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フラクタル・ワールド(1) 〜遥かなるわたしへの道〜

初回が長すぎた。(1)(2)に分割、一部修正!タイトルも大変更!
その後(3)〜 へとつづくよ。

【使命のように】

 ある時、数秒前まで思ってもみなかったことを急に思い立ったら、もうそれが当然のこととなった。今の私にまでつながってきた父方、母方それぞれのご先祖、そうね、まぁひいじいちゃん、ひいばあちゃんぐらいからの名前程度は知っておこうと、急に強く思ったのだ。戸籍を取り寄せることにした。区役所までとことこ歩いた。もう、まるで使命のように。

 親とも親戚とも反りが合わず、血縁だの肉親だの先祖だの墓参りだのという単語とは無縁に生きてきたし、死ぬまで無縁の予定だし、まだ生きてる親類の方々とはぜひこのままお互い無縁でいたいのだけれども、「自分を許す」ということを続けていたら、まぁ私の肉体まで繋げてくれた代々の人たちの名前ぐらいちゃんと知って、この私まで続いてきた遥かなる道に想いを馳せとくぐらいはやってみよう、という精神状態にはなってきた。気持ちの上での、プチ家出解除みたいな感じ。

区役所近く。立ってるもんの足元にばっかり目が行く。



【不思議なご職業】
 「あのー・・・曽祖父母までの名前や生まれた日とかを知りたいんですけど」
 「カケーズですね。」・・・あ、家系図か。荘厳な響きだ。

 「おわかりになる方のお名前だけでも書いてください」と、空欄が上へと枝分かれした樹形図の記入用紙を一枚取って渡された。こんなものが用意されているとは。調べに来るわけか、さまざまな人々が、オノレに続くルートを。

 母方は、祖父母は実家で一緒にいたし、ひいばあちゃんの名も記憶にある。お葬式の記憶もある。けれど父方はというと、その母親は父の妹の出産の際の産褥熱でまだ二十歳代前半で亡くなり、その後、妹もすぐ死んでしまったと聞いていた。

 そうやって父が自分の母親、妹に次いで父親を亡くしたのは、まだ小学生の頃だったそうで、そんなモノクロな遠い昔に早逝した若いままの方々、私にとってはじいちゃん、ばあちゃんという感覚もない。

 そんなわけで、父方の記入欄には父の父親の名だけ書き、あとは余白だらけのまま窓口に出すしかなかった。

 「あのー、この人たちの亡くなった日もわかりますか?」
 「・・・ぜんぶの方のですか?」一瞬遠い目をされた。

 もっとついでに、その兄弟姉妹などについても知りたかったのだが、亡くなった日というのは、直系の人間でないと調べられないらしい。

 ということは、この先の直系は、私で途絶える。ここまでつながって残ってきた記録も、やがて永遠に誰も引き出せなくなってゆくのだなあ。そうやって、ほんとうの露や粒子となって消えてゆくのだなあ。ちょっとだけ、すみませんねぇ、と思った。

また生えてくるのが雑草。

 窓口の方はすぐにシャキッと気を取り直したお顔になられて、きっちりとした口調でおっしゃった。
 「・・・1週間ほどはかかると思いますが、では、できるだけ早くお伝えできるよう、責任をもってお調べします。できたらお電話します」

 なんて立派な責任感なんだ。この永遠の中2プチ家出解除程度でやってきた、縁もゆかりもない私のために。こんなにも私個人が積み重ねた時間の上に湧いた瞬間的な思いつきで知りたがっているだけの究極的な個人情報しらべを、お仕事とは言えここまであっさりと引き受けてくださるなんて。
 ちょっと恐縮したし、その責任の持ち方に心強さも感じた。管理されていて良かった、と初めて思った瞬間でもあった。

 ほんとに、不思議なご職業だ。こげな博多の片隅で生きて死んだだけの無数の者どもの生き死にを、頼まれればすぐ出動して縦横無尽に調べることができるなんて。

道路脇の木ばっかり見て歩く。小さい小さい無数の命だぜ。


【窓口】

 4日ほど経って、揃いましたと電話があった。小雨の降る中、とことこぴしゃぴしゃ歩いて受け取りに行った。
 知らない名前と小分けした番号を書き込んだ付箋がいくつも貼られた書類一式を受け取った。手数料8700円。なんと便利な。ありがとう、ゆりかごから墓場まで管理しててくれて。

