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映像と写真の間にあるもの

 先日、濱田英明さんの展示「時間の面影」にお邪魔してきました。
 自分が見たもの、感じたことをいちいち言葉に置き換えるのは野暮だと思うのですが、かねてから感じていたものの正体が少し見えた気がしたので、備忘録がてら書き起こすことにします。

 私は写真が好きです。見るのも、撮るのも。
 でも映像は苦手。なんか頑張って観なきゃいけない気がする。作ることなんてもってのほか。
 スマホ、サブスク、果てはなんとかトックが蔓延る現代において、いまだに私は、映像とはじっくり腰を据えて、視覚、聴覚それに思考の全てを投下して観なければならないものだと思い込んでいます。
 アニメも、映画も、好きな音楽のMVも。特にアニメやドラマは一気にまとめて観たい。大きな塊にした時間の中に、一連の映像作品をぶち込んで消化したい。
 それが私の映像に対する思考。さながら強迫観念みたいなもの。
 だから乗車時間が30分にも満たない電車やバスで、細切れにしながらアニメやドラマを観ている人、すごいと思います。

 一方、写真は時間に拘束されずに鑑賞できるので、気楽なものです。
 手元のスマホで、いつでもどこでも簡単に。それが適切な鑑賞方法かどうかはさておき、時間や空間に対して自由でいられる。
 時間がないから今はやめようとか、音が出るからここでは観ないでおこうとか、そういう抵抗感はあまり生じません。
 そして、きっとこの映像と写真に対する思考の違いこそが、展示会場に足を踏み込んだときに私が感じた違和感と若干の抵抗感の正体だったのだと思います。

 言葉にできたのはここまで。
 結局のところ、私の思考は、ここまで生きてきた時間の経過の中で、ずいぶんと「時間」という観念に支配されてしまっているのだなと感じるのでした。


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