1人称のイメージトレーニングをするというコト。
僕が幼少期の頃ファミリーコンピューターが一世を風靡した時代があった。
小中学生はこの魅力的なデバイスの虜になり。
さらにドラゴンクエスト3という超名作が世にリリースされこのファミコンブームは絶頂を迎えることになる。
学校でも放課後でも基本的にドラクエの話題が必ず出るのだ。
ところが、藤田家ではマンガ、ゲーム、テレビという子供なら真っ先に飛び付きたくなるエンターテイメントの全てに厳しい制限があり。
テレビを見て良いのは18時までで1ch(NHK)と3ch(NHK教育)の2ちゃんねるのみ。
漫画はサザエさんのみ。
ゲームは一切禁止。
という厳しい戒律のもと少年期を過ごしていたものだから
当然我が家にファミコンはないしドラクエ3も無い。
当時、友達の話題について行く事は
僕にとって難解な外国語の会話を理解するくらい難しく。
それはもう大変に苦労したものだ。
そんな辛い状況にも光明が差し込む。
正月に祖母が必ず本を買ってくれるのだ。(もちろんマンガは厳禁)
そこで真っ先に手にしたものは
「ドラゴンクエスト3攻略本」
もちろんゲームは持っていないのだが
この本にはダンジョンのデータから
ありとあらゆる武器、装備、魔法、モンスターの情報が全て載っているのだ。
攻略本はマンガではないという藤田家の厳しい戒律をすり抜けておきながら、ページを開けば当時の自分にとっては最高のエンターテイメントがそこには広がっていた。
当時の藤田少年は、これを読み極めればさもドラクエをやっている程で友達と話をする事ができる!
っと目論んだのだ。
僕はひたすらに攻略本を読み漁った。
どんな装備を揃えようかっとか
ダンジョンではここをこんな風に進んでいこうっとか
兎にも角にも自分自身がプレイヤーになったつもりで
脳の演算処理を無駄にフル活用し脳内でドラクエ3を進めていた。
おかげで友達との会話についていくことも出来るようになり事なきを得た。
恐らく友人達の間では、ドラクエ持ってないのにやたら詳しいやつ。
という立ち位置だったのだと思う。
スポーツの世界においてやったこの無いものに対する仮想プレイ状態を
「1人称のイメージ」として表現されることが多い。
フリースキー競技の世界の話に置いてこの1人称のイメージを持つという事は必須だったりする。
誰かがやっているトリックを模倣しようとした時、本人が持っている感覚を自分たちは知り得る由を知らないのは当然。
何度も映像を見て動作を分析したとしても最後は結局感覚論。
どんな風なイメージで回っているのか技を繰り出しているのか。
これを1人称のイメージで悶々と思考し続ける事が出来るかどうか。
この感覚を研ぎ澄ませていく作業こそが1人称のイメージトレーニングなのだ。
そういった点では僕のドラクエ3に対する1人称のイメージトレーニングレベルは、おそらく当時の日本でもトップクラスだったはず。泣
フリースキーに限らず、いわゆる伝統的な職人芸など
師は多くを語ってくれない事が多いと聞く。
「見て盗め」とはいったものだが、見ているだけでは技術は体得できない。
イメージし最後は自分なりにアウトプットを繰り返していく作業が必要なのだ。
悲しいことに僕のドラクエ3にはファミコンとカセットが家に来て1人称のイメージをアウトプットする場は訪れる事はなく。
代わりにWINDOWS95がやって来てタイピングゲームにハマりこのブームは終わってしまった。
もしかしたら、1人称のイメージトレーニングを多感な年頃に習得できたおかげで他の人よりもちょっとだけ競技力がついたのかもしれない。
っと思った中古ゲーム屋でドラクエ3を見つけた時にふとそんな事を思い出した。
おしまい。
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