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5月23日 〜ブラウス一枚のあわい〜

 暑くもなく、寒くもない。ブラウス一枚だけで気温の変化を心配する必要もない。5月の下旬は、バラの香りが柔らかく澱んだところに季節と季節の「あわい」が見える、不思議な時季だ。
 自分にとっては何の日でもない5月23日には、なぜか毎年、ああ何でもない5月23日だなぁ、と思う。最近急に開いてみた詩のノートは、もう8年も前にいくつか書きはじめてそのままにしていたやつだ。やろうとしては続かない気がしてしまう私は、自分がそういう無数の尻切れのコラージュでできていると感じる。
 おろおろと、自分の内側を出そうとしては出しきれず、何かにがっかりしては握っていた力を緩めてしまい、実在を持たぬ心無い言葉を気に病んでは居心地の悪さを感じ始め、次の場所を探しに腰をあげるばっかりの態度は、むしろワタシの一貫した態度だ。
 唯一、変わってきたことは、その出そうとして出しきれぬところには、出せない心、自分で自分を動けなくしている奥底の嘆きが、根を張っていると認め始めたことだな。
 飽き性とか移り気とか器用貧乏とかいう言葉で自分を責めてしまう人たち全てに、声を大にして言いたい。言う。全部出してゆく以外にこのモヤモヤは消えないんだよねぇ。
 出そぅ。

= 5月23日 =

6月のチョコレートのやわらかさを
意識しはじめるカレンダー
土曜が暮れはじめる壁掛け時計

問われれば、忙しいと
迷いなく答える日々の仕事を
ただふっ、と後回しにした
猶予の中、
気まぐれに
中途半端に長風呂し
言葉は誰のものでもないと
髪を拭きながら
改めて考える私の中に
針金の知恵の輪のように絡んだまま
五つか六つの異なる旋律が
押し寄せて来ては
また静かになる

鼻歌など、うたわない

同居人とは、しばしの間
お前など気にはしていない、というように
ちょっとした意地を張り合っている

拾った猫の生まれた日を
自分のそれと同じ日にしてしまいがちな私は
もうすぐお前のお祝いをするよ、と
鼻先から額をゆっくり親指で三度ほど撫で
深く愛するものの傍にのみ
ついでとして自らのはじまりをやっと認める

スーパーで買ったいちごが全然甘くなかったことに
文句を言わず
ゆうべ、さっさとジャムにしてしまった鍋の近くで
まぁまぁ満足のいく甘ったるい香りが淀んでいる

濡れた髪が乾いていくごとに
空の青は暗く沈み
これは私の好きな色とは少し違う、と確認すれば
色づく準備を秘めた紫陽花が
また少し膨らむ

 あそこまで清純でなく
 でも、もう、今は、さほど
 ねっとりと溜まった重さで他者を排除する必要もない、
 ただの
 ただの紫でよい

 むらさき
 夜と朝の間にある
 雨と夏との間にある
 痛みと照れ笑いのあることを知っている
 それでいて
 「ほんとうは・・・」という出だしに
 いくつになっても不意をつかれるような

いちばん遠い山は沈み
手前では、眠らない街の夜がはじまる

政治家の失言を嘆き
異国の戦火にも自国の基地にも
無力を知らされ、
強くある前に些細な言葉に揺れる
この住まいの
水をやり忘れた鉢の枝々の
すこしゆるんだ葉の側で
絵に描いたような
人類の平和が
脆く脆く、流れてゆく

2015.5.24  さち・ド・サンファル!

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