 偶然生まれ落ちた、あるいは強制的に連行されてきてしまった土地の制度の中で、詳細な記録など認められてこなかった人々もいるのに。私につながる人たちは偶々認めてもらえるところに住んでいた者どうしで生を繋いで、制度に身を任せてきた代償とも言えるような、名前と、現を仮に過ごした場所と、生きて死んだ日の記録を残した。

 ありがとうございます。わたしは窓口でお金を払っただけで。こんなものを受け取れて。ほんとにほんとに、感謝いたします。

¥8,700。


【産んでは死ぬ】
 何枚も何枚もの写しを眺める。なんという営みだ。生きては死ぬほうも、記録し続けるほうも。

 びっしりと書き込まれた手書きの細い行の中に、やがて規則性が見えてきた。縦書きの癖のある文字や、拾貳月とか、貳拾壱日とか參番地とかの「大字(だいじ)」という複雑なほうの漢数字にも見慣れてきた。
 戸主ごと、その改めた戸籍ごと、といった付箋の貼られたまとまりの意味もわかってきた。

 父親から引き継いで戸主となった長男のもと、兄弟姉妹やらその妻子やら従兄弟やらまで一つの戸籍に名を連ねる旧式の戸籍は、手書きであるがゆえにその家族の出入りの時系列が見える。

 戸主の子らが増えてゆき、その後、亡くなった人や、あるいは長じた子らのうちの女性の場合は、「婚姻ノタメどこどこへ転出、除籍」と途中で大きくバツ印で消される。戸籍の中の男性がお嫁さんをもらうと、そのお嫁さんの名は「三男○○ト婚姻ノタメどこどこより編入」され、戸主の子らの次の空欄に順に書き加えられていくから、ぱっと見には誰と誰が夫婦だとはわからないほど名前どうしはすごく離れている。
 けれどまさにその距離感、位置関係が昔のヨメの立場だったのだろう。さまざまな含みまで表されているわけだ。たかが記録、されど記録なのだった。

 男はその名に同じ文字を受け継ぎながらおそらく責任も引き継がされ、女は十八で、あるいは二十歳で、どこからか編入されてきては産み続ける。

 死んだら新しい嫁が補充され、すぐまた産む。その女性が生きているうちに戸主が代替わりして、私の直径にあたる男性が新しい戸籍を作ってしまうと、母親として元の戸籍にとどまったその女性の亡くなった記録は、私にはもはや辿れない。

むー・・・・・


【生まれては死ぬ】
 西暦と、明治と大正と昭和の年号を照らし合わせながら見渡す。計算も早くなってきた。どの人もこの人も実に、次々と若くして子をなし、幼い子らを残して死んでいる。時々、長く生きている。

 実によく死ぬ。よく生まれる。

 たかが名前と、生きて死んだ日が並んでいるだけの記録のコピーは、ただただ生まれては死んでゆく人たちの、確かに生きていたのに降って湧いて消える繰り返しの幾何学模様のような、雨降りの日の水たまりの無数の水の輪のような動きが押し込まれた2次元のフィルムのようだ。いつまでも眺めていられる。

こんなところにも咲き誇っていたのかよ。名も無い花たちよ。

 よくもまぁ、よろよろ、よろよろと、食いつなぎ、生きつないできてくださった、私まで。
 私がひとりでこれまでに感じてきた夥しいやりきれなさや苛立ちや虚しさや、時折の高揚感や、そんなものをこの人たち一人ひとりがすべて違う形で感じ、そして傷つけ傷つけられを積み重ねながら、それが細胞の内外を満たす液体のように、生きて死んだだけの氏名の記録の文字を浸している。

 感傷的になるつもりは微塵も無かったのに、ぼろぼろと涙を垂れ流しながら一文字一文字を辿って舐めるように読み続けることとなった。

つづくー。
 →(2)


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