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あいの里でしか見えないもの:リミットがある恋愛

私は、恋愛リアリティに興味が全くなかったのです。

そもそも、三年前までは、自分は恋愛経験皆無でした。私はその当時は、男性としての自信が全くなかったのです。そのせいか、他人の恋愛見たら、劣等感だけ漲ってきたし、ひねくれて、どうせ、自称インフルエンサたちのお芝居だろうなと思うだけでした。

その私が、恋愛リアリティと初めて接したのは、初めての恋愛が最悪な形で終わって、現在妻であるゆかちゃんと付き合いだして、間も無くの時でした。

間も無くとは言え、五ヶ月ほど経ってからでした。その時はもう心に余裕ができて、他人の恋愛も見ていられたのです。それで、初めて接した恋愛リアリティがなんと、「あいの里」のシーズン1だったのです。

なんとなくのイメージで、恋愛リアリティって、綺麗な人々が出てきて、恋愛カースト最上位の人々の恋の争奪戦!というイメージで、演出も色彩もパステルトーンで、明るいという先入見がありました。

しかし、「あいの里」すごかったです。誰が考えたのかはクレジットをよく読んでなかったのでわからないのですが、本当、「人生最後の恋」を求めている方々が廃墟だけの敷地に閉じ込められて、限られた時間、限られたメンバーの中で恋をするというところがとても斬新でした。

人生最後の恋がしたいだけではなく、生存のために家をリフォームする作業も行います。

一般的な恋愛リアリティが、豪華な生活をするに対して、生存に直結する居住の不在から始まるというコンセプトはおそらく、住民たちの距離感を縮めるにすごく役立っているでしょう。

そして、家のリフォームもあり、出演者たちは疲れ果てた顔で、作業着姿で、しわしわで、日焼けして、髪もボサボサなまま出てくるのも珍しくないのです。

これが「リミットのある」恋愛なんだろうなと思いました。

動ける範囲もリミット、外との接点もリミット、会える人もリミット、食事もリミット、そして、何より、暮らしている人の心理状態もリミット状態です。

心理状態の何がリミット状態なの?と言われると、まず、高齢の方だと、自分の余命がまずリミットです。女性だったら、妊娠可能かどうかもリミットです。子供がいる人は、子供が自分の行動をリミットしています。恋愛経験が多い人は、過去の恋愛経験でリミットがかかっており、恋愛経験が皆無な方はそれが劣等感として作用し、リミットとして働きます。

しかし、人間の感情で一番強いのは愛。

そして、愛にはいろんな形がいて、家族に対する愛、性的な愛(恋)、兄弟との愛、友達との愛などなど、さまざまな愛があります。

この番組は、おそらく、他の恋愛リアリティではお見送りかもしれない方々が、自分が大事にしている愛について真剣に考える場になったのでしょう。

子供も愛しているけど、新しい恋も欲しい方もいたし、片方は友愛、片方は恋愛のすれ違いもありました。

私はこの場、この状況、この人々を作ったこの番組について大変感心しています。

生存のための仕事をしながら、限られた場所、人数、予算で、自分にとってどんな愛が最も必要なんだろうか、そのためには、この制限された空間で何をすべきか、常に参加者と視聴者に疑問を抱かせます。

特に、感動したのは、最後のギタリンでしたが、詳しくはネタバレのため省きます。

この場を離れると、もっといろんな人と、いろんな場面で、いろんな状況で出会えるのに、ここにきて、恋心を決めた人々、そのリミットを乗り越えた人々に敬意を払います。

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