【既刊紹介】『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』『福島のお母さん、いま、希望は見えますか?』
そろそろ10年。であろうが、なかろうが読みたい本
強烈に感じたのは
私が「父親」だからなのかもしれないが、
読み進めていく中で、
「母」のもつ、この圧倒的な強さは
いったいなんなのだろうと随所で感じた。
ある母は
小さな子ども2人を連れ、
崩れかけた家を出て、
遠くへと避難する決断をひとりでする。
ある母は、
やっとみつけた仕事に
避難先のホテルから通い、
給湯室で子どものお弁当をつくり、
きちんとお化粧もする。
ある母は、
避難者が集う場所をつくるために、
経験のないカフェの立ち上げを、
たった1年で実現する。
ある母は、
原告団の代表を勤める。
ある母は、
避難先での生活に追われながら、
国連で窮状を訴えるスピーチ原稿を仕上げる。
――外国の話ではない。日本の話だ。
あの天災。からの人災
2011年3月11日に起きた東日本大震災。
ともなって起きた福島第一原発の事故。
高濃度の放射能が飛散し、避難した人、できなかった人、しなかった人、避難してから戻った人、戻れなかった人、戻らなかった人。
その人たちが、福島第一原発の事故のあと、どうなったか、どんな心情をもったのか。
本書は、その人たちの中でも「母」に焦点を当てたインタビュー集だ。
突然起きた大惨事と混乱。判断するための情報が少ない中、どう行動すべきか。
一時的な避難先にいつまでもいられるわけもなく、今後の衣食住は……。
そんな中、一貫して母は強い。
行動する。
その原動力は「子ども」であることは想像がつくし、そう語る母も登場する。
しかし、だ。
ひるがえって父親である自分が同じ状況で、近しい行動ができるか。
できたとしても彼女たち、「母」ほどの強さをもって、
直感・確信をもってのぞめるだろうか……。
もうひとつのキーワード
また本書に登場する母たちが、
おしなべて口にするのが「次の世代」という意味の言葉。
好きなコメントなので、ある母の言葉を抜粋させていただく。
「先祖から引き継いだ命を次の世代へとつないでいく。いまバトンをもっているのは私」。
シンプルでいい言葉だ。
私は母親ではなく父親だが、
それなりに年経た人間として「次世代」について考えることもある。
なにも「母」だけが次世代について考えるとは思っていない。
しかし「母」が「次の世代」というとき、父親のそれとは違う。
その言葉は血肉が言わしめている。
私が「母」という存在に対して敬意をもつタイプの人間だから、
「母」を神格化したい、わけでもない。
正直、母の強さを明確に言語化できたわけでもない。
自身のお腹に命を宿すから。
もちろんそれはあるだろうが、
それだけが「母の強さ」の理由ではないと私は“感じる”。
ただ母の強さを、
本書を読む前よりも強烈に確信したことは間違いないし、
では自分は……と考え、
自分の背筋を伸ばすには充分だった。
怒り
「母の強さ」、と書いた。
しかし避難後に妊娠、自身が受けた放射能の影響で、
生まれてきた子どもが将来、ガンなどの病気になるかもしれないと、
布団の中で考え込む母もいる。
「生んでしまってごめんなさい」と。
「強い母」が、そうでない一面をもっているであろうことくらいは心得ている。
にしても、この「生んでしまってごめんなさい」には頭にきた。
正確には、
いち母親に「生んでしまってごめんなさい」と思わせてしまう環境を生み出した原因に対して強い怒りを感じた。
母親には、絶対に言わせてはいけない言葉だし、
生んでしまってごめんなさい、と思われていい子どもは、ひとりとしていない。
この発言だけではなく、
読み進めていると、怒りを感じる話題は挙げればきりがない。
放射能によるさまざまな影響を、
国は認めたがらない、とか。
東日本大震災から1か月ちょっと経ったころに、
