北風と太陽2021
繁華街の夜に、嵐が吹き荒れている。
「部長、早く屋内へ」
「駄目だ、風が強くてッ」
通行人の視線が暴風に喘ぐ男へと集まる。人だかりの中、彼一人だけが極めて局所的な乱気流に揉まれている。異様な光景だった。
彼は必死の形相で歯を食いしばり踏ん張っていたが、やがて限界が来たのかその体は上下左右へ揺さぶられ、とうとう無様なマトリックスめいた姿勢で盛大に仰け反った。背泳ぎする両腕から背広の袖がすぽりと抜け、夜空へと飛び立つ。
「私のスーツが!」
——程無くして嵐は去り、後には疲弊した中年が呆然と立ち尽くすばかりだった。
「見ての通りだ」
隣でベンチに腰掛け煙草を吹かす兄、東風が言った。
「俺たちは、やれる。必要なのは自負、ただそれだけだ」
「自負?」
北風は不安げに尋ねた。兄は煙草を足下に投げ捨て、踏みにじる。
「そうだ。組織の繁栄を我が身に背負うという自負」
組織。その言葉に北風の胸中がざわつく。半グレの兄に誘われ犯罪の片棒を担ぐことになった北風の初仕事が今夜だった。
バン、と東風が北風の背中を叩く。兄は勇気づけるように、弟に剛毅な笑みを向けた。
「今夜のは野球賭博だ。俺らの”力”で試合を操作する。ボロい商売さ」
そう言うと東風は立ち上がり、球場の方へと歩いて行く。その背中を、北風は曖昧な笑顔で見送った。
——視界の端におでん屋から出てきた男が映った。汗をかき、暑そうに手で顔を扇いでいる。北風はそっと彼に手をかざした。
「おや、風が」
男は目を閉じ、天を仰いで涼風に浸る……北風は”力”を納め、自嘲気味に笑った。これから行う事の、罪滅ぼしか何かか。北風は立ち上がり、兄を追おうと身を翻した。
「北風」
背後からの穏やかな声音に、北風は凍り付いた。思わず俯くと、地面には自らの長い影が伸びている。真後ろに立つ光源の男を、北風はよく知っていた。
「……太陽」
「やはり君か。道理で、良い風が吹いてると思ったよ」
【続く】