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山名正夫 設計は直感! 伝説の飛行機設計技師
飛燕の土井武夫技師のことを書いていて、山名正夫さんのことを想いだしていた。
山名さんの名前を知ったのは、陸上自衛隊の操縦学生となり小平学校での英語課程を終え、明野の航空学校で数学や物理とともに航空関連の基礎学を学んでいた21歳の頃に読んだ、柳田邦夫さんの著書「マッハの恐怖」だった。
昭和46年に空自F-86F戦闘機の後方から全日空の727が追突した事故がおきた。そのころはBOACの富士山上空での空中分解事故や全日空のボーイング727の東京湾墜落事故などが続き、当時NHK放送記者だった柳田さんの同書は、それらの問題を追跡したものだ。
航空技術廠技師海軍技術中佐だった山名さんは、多くの機体設計や事故調査の実績があり、敗戦後東大教授となり全日空737の事故調査では事故調査団長木村秀正氏等主流派と対立した。主流派に組しない運輸省(当時)の役人も後に職そのものを辞任し退官している。
「飛行機設計論」山名正夫著
山名正夫さんの「飛行機設計論」は飛行試験課程TPC学生依頼お世話になっているのだが、この本の序が書かれたのは「マッハの恐怖」の初版が出される2年前の昭和41年のことだ。
その「序」と、さらに序章として書かれた「創造としての設計」から、その内容の一部を紹介したい。
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飛行機は力学的な作品であるが、その設計にも絵や音楽と同じことが云える。設計は、概念を形に表してゆく仕事であって、この仕事に直接必要な力学は、空気力学、材料および構造の力学などである。しかしこれらの力学は、いずれも物の形、あるいは何かの量的な関係が与えられた後に始めて適用されうる性質のものであり、これらの力学の理論をいくら平面的に並べてみても、総合された一つの機能体としての飛行機の形はもちろん、適当な構造様式、結合金具の形など、具体的な物の形は出てこない。これらの形は、すべて設計者の意識の働きから生まれてくる。そして、この働きのうちに、設計者によって咀嚼され消化された各種の理論がいかされてゆくのであって、それぞれの理論自体に咀嚼消化作用があるのではない。したがって、各種の理論を自分の血肉と化し、全体を一目に把握し洞察する精神の作用が、設計において最も重要となる。この精神作用は、理論による分析の結果を集積し総合するというよりはもっと単刀直入的で、意識の底に醸成されつつあったものが瞬間的に意識の表面に浮かび上がってくるといったような、むしろ直感的なものである。そして、理論の積重によって正しい結果を導くのではなくて、直感的に把握した結果の正しいことを理論的に、あるいは実験によって証明するという道筋を辿る。
上のような精神作用こそが創造的な設計を生む。そしてこの精神作用の本源は、美術や音楽におけると*一如(*いちにょ、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語。引用者注)の美の意識に外ならぬと著者は信じている。
設計には妥協が大切であると云われる。たとえば空気力学上からは薄翼が有利、構造重量の上からは厚翼が有利であって、互いに不本意を残しながら折り合いを計るという類である。設計を各種の理論および資料の集積とみるならば正に上のとおりであって、妥協なくしては設計は成立しないであろう。しかし、このような観点からすると、良い飛行機を設計しようとして苦心すればするほど、対立する点、妥協すべき問題が無数に発生して、かりに大自然の造物主が設計するとしても奔命に疲れることであろう。設計とは本来、このような妥協と相剋の権化ではない。野の草、空の鳥、そのどこに妥協の痕跡を見出しうるか。一木一草、一鳥一魚、自然の真意の表象こそ、われわれの最良にして永遠の教師であろう。
(略)
通年ほぼ20年にわたり、著者は東京大学において飛行機設計の講義を担当してきたが
(略)
戦前の卒業設計の中には、ときに何かしら著者をハッとさせる、著者の知識や経験を突き破る何物かがあった。これが著者にとって学生諸君から教えられる最大のものであった。今になって考えると、これは人に生得の廬山(ろざん)に触れた感銘であったと思われる。しかるに、戦後に見た卒業設計の数は戦前よりも遙かに多いにかかわらず、このような経験はほとんどなく、しかも年とともに形の不整、形の美しさについての感覚の不足が目立っている。
