なぜニナ・パープルトンが可愛いのか?
機動戦士ガンダム0083のニナ・パープルトンといえば、多くのガンダムファンから嫌われているヒロインです。
しかし彼女に魅力を感じたまま視聴完了する人間もいて、自分もその中のひとりです。
決して逆張りではないのです。普通に可愛い女性だなと思いました。
どこをどう見たら、彼女を可愛いと思って視聴を終えられたのか。
自分が見たままの0083を書くことが、なによりの答えになると思って記事を起こしました。
この見方こそが正解である……というような、大それた内容ではありません。むしろマイノリティの意見だと自覚しています。
これは説得を試みる文章ではなく、経験の共有にすぎません。
こういう見方をした人間もいて、0083を愛すべき作品として気持ちよく見終えることができた──という一例としてお読みいただけると幸いです。
前提
・ファーストガンダム⇒劇場で逆シャア⇒0083という順番で見ました。
・(逆シャアは当時全く理解できず覚えてないです)
・監督交替などの裏事情は知らずに見ています。だいぶ後に知りました。
・小説版での補完があるようですが、未読です。
・OVA13話+ジオンの残光+ラポートデラックスのムック本だけ履修。
・言うまでもなく0083のネタバレを含みます。未視聴の方は読まれないことを推奨します。
序盤のニナ
序盤のニナは勝気で優秀なアナハイムスタッフとして、4話までとても可愛いヒロインムーブをしている。
ガトー関連の矛盾はたびたび指摘されているが、
1話の「誰よ?」のシーンは、角度的に顔が見えていなかったということで説明がつきそうだ。
2話は厳しい。
ガトー、コウ、キースたちの会話をレシーバーで聞いているニナ。
後ろでモーラが「まずいよ、こりゃ」と言っている。
このシーンの後で、ガトーについて知らなかった……は通らないだろう。
いずれにしろ2話終了時点で、ニナは、強奪犯がガトーであることを知っていただろう。パイロットたちが当たり前のようにガトーガトー言っているのに、ニナの耳にだけ入っていないのは不自然だ。
3話~4話で、ニナからコウへの恋愛感情が萌芽する。
5話で急にイチャイチャしはじめたようにも見えるが、ここは丁寧に描かれていて、3話まで順調にステップを踏んだうえで、4話に決定的なシーンがある。
4話のラスト、ブースター装着のザク(ビッター機)がアルビオンのブリッジを狙った瞬間。ニナが悲鳴を上げて、オーバーな引き演出が入る。
0083は地に足のついた演出が多く、この手の動きを入れることは珍しい。
もちろんこれには意味があって、ニナのショックの大きさを表したものだ。
ニナはこの時、初めて死の危険を実感した。
2話でも震えているシーンがあったが、あれは漠然とした戦闘への恐怖でしかなかった。それがザクの銃口を見た瞬間、自分が殺されることを理解し、強い恐怖を覚えたのだ。
派手な演出は、それを表現していると見るのが自然だ。
その危機からニナを救ったのは、コウのガンダム1号機である。
最愛のガンダムに命を救われたニナは、そのパイロットであったコウへ急速に接近していく。
4話までのニナが、ガトーのことを内心どう処理していたかは不明である。
試作2号機の追跡をする以上、ガトーと戦うことも想定されている。
自分を捨てたガトーと、命を救ってくれたコウ。
ならばコウをサポートしたいと感じていた可能性が高そうだ。
なにより彼女は、ガンダム2号機を奪還することに執着していただろう。
ガンダムへの親心だけでなく、戦術核装備の深刻さについても理解していたと思われる。
視聴者はこの時点でニナとガトーの関係など知る由もないので、彼女の行動はとても自然に見えている。
ニナの正体
ニナの正体について言及されるのが7話である。
ここの会話は非常に重要であり、ニナの役割を端的に説明している。
7話で監督が交替した影響なのか、さっそく脚本が仕掛けてきた。
シーマと、アナハイムのオサリバン常務の会話である。
シーマ「そうやっていつも対等に対等にともっていく」
シーマ「世の中を混沌とさせているのは、お前のようなルナリアンなんだな?」
いまや伏魔殿のように言われるアナハイムだが、0083リリース当時そのような認識は一般的でなかったと思う。
自分はこのセリフで初めて、アナハイム(=月)が、地球とコロニー国家の間でバランサーをやろうとしていることを理解した。
地球連邦と、ジオン残党。
その間を立ち回るルナリアンという図式。
これは当然キャラクター関係にも反映されるので、ニナにもルナリアンとしてのムーブがあると予想される。
シーマのセリフはその強烈な布石である。
では、ニナはどのような役割を果たすのだろうか……?
