はどこに生まれるのか
様々な人からの「期待しています」という言葉の裏にはどのような要素が含まれているか、その具体的な内容について、ある程度言語化していこうと思います。
「その個人が所有している発言・能力に伴った実績から生まれる、次の行動予測」……敢えて難しい言葉選びをしましたが、おそらくこのように言語化できるのではないでしょうか。
比例として、広辞苑(第七版)の文面も引用しておきます。
【将来その事が実現すればいいと、当てにして待ち設けること】
とのことです。自分の期待した結果が、実際に発現した時。待ち望んでいた結果を目の当たりにした時、「期待通りの成果」として人々は幸福に満たされます。
しかし、その期待に対して、望んだとおりの結果でなかったり、不祥事等により最悪の末路を辿った時。人々は「期待を裏切られた」として不信感を抱きます。
一度抱いてしまった不信感は、二度と戻らない。
簡単なようで、案外見失ってしまうからこそ、自身への釘刺しとしてもこの文面を残しておきます。
……話がずいぶん逸れましたが、次の話に移ります。
・期待を受けることによるモチベーションの変動
人は、みな等しく承認欲求と言うものを兼ね備えています。
では”承認欲求”とは具体的に何か。もう少し細かく書いていきましょう。
心理学者マズローA.H.Maslowは、人間の基本的なニード(欲求)を五段階に分類しました。
①生理的ニード
②安全のニード
③所属と愛のニード
④承認のニード
⑤自己実現のニード
以上の五つのニードが存在し、①が最も下位——つまり、本能的に満たされなければならないニードであり、それがある程度充足された段階で次のニードに上がっていきます。
承認欲求に関係する部分は④に当てはまる訳ですが、改めて考えればかなり高次のニードであることが伺えますね。
ただ、ネット社会においてはニードの優先度が変動し、低位と高位のニードが個人間で入れ替わっている可能性も否定はできませんが。あくまで、可能性という意見として並べておきます。
……少し話が逸れてきましたので、本題に戻します。
このnoteの方向性についてですが、結局のところ何も考えていない段階ではこうして駄文を書き連ねることしかできません。
何が正しくて、何が間違っているのか。
そもそも、間違っているという事さえ認識していないのではないだろうか。等と何となく考えながら、適度に思いの丈を書き連ねることが出来ればいいな……と現段階では考えております。
そのため、上記で語りました”期待”ということに私自身は何も答えることの出来る能力・技量等は持ち合わせておりません。ただ、自分の好き勝手・想いのままにいい加減なことを語れればいい。
そうすれば、おのずと何か答えが見つかるかもしれません。
そろそろ、話の方向性もあやふやになってきたのでここで終わりにしたいと思います。次回の文章内容も、当然未定です。
それでは。