(略)
このような状態を続けてゆくならば、創造に最も大切な、物を全体として正しく見る能力、均衡と調和の感覚が欠けてしまうことになる。
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設計について、土井さんは Art of Compromise と云われたが、山名さんは直感だとする。
だがその直感は、当然ながら当たるも八卦の直感ではない。「 各種の理論を自分の血肉と化し、全体を一目に把握し洞察する精神の作用が、設計において最も重要となる」のであり「 直感的に把握した結果の正しいことを理論的に、あるいは実験によって証明するという道筋を辿る」とされている。
このことは零戦の空中分解事故の調査に取り組んだ、当時海軍空技廠の技術少佐だった山名さんの行動がそれを物語ってもいる。
この空中分解は昇降舵のマスバランス欠落によるフラッターであると早くから結論がだされたが、担当されていた主翼の調査を中断しなかった。主桁構造に問題ありと直感されたのだ。このため氏は延々と主翼に繰り返し荷重をかけつづけた。この主翼の調査によって、その時点までに完成してしていた零戦の戦闘飛行時間は短く制限するとともに、以降製造する機体については構造と工法を変更させた。
山名さんのこの技術調査の手法は、航空機の耐用命数を定量解析する手法を確立させたものであったし、この調査が行われていないとしたら、零戦は緒戦の活躍も厳しかっただろう。
「 直感的に把握した結果の正しいことを理論的に、あるいは実験によって証明するという道筋を辿る」と書かれたとおり、最もこの場合は「結果の正しいこと」ではなく「結果の誤り」であるが、を理論的に実験的に証明されたのだった。
この山名さんの態度は、全日空727の東京湾墜落事故の調査でも貫かれていた。水平尾翼右側の第3エンジンが、墜落前に脱落しているとみた。また飛行中には出てはならないグランドスポイラーの作動も疑っていた。事故調査委員会の態勢と対立し脱会し、独自に調査を続けられた。氏の結論はエンジン取り付けボルトの強度不足であった。後にボーイング社はそのボルトの強度を強化しているし、グランドスポイラーも改修されていると柳田邦夫さんの著書から教えられた。
山名さんは「序」の後半に気がかりなことを述べられている。戦後の技術者は「年とともに形の不整、形の美しさについての感覚の不足が目立っている」とされているのだ。そして「このような状態を続けてゆくならば、創造に最も大切な、物を全体として正しく見る能力、均衡と調和の感覚が欠けてしまうことになる」と結論する。
土井さんの「 Art of Compromise 」も、山名さんの「直感」も、実は同一線上の表現なんだろうと思う。造形を決めるときの「芸術的直感」はそれぞれの理論を超越したものであるとされている。さて AI はそれを獲得するのだろうか。それが獲得するか否かにかかわらず、人は「物を全体として正しく見る能力、均衡と調和の感覚」を磨くことが大切であると痛感する。
山名先生の薫陶をお受けになった技術者とFacebookで出会った。そのかたから、以下のコメントを頂いた。
「先生の教育姿勢は、まさに戦後の技術者に対する危惧に対処するような面が多々ありました。私の携わった開発においては、いつも先生の言葉が頭を過ぎりました。その結果が応えられたかは自分では分かりませんが。
先生も音楽が好きでしたし、私達にしょっちゅうデッサンをさせました」
昨日(2021.03.27)あいち航空ミュージアムでラジコン飛行機の展示とトークショーがあるとのことででかけた。そこに集まったのは私のような高年齢の人がほとんどで、若人の姿は皆無だった。
航空機開発を目指している若者何人かと別々に出会った。彼らはラジコン機も手掛けており、設計から製作まで自分でこなし、飛ばしているのだが、「物を全体として正しく見る能力、均衡と調和の感覚」を磨いているのかなと愕然とすることが一度ではない。
名設計者による名機は、みなその方々ご自身による、飛行機のデッサンから始まっている。そのデッサンの美しいこと。