好奇心のまま7話を見ていくと、すぐにヒントが出てくる。
ニナ「……ケリィさん?」
ニナとケリィは知人だったのだ。
しかしケリィはこの回で戦死する。
そして、ガトーがケリィの親友であることも明かされる。
これにより、ニナとガトーの恋人関係が推測できる。
アナハイムの同僚が過去の失恋を匂わせていたし、なによりシーマのセリフが布石になっている。
コウとガトーの対立、それを混沌とさせる役割を持つニナ──。
この図式が7話の時点ではっきり示されている。
むろんワクワクした。
しかしこの期待は、その後ずっとおあずけを食うことになる。
物語は、バニング大尉の死、観艦式への核攻撃、月へのコロニー落としからの推進剤点火と、三角関係どころではない密度で進み、ニナのルナリアンぶりをあまり見ることができないまま阻止限界点へ向かっていく。
ひとつ大きな出来事としては、1号機と2号機の相打ちがあった。
この時点で、ニナの目標であった2号機奪還はついえた。
核弾頭も最悪の形で使われてしまった。
我が子のように愛していたガンダムを2機とも失ったニナだが、彼女に癒しは用意されていない。
ニナの前に残ったのは、元カレと今カレの殺し合いである。
これをきっかけに、ニナは戦いからのドロップアウトを望むようになる。
10話でコウに泣きついたシーンからも明らかだ。
ガンダム奪還という目標を失ったニナは、コウとガトーの戦いを回避させたいと強く主張しはじめる。恋人であったガトーを戦いに奪われたので、コウも同じになることを恐れたのだろうし、単純に1号機と2号機の死闘がショックだったというのもあるだろう。
しかし、一技術者である彼女にはなにもできない。
ここまででわかるとおり、ニナというのはとても自分本位な女性である。
若くして実績を築いたエリートなので、納得のキャラ造形ともいえる。
また、この点に関してはガトーもコウも大差ない。
モーラやキースのように相手に寄り添う性格ではなく、自分の目標に向かって突き進むタイプの3人なのである。
アムロ、シャア、ララァの関係にも対比されているように思える。
その後のラビアンローズで、瀕死のルセットから、ニナとガトーの過去の交際について語られるシーンがある。
これは7話で示していたことの確認であって、遅い回収だった。
しかし、ここから三角関係のプロットを動かすぞ……というサインとして受け止めることができる。
ニナのプレミ
そして、最後の落下コロニー内での邂逅である。
ここでのニナの行動は、彼女の考えからすれば非常にまっとうなものだった。
まずガトーを説得し、コロニーの軌道変更を阻止しようとする。
しかしガトーは聞かない。コロニーはジャブローに落とされると思い込んでいるニナだが、ガトーはそれも否定する。
当惑しながら銃を手に取るニナは、ガトーを撃つことができない。
コロニーが落ちることは確定しており、ニナにとっては落着点がどこだろうと大差ないのだ。戦闘経験もないニナが撃てないのは当然といえる。
そこへコウが現れ、ガトーを撃つ。
ガトーは倒れながらもレバーを引いて、コロニーの軌道変更を完遂する。
ここからが、ニナのために用意されたルナリアンのシーンである。
対等に対等にもっていき、事態を混沌とさせてしまうルナリアン。
オサリバン常務には、月面都市の安全と自社の成長という行動原理があったが、ニナはもっと感情的である。
とにかく2人に争ってほしくない。
2人の殺し合いを見たくない。
そう願っていたのに、今カレが元カレを撃ってしまった。
これは1号機と2号機の戦闘の再現にも見える。
これ以上戦わせてはいけない。
撃たれたガトーをかばうニナ。
それに驚くコウ。
傷口を押さえながら、ガトーは仁王立ちでコウを見つめる。
丸腰のガトーに争う姿勢は感じられない。
しかし、コウは銃でガトーを殺そうとしている。
ずっと寝不足で、変な薬で無理やり覚醒しながら戦っていたコウなのだから、激発してもおかしくない。
争いを止めたいニナは、感情的なコウを制止しようと考える。
言葉では無理だと思い、銃口をコウに向ける。これが悪手だった。
案の定、銃を向けられたコウは激しく動揺する。
ここで威嚇射撃。
話も噛み合わず、コウをますます高ぶらせてしまう。
説得をあきらめたニナは、コウを置いて、負傷したガトーと立ち去る。
この時点でニナは、2人の争いを止めることしか考えていなかった。
ガトーはコウよりも理性を保っており、なおかつ負傷していた。
