ドスケベマン(8)

前回のあらすじ

初潮を迎え恐怖に打ちひしがれるユウキ。
そんなユウキに、母は横浜へ向かえと言った。
レジスタンスのアジトがあるという横浜、ユウキは無事にたどり着けるのか。

―――

月明かりの中、ひび割れたアスファルトを駆け抜け続け、どれほどたったろうか。
打ち捨てられた廃墟をユウキは見つけた。
夜明けまでどのくらいだろうか。日が昇るとドスケベアーミーに見つかりやすくなる。それまでに少しでも横浜へ向かわなければ。
廃墟の陰に滑り込むように身を隠すと、カバンから水筒を引っ張り出した。
ぬるい水が走り続け火照った体に心地よい。
月明かりに地図を照らして今の場所を確認する。地図の上では恐らくここはかつて元住吉と呼ばれた地のようだった。
確かにかつて街だったと思われる廃墟が点在しており、昔は賑わいがあっただろうことがうかがえた。
横浜まではまだ遠い。
ふくらはぎを軽くもみほぐし、その場で屈伸する。まだだ。まだ走れる。
鈍い腹部の痛みも、流れる血も、今は気にしている場合ではなかった。

ユウキの母親はそっと床から身を起こすと、口笛を吹いた。
するとどこからともなく白いハトが窓辺に現れた。
「お願いね」
ハトに自分の服を切って作ったメモを括り付け、そうつぶやくと、心得たようにハトは飛び去った。
さあ、あとは時間稼ぎだけだ。
恐らくもうユウキを会うことはないだろう。少しでも彼女が幸せになってくれたら、そう祈りながらユウキの母は顔をあげた。

代り映えのない朝がやってきた。
いつものように粗末な朝食を取った村人たちは、いつもと違って少しおびえたように自分たちの住まいの前に立った。
今日は週に一度のドスケベアーミーの巡回日なのだ。
それはその週にとれた作物をドスケベアーミーに献上し、また脱走者がいないかを確認する作業だった。
遠くから地響きにも似たエンジン音が聞こえる。ドスケベアーミーたちだ。
ユウキの母はその車にある影を見て体を強張らせた。
遠くからでもはっきりとわかるその巨躯。それは。

「あ、アーマード倫理観様…」
おびえた声で村長が頭を下げた。
普段アーマード倫理観自らこんな辺境の村にやってくることは少ない。
一体何があったのか、村長はおびえた目でその巨体を見上げる。
「最近、ドスケベマンという我らにたてつくテロリストがいてな」
ふん、と鼻で笑い村人たちを一瞥する。
ドスケベアーミーが言葉を続ける。
「ドスケベマンなるドスケベを振りまく害悪が表れている。隠し立てしたものは死刑となる。見かけた者は速やかにドスケベアーミーに報告するように」
ドスケベマン。ユウキの母も名前だけは聞いたことがあった。
ドスケベを守るためにドスケベアーミーに叛逆する一人の男。超人的な身体能力を持ち、ドスケベアーミーを殲滅したという。
それを聞いたときはただの作り話だろうと思った。ドスケベを渇望する人々が心を慰めるために作った、おとぎ話ではないかと。

ドスケベアーミーたちは粛々と作物を回収していく。
最後の麦の入った麻袋を受け取ると、ドスケベアーミーたちは撤収作業へと移った。
ユウキの母が安堵した瞬間。
「おい、貴様」
ドスケベアーミーの一人がユウキの母に目を向けた。
「貴様、子供が一人いなかったか?今日はどこにいる」
ドスケベアーミーがぎらつく眼光でユウキの母を見る。
「き、昨日の夜から熱を出していまして、こちらで寝ています。ほら」
小屋のドアを開けると、確かに寝台には毛布にくるまった人影があった。髪の毛が毛布からはみ出し、小さく震えている。
「ふむ、流行病だと面倒だ。治るまで小屋から出さぬように」
ドスケベアーミーが去ろうとした瞬間。
「待て」
アーマード倫理観がそれを制した。
「その毛布を剥いでみろ」
びくりとユウキの母の心臓が跳ねる。
アーマード倫理観の指示に不思議そうな顔をしながらも、ドスケベアーミーは毛布をめくった。
「こ、これは!」
人に見えたそれは、麻袋であった。
麻袋に空いた穴から兎の耳が見える。兎を綿と一緒に麻袋に詰めて人が横になって震えているように見せたのだった。
髪の毛だと思ったのは、トウモロコシの毛をほぐして乾かしたものであった。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
ユウキの母の頬に冷たい汗が流れ落ちた。

夜明けが来た。どれくらい走っただろうか。
息は切れ、足は棒のようだった。
少しだけ、少しだけ休もう。
そう思って膝をつくと全身がまるで鉛のように重く感じた。
水筒の水の最後の一口を飲む。
もうドスケベアーミーたちは村に着いただろうか。
母は無事だろうか。追手は来るだろうか。
押し寄せる不安が鉛のような体をさらに重くする。
自分がドスケベアーミーに連れていかれてしまえば、村の他の人々はいつも通りの生活を送れたのに。
それは恐怖か、それとも後悔か。ユウキの目の前がにじむ。
「行かなきゃ」
声に出して自らを叱咤する。つま先は擦り切れ血がにじんでいる。膝が笑う。体は限界だ。
「行かなきゃ…」
呟くが体が動かない。這うように起き上がろうともがいたその瞬間。
「おい、お前がユウキか」
背後から男の声がして、ユウキの体は硬直した。

続く

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