「口調の話」

「それ好き! 夏子、そういうの好き! ます口調なんてやめて『だよ』っておっしゃって」

三島由紀夫『夏子の冒険』

今の会社では、ですます調だけで話が済む。上司も基本的には敬語で話してくる。事務的な会話。敬語で話されるとうっすらと無関心と距離を感じることがないですか。温度がない。味がない。あ髙橋さん、ちょっといいですか?

それは考えすぎかもしれない。そういうのが社会ではふつう。思い返せば、もっと砕けたシチュエーションもあった。敬語でも魂の会話できてた。敬語と一括りにして話をわかりやすくしている。言い切りたくなっている。よくない。

だけどもうちょっとだけ言い切りたい。その方が言いたいことが言える。そう、その点で言うと、前いた会社は対照的だった。おい髙橋、なあ髙橋、何やってんだよ髙橋。などの呼び掛けが常だった。今までの人生で髙橋と呼ばれることはなかったし大切に扱われることが多かったので、新鮮な味がした。悪くなかった。

最近というか、ブコウスキーを読み始めてから?口調がハートに刺さる感覚に気づき始めた。自覚的になったちょうどそのタイミングに合わせたように、人から「本当クソだよな」というテキストが送られてきて、これだ!と思った。口の悪さ。それが私の気を引いている。すごくいい。

自分には似合わない。自分が口には出さない「だぜ」とかの類い。日常生活で使えないのが悔しい。そこで私は、その口調のうまみとおもしろみをにぎり合わせたような短いテキストを作ってみた。

遊ぼうぜ。行こうぜ。食べようぜ。箸で、食べようぜ。そば?うどん?じゃあ、そばな。やっぱりうどんにしようぜ。うどんな。頼むよ。頼むぜ。いいよな、うどん。うどんうまいよな。エンジョイしましょう。

まだ良さが伝わってないかもしれない。ポイントは自分の中ではイチオシの「〜ぜ」と「〜な」が入っているところ。それと最後の「エンジョイしましょう」というのもアクセントになっている。これさいご「エンジョイしようぜ」だと狙いすぎ。「しましょう」という言葉も使えるのに、あえて前半で「だぜ」を使っているというような感じを出したかった。抜け感。

ただここで肝心なのは、何でもかんでも「だぜ」の口調にすれば良いわけじゃないということ。例えば、「だよ」もここぞというときに使うとものすごく良いものになる。例えば夏子に催促された青年はこう続ける。

「それからね、僕がきいたその娘の生い立ちの話だよ」

三島由紀夫『夏子の冒険』


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