なぜ私は、練習した曲を嫌いになっちゃうんだろう。
新年というのに、巷では感染症が大流行中。
職場でも、仕事仲間が次々とダウン。
年末とても忙しかったから、新年会ぐらいやろうよと話していたが、それも流れた。
感染症にかからず、風邪も引かないのは私だけ。
仕事柄インフルエンザ予防接種は皆受けるものなのだが、私はアレルギーのため受けられない。
それでも、これまで一度もインフルエンザにかかったことがない。
過酷な人生を送ってきた代わりに、神さまが丈夫な体をくれたのかな…だから死なずにすんだのかもしれない。
丈夫なのはいいことだけれど、病に倒れた同僚の仕事をカバーする役目が回ってきやすいのはどうなのだろう。損してるな、と思ってしまう。
余計に働いた分は、必ず休みをもらうと決意する。
皆さま、あたたかくして、風邪を召されませぬよう。
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今月末、所属楽団の演奏会がある。
私はプログラム作成係をしている。
プログラムの最後に次回演奏会の予告広告を載せるため、代表に開催日と会場、掲載内容を問い合わせた。
そこで私は初めて次回の演奏曲目を知った。
ブラームス 交響曲第2番。
…またブラームスかよ…。
私、ブラームスの曲、好きです。
大学で管弦楽団に入団する前によく聴いていたのは、ブラームスの交響曲第1番。
大学オケに入団後、ブラ1をやると聞いたときには、飛び上がって喜んだ。
5ヶ月練習し、ステージに乗ったが…ブラ1、好きじゃなくなった。演奏してから一度もCDを聴いていない。
昨年、今所属している楽団では、ブラ3を演奏した。あんなに好きな曲だったのに、もう聴く気になれない。
オケの曲だけではない。
チェロの個人レッスンでは、バッハの無伴奏チェロ組曲を度々見ていただくが、先生から合格をいただいた後は弾かなくなってしまう…というか、むしろ弾きたくなくなる。
たまに人前でご披露する際には再度練習するけれど、その後はやっぱり弾かなくなってしまう。
弾きたい曲をマスターしたんだから、嬉々として弾きまくるだろうに。
そうならないのはなぜなのだろう?と思い、理由を考えてみた。
①飽きる
散々練習したからもういい、と思ってしまう。
②できたという成功体験よりも、散々怒られた記憶のほうが強烈に残ってしまう。
たぶん、これが大きい。
③上手に弾けるようになったという実感が薄い。
人前で弾いても、ああすればよかった、もっと弾けたはずなのに…、という後悔ばかり。
④マスターしなければならない曲に取り組んでいる最中は、過去の曲をさらっている時間が惜しい。
練習時間を確保するのも大変なのだ。
⑤演奏をほめられたことがない。
記憶にない。ヘタなんだから、あたりまえ。
⑥演奏を楽しんでいない。
実は、そう。仕事感覚に近い。給料出ないのに。
もう少し出てきそうではあるが、こんなものだろう。
結局、楽しくないんじゃん。
…ということに気づいてしまい、ガッカリ。
じゃあ、なんでやってるの?…わかった。チェロを弾いている自分が好きなのだ。それだ。
これからどうしよう…。
先ず、人にほめらるれことを期待するのはナンセンス。他人の評価なんて、その人との人間関係のしがらみや、その人の感覚でしかないから。
自分のモチベーションを上げることを考えよう。
今はとにかく上手くなりたい一心だ。
自分自身で成功体験を意識するのが良さそう。
昨日より出来るようになった部分を探すことにしよう。
目標はスモールステップがいい。
曲全体を考えて、「今回はここを歌えたら上出来!」とし、欲張らない。上手くできた部分を少しずつ増やしていくようにする。
作曲家はどんな人で、どんな背景で作られた曲なのか。そのようなことも勉強するよう、先生に言われた。
作曲家が生きた時代や国のことなんかを知るのは面白いと、最近気づいた。
自分の弾く曲に反映できたら素敵だ。
…書きながら思い返してみると、昔は何にも考えず、楽しくチェロを弾いていたように思う。
「“自分の演奏はヘタだな、才能ないんだな”と思えてきたら、耳が肥えてきた証拠。実は一番の伸びどき。」
と言っていたのは誰だったろう?
今が踏ん張りどきなのかもしれない。
2025年は、「楽しく演奏できました」を経験する年にしよう。
ちなみに、タイトルに貼った写真ですが、向かって左が今レッスンしているシシリエンヌの楽譜で、右が次に習うエレジーの楽譜。おたまじゃくしの多さの違いがお分かりでしょうか…。
前回の記事、先生に送った年賀状に「エレジー、本当にやるんですか⁉︎弾ける気がしません。」と書いたのはこういうことでした。