努力で人として成長して変わるリアリティの無さについて
実在の人の場合も同じなのだけれど…欠点、短所、弱点といった困ったちゃんな部分がキャラクターの愛すべき部分となる。
さらにそうした全てのマイナス点って…周りの設定を変化させてひっくり返してしまうと実は長所とも捉えられるようになるもんだ。
そしてその状況の変化によって欠点が欠点でなくなる瞬間がドラマとなる。
・小男のくせに傲慢で偉そうという設定が、同じような体格の子供からの目線で見せてやると…小さくても堂々としていて臆する所がなくカッコイイに男に変わる。
・化け物姿の暴君が目の見えない女の子と出会うことで暴れる必要がなくなり、本来の優しさを少女のために発揮する。
・どうしよもなく金に汚く、冷酷で嫌な男が実は病気の妹のために心を鬼にしていただけだったと判明…一気に好印象に。
欠点を持っている者が努力で克服する(自分を変える)ドラマは嘘くさいが、頑張っても変われなかったがその姿が魅力的であったというドラマならリアリティがあるよね。
それでも人が成長して変わる物語が描きたいという人はいるだろうし、作家としてそんな気概は持ってもらいたいので、ヒントになる作品を一つ…
黒澤明の傑作映画「生きる」では、死に直面した人の人間が変わる姿を感動的に描いているが、ラストでは主人公のように追い込まれていない人が変わろうとして変わらない姿も描かれていて、それゆえに人が別人のように変わる物語にリアリティを与えていて、少し残念にも思えるが深く深く心に残るのだ。
安っぽくない物語は、こうやって創るというお手本だね。参考にしたい。