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韓国の読書事情:これでいいだろうか
2024年の終わり、1年を振り返ってみると、韓国はすごい変化がありました。
政治的なことをのぞいてみると、最も印象深いニュースは、韓国歴代2人目、政治的な面がある平和賞を除いたら、最初のノーベル賞受賞者が誕生したことでしょう。
その名、ハンガン。私もずっと前に、「黒い鹿」を読んだことがあって、韓国作家の中では敵がないと思ったほど、表現力が素敵な作家です。
しかし、その裏面には、韓国の読書事情というのがあるのです。
ずばり言いますが、韓国人は本あまり読まないのです。
決して、物語が嫌いな国ではないですが、どちらかというと、映像メディアの方が力強い方で、映画好き、ドラマ好きの方は結構メジャーです。
しかし、「私、本好きなの」と言ったら、結構鼻で笑われます。
「賢いっぷりして」と言われるのです。
私はお父さんが、社会、神学、経済、歴史系の専門書や教養書が大好きということから、ハングルが読めるようになってから、ずっと本に露出されていたのです。
おかげさまで、教養書、専門書をたっぷり接してきて、一歩踏み出して、小説や詩にも手を出したのです。
しかし、韓国の有名書店のベストセラーランキングをみたら、すぐわかりますが、韓国は文学の死んだ国なのです。
参考書、英語学習書、自己開発書、変なビジネス書、投資関係の本ばかり。逆に、「私、文学が好きなの」と言ったら、「役にも立たないものなんで読むの?」と言われるだけ。
韓国の文学はもちろん、売れていません。そうだと言って、海外文学が活躍しているかというと、日本文学の勢いが強いですが、それも杜撰な翻訳クォリティで、比較的翻訳が簡単な日本文学もこんな事情だから、他国の文学作品は名作だとしても、いい翻訳書に触れるのは奇跡の確率です。
特に最近、Albert Camusの「L'étranger」(「異邦人」)をフランス語版で読み直していますが、韓国版悲惨なレベルの訳になっていました。
そもそもが、専門翻訳家ではない、文学研究家の人が翻訳してしまったのです。自分の解釈を決めておいて、それに応じた文体で書いてしまったという感じが強くて、解釈の余地を与えてくれなかったのがすごく腹立たしかったのです。
「白鯨」は、もうダメなレベルです。コーヒー豆を、コーヒー大豆と訳したぐらいなんだから。
この環境で正直、ノーベル賞が出たのは奇跡だと思います。
今回のノーベル賞で、文学に対しての態度が変わって欲しいばかりです。