大人は正しいものだと思ってる子供だった。だからこそ大人も間違うし間違ってもいいんだよ。と伝えておきたい。
意外な気付きのあったマヨネーズエピソード、読んでいただけました?
この彼女と話していたときに出てきた
「子供に何かを伝えるときに矛盾があってはいけない」
子育てでこのことを大事にしている方はいらっしゃるでしょうし
ある意味では大切だとわたしも思います。
だけど。。
この「矛盾のなさ」と、「正しさ」や「完璧さ」はイコールではない。
そんなふうに思うのです。
ふと、思い出すシーンがあります。
小学校のころの担任の先生にとても"おもしろい"先生がいました。
先生はいつもユニークなエピソードを話してみんなを笑わせ、授業を盛り上げていて、わたしもこの先生のおもしろ話を聞くのが好きでした。
だけど、まだまだ小さな年齢の子どもたち。
ちょっとしたことで、人と同じようにできなかったり、自分の気持をうまく表現できなかったりして、涙があふれることもある。
そんなとき例の"おもしろい先生"は
話を聞くわけでもなく、寄り添うわけでもなく
涙がこぼれないように真っ赤になって絶えている子を揶揄するような歌を歌って、踊ってクラス中で笑い飛ばし、その子以外のクラスのメンバーを盛り上げていた・・・
もしかしたらそれで涙が吹き飛ぶ子もいたのかもしれません(記憶にはないけど)
だけどわたしも含むそういう場面で真っ赤になっちゃう子たちにとっては
なんにも救われることはなくて、余計に悲しく惨めな気持ちになって
なんとか絶えていた涙も溢れてしまって、そしてまたからかわれて。。
いったい何がしたかったんだろう。あの先生は。。。
普通に人としてどうかと思うし、先生としては言わずもがな。
と、大人になった今では冷静に突っ込めるのだけど。
だけどわたしが子供のころ
「大人」は正しいものだと思っていて
「先生」は立派な人なんだと刷り込まれていた。
だから「正しい」先生が泣いてる人をおかしいというのなら
ここで泣いてしまうわたしがおかしいんだ。駄目な人間なんだ。
そうやって自分にバツをつけたことは、この先生によるものだけでなくて
そして一度や二度ではない。
「正解」で「間違うことなんてしない」と思い込んでいた先生もお母さんもお父さんも一人の人間だし、完璧なわけないよな、と今では普通に思えるけれど、子供の頃はそんなこと思いもしなかったなぁ。
別にそんな大人たちに「私は完璧で間違うことなんてないのよ」と言われたわけではなくて。
ただ「間違ったところを認める」という姿はほぼ見なかったし
見せたくなさそうだったことだけは覚えている。(←バレてるけど)
「間違っちゃいけない」「正解を求める」子育ては
大人も、子供も硬く苦しくなっちゃう
だからね。だから。
大人も間違うことがあるんだよ。
できないことも苦手なものもたくさんあるんだよ。
でも、得意なことも好きなこともたくさんあるよ。
間違うことがあってもいいんだよ。
そもそも、正解なんてないんだよ。
探してもいいけど、とらわれなくてもいいんだよ。
だから、たくさんの中から少しずつ「私はこう思う」を見つけていこうね。
うちの子達はまだ5歳(まもなく6歳)と3歳。
これらのことを伝えても全部は理解できないかもしれない。
やっぱり正解を探したがるかもしれない。(現に息子は正解が大好きなクイズやなぞなぞにハマってます♫)
それでも、伝えておきたいことのひとつです。
あ、もちろんこういう前提の上で、ママ自身が大切だと思ってることはしっかり伝えます。
子どもたちの前で雑なママとかおっちょこちょいなママっぷりを遠慮なく見せまくってるせいか
あれこれやらかしても「ママだからね〜(笑)」と納得されるようになりました^^;
娘の顔(笑)
くろかわさいこ
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