勝手な分離意識と、「できる」「できない」視点
最近とあるプログラムを通して大切な気づきがありました。
勝手な分離意識、持ってない!?
誰かに何かを教わる時
「私」の位置、めちゃめちゃ源流から遠くない!?
現実としてそういう図式はあったとしても
自分の意識が最初から源の「そのもののエネルギー」と分離してる。
例えば「バレエ」というそのもののエネルギーだったり
「サッカー」そのもののエネルギーだったり
「〇〇整体」そのもののエネルギーだったり
「△メソッド」そのもののエネルギーだったり
みんながつながっている源には全てあるのだから、なんでも同じ。
これ、わたしmanakiでやるところでした。
まだわたしはmanakiの源流とは近い方だけれど
私に教えてくれた先生はもっとできている。私はまだまだできない。
「できない」から、「できる」人から教わらなきゃ
勝手に上下や分離意識を生み出している自分に気づいてゾッとした。
このままmanakiを伝える立場として進んだら、広まっていくほどに分離やできるできないを生み出してしまう。
そのままの意識で進んじゃだめ〜〜〜!!!危ない危ない!
これは教える側の人も、教わる側の人も同じ。
そりゃなかなか習得できないし、その意識で伝えてもまた「できない」人を生み出してしまう。
もちろん経験や元々のセンスによる「個」としての細かな技術の差はあると思う。そこは真摯に受け止める。
だけど、意識は源そのもののエネルギーにいつでもアクセスできるのだから
先生はそのアクセスのコツやポイントをよく知っている人なんだ♡
そんな風に意識を変えると、「manakiそのもの」の意識でクラスをしていると、伝わり方や自分自身の実感もグンと変わりました。
今までは「できる」人が「できない」人に教えるという図式が
当たり前だったと思うけれど
これからの世界は、個としてのこまかな技術の差はあれども
できるできない意識じゃなくて
ただただ、みんなが持ってる源そのもののエネルギーとつながっていくだけ。先生はつながりを思い出すサポートをする
そんな構図に少しずつ変わっていくのではないかなと感じています♪
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