【既刊紹介】『家族にとってのグリーフケア』
◆坂下 ひろこ 編著 『家族にとってのグリーフケア』
2019年03月27日初版発行
「グリーフ」とは「喪失に伴う様々な反応」ということで、多くの場合死後のケアのことを「グリーフケア」と呼びますが、本書では「グリーフケアについては、大半の医療者は「遺族ケア」(=死後のケア)と考えがちだが、当事者(家族)たちにとっては、闘病中の患者と家族のためにしてくれた人間的な配慮の数々や、手を尽くしてくれた医療行為そのものによって、死別後の悲嘆が底支えされているものと捉えられている。」と考えています。
そんな本書の紹介を、ライターである棚澤明子に書いていただきました。
グリーフケアの向こうにあるもの
『家族にとってのグリーフケア—医療の現場から考える』書評
■悲しみに寄り添うとは、なんと難しいことなのだろう
私はライターという仕事柄、人に話を聞かせていただく機会が多い。とりわけ、人生にまつわる話が多いのだが、時折、話を聞きながらはっと立ち止まることがある。これは、この方が抱えているグリーフだ。この声に耳を傾ける行為は、取材であると同時にグリーフケアでもあるのだ、と。そう理解しながらも、沈黙に耐えかねて「分かります」と口走り、口にしながら「私に分かるはずなんてないのだ」と猛省する不甲斐なさ。安易な一言を飲み込んだとしても、かわりに気の利いた言葉が出てくるわけでもなく、立ち尽くすしかない無力感。悲嘆を抱える人に寄り添うとは、なんと難しいことなのだろう。
そんな思いから、グリーフケアや傾聴に関する学びの入り口に立ち、『家族にとってのグリーフケア—医療の現場から考える』(坂下ひろこ編著)をいま手に取っている。
■「小さないのち」から生まれた1冊の本
編著者である坂下ひろこさんは、1998年に1歳の長女あゆみちゃんを急性脳症で亡くされている。その後、幼い子どもを亡くした遺族が安心して思いを打ち明けあえる場「小さないのち」を立ち上げ、少しずつ歩いてこられた。
本書は「小さないのち」が医療従事者に向けた講演会を開いた際に登壇した母親やきょうだいの講演原稿をまとめたものだ。それぞれの方が、異変から告知、看取りに至るまでの心の揺れを絞り出すように書かれている。坂下さんが事前にじっくりと話を聞いた上で本人に文章に起こしてもらい、医療従事者に正しく伝わるよう二人三脚で修正を繰り返して仕上げたそうだ。
あとがきによると、執筆過程ですべての母親が泣いたが誰1人途中で止めるとは言わず、坂下さんも妥協をしなかった、という。母親たちの悲しみの大きさと生きる力、その力を信じ切った坂下さんの思いの深さ、両者の絶対的な信頼関係。すべてに圧倒された。
■グリーフもグリーフケアも、日々の暮らしのなかにある
弱り切った母親に医師がかけた「この子は助けるべき命なんです」という言葉、切羽詰まった状況のなかで1枚の家族写真を撮らせてくれた医師の心遣い、ベビーカーに乗せて院内を楽しく走りまわってくれた看護師の姿。我が子は大切にされたのだという確かな手応えは、グリーフに押しつぶされそうになる遺族をぎりぎりのところで支えている。その反面、丁寧な説明を省く医師、雑なケアをする看護師の姿は、結果的にグリーフを耐えがたいものにしてしまう。グリーフは「我が子の死」という事実からのみ生じるのではない。死別に至るまでのさまざまな出来事から心が受け取ったものが、グリーフの濃淡をかたちづくる。グリーフケアは死別後のみならず、医療のなかにもあるのだ。
そして、改めて思う。グリーフもグリーフケアも日常のなかにある。生死に関わらずとも、誰もが日々の中でさまざまな喪失を体験してグリーフを抱え、交わる人々によってそのグリーフの濃淡を左右されるのだから。人間関係とは、本来そのような繊細さを孕むものだ。けれども私たちは往々にしてそれを忘れ、苦しむ人を置き去りにし、一時しのぎの便利な言葉に逃げ、ひとりよがりな優しさに酔いしれさえする。そのなかで灯台のような光を放つのが、悲嘆を抱える人に黙って寄り添い、声にならない声にまで耳を傾ける人々の存在だ。瀬戸際のところで人を支えるのは人である、ということ。突き詰めれば、人が生きる意義も希望もそこにあると思えてならない。
■グリーフケアの向こう側
本書に登場する母親たちは、死別から年月を経て大学院に進学して心理学を学んだり、児童福祉の現場で奮闘したりと、それぞれのグリーフを昇華させているように感じられる。その道程に胸を打たれると同時に、彼女たちは決して悲しみや苦しみを忘れて“元通り”の日常を取り戻したわけではないのだろうと思った。グリーフの中に我が子が生きた証があり、母である自分の存在がある。それをすっかり手放すことも、また悲しみであるにちがいない。では、グリーフケアの目的地はどこなのだろう? そう思いながら読み進めるなかで「グリーフを抱えやすいかたちにする」という表現にはっとした。望まぬ道、まさかの道を歩むことを受け入れて立ち上がるとき、グリーフが抱えづらいかたちをしていたら苦しい。
話し、聞き、語り合い、長い年月をかけてグリーフが抱えやすいかたちに変わっていくとき、当事者の側にもケアをする側にも、人間本来の陰影に富んだ濃密な世界が見えてくるのではないか。そして、その世界が見えてきたときに、人生のフェーズは変わるのではないか。坂下さんと6人の遺族が垣間見せてくれたその世界に、いつの日か私も到達したい。そう願いつつ、耳を澄ませていこうと思う。
棚澤明子(たなざわ・あきこ)
フリーライター。雑誌やWEBにてインタビュー記事を中心に執筆。著書は『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』、『福島のお母さん、いま、希望は見えますか?』(ともに彩流社)ほか。
『家族にとってのグリーフケア 医療の現場から考える』
坂下 ひろこ 編著
定価:1,800円 + 税
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