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母の日のセメタリー

私の住むトロント市内のミッドタウンに、
「マウントプレゼントセメタリー」という庭園墓地がある。 
一八00年後半から存在する、十六万人もの最後の休息所。
市民の憩いの場としても愛されているこの墓地に私もよく足を運び、
六百種を超える灌木や木が点在する園内を散策して回る。

四季を通してカーディナルやブルージェイズが枝から枝へ飛び回り、
リスは美しい墓碑や彫像、記念碑の周りを駆け回る。
アライグマや兎もよく見かけるし、鹿にも何度か遭遇したことがある。
二つの大きな渓谷と密接しているので、そこからやって来るのかもしれない。

二百エーカーという広さで、車で敷地内に乗り入れられるゲートが三つあり、
そのまま目的の場所まで運転して行くことができる。
このような広大な墓地が、ダウンタウンから車で十分という距離にあるのだ。

此処に、Weeping Beech(ウィーピングビーチ)という枝が垂れ下がるタイプの巨大なブナが一本あって、必ず立ち寄る。
夏には枝一杯に緑の葉が張って木の全体を覆い、その枝を潜り幹に寄り添って上を見上げると、木漏れ日が光って、日光を通した葉の色が美しい。

荘厳で、贅沢な気持ちにされてくれるこのブナは、
「三十四年前に故人に捧げ植樹された」と根元にあるプレートに記されている。
この墓地の木々は、その時代から眠っている先人達の傍らで、静かに歳を重ね、
巨木となって根を張り続けているのだ。

あまりに広大な敷地なので、入ったゲートから遠くに行かないよう、散策する範囲は決めてある。
しかし一度だけ、帰り道の方向が分からなくなったことがある。
夏の終わり頃であったと思う。

珍しく考え事をしながら歩いていたら、ゲートから随分離れた所まで行ってしまった。
戻るより、このまま進んで反対側のゲートまで行った方が近いかもしれないと思ったが、地図の看板が見当たらない。
携帯は家に置いてきた。
見渡す限り人気がない所にひとりポツンと居るのである。

来た道を戻って行こうにも、いつものルートから外れていて目印も無く動けない。
時は夕方遅くで日が随分傾いている。
ただでさえ心細いのに、メープルの大木たちがザワザワと風に揺る音が次第に大きくなってきて、恐怖感を煽るのに効果覿面である。

そのうち真っ暗になってゲートも閉まり、一晩此処で過ごさなければならない場合を想像した。それは絶対に嫌だ。
なんとしても帰り道を見つけなくてはならないと思いつつ、私は半泣きだった。

しばらく考えて結局、「多分、こっちの方だろう」と一か八かで歩き出すしかなかった。
すると十分程で、見覚えのある所まで奇跡的に戻ることができた。

これまでの人生、沢山の「一か八か」を繰り返して来たが、吉と出て良かった。
あまりの安堵感に鼻の先がツーンとした。
 

この迷子の一件から何年か経ったある年の春、晴天の昼下がりに訪れた時の出来事は、特別な記憶として残っている。

五月の週末で、墓地までの道中、花を手に歩く人達が目立っていたので
「そうか、今日は母の日だった」と気づいた。

墓地に入ると、いつものように私はただブラブラと、駆け回るリスたちを眺めながら歩いていた。
すると、ある墓碑の前に立っていた三人に目が止まった。

一人は中年の男性で、あとの二人は十代前半の姉弟のようだ。
三人は無言でしっかり肩を抱き合っていた。 

一塊のようになっている三人の後ろ姿は、出来たばかりの傷口のように痛々しかった。

彼らの足元には、掘り起こし盛られた土がまだ新しい。
そこで永遠の眠りについている人は、きっと彼らの母であり、妻であろう。

この母の日を墓前で迎えた三人の後ろ姿を目の当たりし、胸が締め付けられる思いで立ち止まりそうになったが、故人に祈りを捧げながら、重くなった足で後ろを静かに通り過ぎた。

帰り道、私の心は彼らと共に墓前にあり、残された家族の気持ちを想い、
まだ若い家族を置いて逝かなければならなかった故人を想った。
 
受け入れ難き現実に直面し、計り知れない悲しみの中で微動だにしない
三人の佇まいは私の胸を打ち続け、人生において皆に平等にやってくる永遠の別れを考えざるを得なかった。
そして、日々の自分の在り方を見つめ直そうという謙虚な気持ちになった。

マウントプレゼントセメタリーを訪れる度に、まるで瞑想しているかのように静かな気持ちになるのは、たっぷりと豊かな庭園風景に癒されているだけではなく、
手厚く葬られた故人たちの痕跡を辿って行くからなのだと、
この母の日に思った。
 


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