避難所のあちこちで、子どもたちが大量の鼻血を出していたのに、だ。
いい変化
私は、感情をモチベーションにした自分の行動は、自分で信頼することにしている。
その行動がいい結果を生むかどうかは別として。
いろいろ腹の立つことを本書を通して知ったことで
ニュースを見る目や、
いろいろな社会問題や社会意識に対する距離感が変わった気がする。
つまり以前よりも能動的に、興味をもって接するようになった。
「政策」の意図が気になるし、
エネルギー問題は気になるし、
SDGsとか、いいねと思うし。
いくつかの問題が自分ごとになってきた気がする。
いろいろ判断しやすくていい。
結果、自分の中で形になっていなかった「次世代」という言葉が輪郭をもちはじめた。
ぼんやりと形が見え始めたくらい、ではあるが、
予想していなかった、私の中での変化だ。
5年後と8年後
ここまで書いてから、本書の基本情報について触れるのもなんだが、
本書は2冊にわかれている。
1冊目は、
東日本大震災から5年を経て書かれた、
『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』(彩流社・棚澤明子・2016年)。
2冊目は、
同震災から8年後に出版された、
『福島のお母さん、いま、希望は見えますか?』(彩流社・棚澤明子・2019年)。
2冊目に「希望」という言葉が見られる。
5年後と8年後で母から語られる言葉・気持ちに変化はあるのか。
そのあたりに目を向けて再読するのも興味深かった。
書き手のちから
1冊目『福島のお母さん、聞かせて、その小さな声を』の冒頭で
著者は、こう書いている。
「私はジャーナリストではありません」。
いち母親である、という。
しかしジャーナリストではないからこそ書ける一冊なのではないか。
特殊な場所から見ているのではなく、
みんなの目の高さと近い場所
母親という卑近な視線でとらえてアウトプットされているからこそ、
私の背筋は伸びたし、
ある種の社会問題への心理的な距離が近くなった。
ジャーナリストが書けば、いわゆるノンフィクションに相当するのだろう。
著者は、自身をジャーナリストではないというが、
本書は読み手ごとに得られることが異なるであろう、
そして繊細な著者だから書ける、
良質なノンフィクションであると、
私は勝手に思っている。
最後にひとつだけ
ここで筆を置こうと思っていたのだが、
最後にひとつだけ。
この本を読んで
「風化」は恐ろしいと言われる理由がわかった、
ような気がするのと、納得できた。
中学生の頃に、
戦争は語り継がれなければならないと教わった気がする。
事実を「風化」させてはいけないと。
が、なぜ「風化」させてはいけないのか、
誰も教えてくれなかった気がする。
あるいは深い興味をもって接していなかったのかもしれない。
が、やっとわかった。
というか納得できた。
「風化」が恐ろしいのは、
「風化」が人間の進歩を妨げるからだ。
語り継がれなければ「なかったこと」になる。
太平洋戦争も、水俣病も。
東日本大震災も。
語り継がれれば、学べる。
「なかったこと」になれば、何も学べない。
そうなれば人は進歩しない。
また同じことを繰り返す。
東日本大震災から5年後に1冊めが刊行されている。
そのころ私は、当時まだ苦しんでいる人がいることを知らなかった。
8年後に2冊目が刊行されている。
そのころ私は、東日本大震災を「歴史上の事件」にしつつあった。
学んでいない。
生きているだけだ。
人間なのに。
恐ろしい。
東日本大震災から、そろそろ10年たとうとしている。
いわゆる「節目」。
節目はじつは関係ないが、
読むべき本だと、
私は勝手に思っている。
<ペンネーム>
汽水 丹治(きすい・だんじ)
<プロフィール>
編集者。昭和40年代後半生まれ。小学4年生くらいから大学生くらいまでは読書が趣味。社会人になってからは、年に数冊を読む程度。現在の趣味は、お酒を飲みながら料理をすること。二児の父。