興奮状態のコウだが、自分(ニナ)が寄り添っていれば、きっとガトーを撃てないだろう。その判断は正しかったといえる。
争いは収まった。
しかしコウにとって、それは恋人の裏切りに他ならなかった。
コウの心境
コウがなぜニナを許したのか。
アニメ本編では説明されていないが、状況から想像できることはいくつかある。
結果として、コウは丸腰のガトーを射殺することなく、パイロットとして戦うことができた。決着こそつかなかったが、あのままガトーを殺すよりは納得のいく結末だっただろう。
自分自身があの場で激高していたことも自覚しただろう。
アルビオン隊は命令不服従であり、意地を張り通した戦いの結末がシナプスの処刑であったことも影響したかもしれない。
そしてコウもガンダムを失った。
GP計画は抹消され、ガンダムパイロットに復帰することもないだろう。
ソーラーシステムで味方を焼いたバスクのティターンズに与することなど、考えたくもなかっただろう。
ガトーも死に、大きな目標を失ったコウは、もしかするとニナの心境が理解できたのかもしれない。
1号機と2号機を失ったニナは、コウにすがりついてきた。
しかしあの時のコウは、ニナのことよりもガトーと3号機だった。
もともとコウは、軍人としての使命感よりも、モビルスーツへの愛着で服務していたところがある。ニナと似た者同士な部分もあったのだろう。
ガンダムを失ったことで、コウもニナと同じ喪失感を共有できたのかもしれない。
ニナの笑顔
そしてアニメのラストシーンである。
コロニーの落ちたオーストラリアから始まった0083は、コロニーの落ちた北米で終幕する。
禁固を解かれたコウが、新しい任地であるオークリー基地に到着する。
キース搭乗のゲルググMがピースサインをして、ニナとモーラの乗ったジープが現れる。
(キースの訓練機、コウのヘルメット、ニナとモーラのジープ、全てが1話の対比になっている)
ここで重要なのは、すでにニナがモーラと一緒にいることである。
偶然コウがやってきて出会ったのではなく、コウを迎えに来たのだとわかる。
この再会が、キースとモーラのお膳立てであることは間違いない。
であるからして、コウへの意思確認(ニナを受け入れるか、否か?)は事前に済ませているのだろう。
サプライズでニナをぶつけるほど無神経な2人ではない。それは作中から自然に読み取れる。
なので、ニナはもう自分が許されていることを知っている。
しかし、どのツラ下げて会えばいいのだろう。
ジープから身を乗り出したニナの顔には、再会(コウの無事)の喜びと不安がないまぜになっている。
そしてコウと視線が合う。
ニナは表情を曇らせる。
そう、彼女はずっとそういう人だった。
自分本位であり、自分の感情を優先する。
コウに優しくしていたのも、彼女が好ましく思ったから。
不安になればすぐにそれを顔に出してぶつけるし、告白が遅いとキレてしまう。
ニナは強い罪悪感を持っていたであろうし、もはや顔向けできる立場ではないと思っていた。
コウが目の前に現れたことで、否応なしに後ろめたさがこみ上げてくる。
しかし、ここでニナは笑う。
彼女は作中初めて、自身の感情を抑え、コウを喜ばせようと笑顔をつくる。
それがニナ・パープルトンという女性の、ひとつ確かな成長の姿だったのだ。
おわりに
7話以降をこんな感じで見ていたので、ニナがコウに銃口を向けたときも「ついにニナさんがルナリアン覚醒したァ!!」だったし、ムーブもずっと可愛かったです。
ニナの行動を突然の裏切りとして見たか、やっと出た見せ場として見たかで、印象がだいぶ違うんじゃないかと思いました。
ここで予想したり補完した内容を、劇中に盛り込めば良かったのではないかという意見もあると思いますが、それをしたらテンポが悪くなったでしょう。どこまでを表現し、どこまでを割愛するかのバランス問題に行きつくと思います。
もしも小説版でこの内容が全て書かれていたら、すごく恥ずかしいので教えてください。消します。
追記
0083のプロットは完璧だ。という主張ではありません。
1話から追いかけてきた星の屑作戦の正体を、デラーズの目論見まで含めて作中で明かしてほしかったし、それができたのはコロニーでの邂逅シーンだったようにも思えます。
ともあれ、ニナの「私にはこうする他になかった」は、いかにもルナリアンらしい悲哀が感じられる一言だったように思うのです。
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