林真理子「平家物語」を読む
最近、平家物語にハマっている。
きっかけは今村翔吾の「茜唄」を読んだこと。
これは平知盛視点で書かれており、今村翔吾あるあるの新しい歴史の解釈が盛り込まれていてなかなか面白かった!
そして平家物語にどんどん興味が出て来た私は、
2021年のアニメ「平家物語」を見て、
吉川英治の平家物語を人形劇にした「人形歴史スペクタル 平家物語」を見ながら、(1993-1995年に放送されていたもの。今ちょうど再放送をやっている)
2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ながら、
林真理子の平家物語を読んでみた。
大抵、平家物語は語り継がれてきた通りの流れで話が進んでいくが、
この林真理子verの平家物語は、始まりが壇ノ浦の戦い、平家の入水!!
そして語り手は平知盛の妻。ここが新しい。
その後も章ごとに語り手が変わり、源義経だったり後白河天皇だったり、平徳子だったり…
一ノ谷の戦いや鹿ヶ谷の陰謀、富士川の戦いなどについてはさらっと触れてあるだけなので、なんとなくの平家物語の流れや人物が頭に入ってないと難しいかもしれないが、
堅苦しい説明もなく小説ver平家物語を読んでるみたいでなかなか面白かった。
平家物語でよく言われるのが、「滅びの美学」という言葉だ。
個人的にはこれがイマイチピンとこなくて、滅びに美学も何もないだろう…と思っていた。
平家物語は何故こんなにも人の心を惹きつけるんだろうか?
物語の登場人物たちは何度でも日常を生き、そして滅びていく。
この滅びは切なく心に迫るが、しかし、単なる美談ではない。
おごり高ぶる平家が滅びても、滅ぼした義経もまた墜落していく。
そして壇ノ浦で勝利した源氏もまた同じく、滅びていく運命にある。
その万物流転にこそ、この物語の美学がある。
その末に建礼門院の死が描かれたのは、やはり人の世がもの悲しくも、しかし、続いていくこと、そして続いていく日常に祈りがあることを示すのだ。
その結末は、人の世に勝者もなく、敗者もなく、ただ日常と流転が続いていくことをわたしたちに語りかけている。