【冒涜探偵の血煙り自白録 序章】 後編
◇総合目次 ◇前編
「アッハッハッハァーッ!」
倉庫の外では既に戦いが始まっていた。導火線付きの丸々とした爆弾を両手に持ったタンクトップ姿の少女、ボムミが悪漢たちの人だかりに突っ込む。カルテルの男たちは大慌てで爆弾から逃げるが、ボムミは無慈悲に腕を振り上げ、両手に持つ凶悪殺人ボールを放り投げた。
「遠慮すんなってのォ!」
爆弾が放物線を描き悪漢たちの背中に降り注ぐ。導火線は間もなく焼き尽くされ、すわ爆発かと誰もが息を呑んだ、その時。
「うおおおおお!」
群衆から猛然と走り出たサスペンダーの筋肉野郎が大ジャンプ。ヘディングで爆弾を弾き返した。戦前はサッカークラブでフォワードだった男だ。
「あ、ヤバ」
爆弾はボムミの眼前で閃光と共に弾け、轟音と衝撃が炸裂した。
「やったか!?」
サスペンダーの男が期待に叫んだ直後、その視界が眩んだ。引火したボムミが連鎖爆発を起こしたのだ。
「何!?」
半径六メートル以内の敵集団を巻き込む大爆発。コンクリートが爆ぜ、粉塵となって爆風に舞い散る。床はクレーターとなり、近くにあった倉庫は不運にも入口が消し飛んでいた。
「ああ、最悪だわ」
爆心地からのそりと立ち上がる影が、一つ。黒く煤けた肌に、目立った外傷はない。
「インカム壊しちった。またどやされるよ~。ツジさんから貰おっと」
とほほ。全裸のボムミは溜息を吐き、生成した爆弾で局部を隠しながら再び敵陣に突っ込んで行った。
◇◇◇◇
「相変わらず派手だなあ、あの子は」
一寸先も見通せない濃霧の中を決断的な足取りで進むよれたスーツの中年はツジだ。倉庫のある一帯は海に面しており風通しも良いため、普段ならば街中ほどに霧が立ち込めることは無い。
「何なんだこの霧は!?」
「うおっ。俺の前に立つな!」
「見えねえんだよ!」
ぼやけた視界の中で縺れ合い倒れた三人の三下たちにツジが歩み寄り、狙いを定めた。パン、パン、パン。拳銃で的確に脳天を撃ち抜いて仕留め、ツジはイヤホン型ヘッドセットでバハに通信した。
「バハくん、あと何人ですか?」
「三十七、おっと。現在三十人です。ツジさん、後ろから狙われていますよ」
「おや、助かります。敵の呪術師は落ちましたか?」
「いえ。四人とも迂回して倉庫の裏手に向かっています。能力を使って壁をこじ開け、奇襲でボスの首を獲るつもりでしょう」
「成程。私もそちらへ戻りますか?」
「いえ、引き続き雑魚散らしをお願いします」
「了解」
通信を終えたツジの頬を銃弾が掠めた。自身の周囲に濃霧を発生させる彼の呪術は接近戦において部類の強さを発揮するが、遠くから見れば分かりやすい的になる。
「あの霧の中にいるぞ。撃て!」
カルテルの男たちは拳銃を斉射した。白い煙幕に風穴が空く。しかし一向に霧は晴れない。寧ろのそりのそりと前進し、彼らに近づいている。
「当たってないのか!?」
(当たりたくないですねえ)
ツジは冷や汗をかきながら匍匐前進で這い寄っていた。軍隊で鍛えた匍匐力は伊達ではない。見る間に距離を詰め、敵の一団を濃霧に閉じ込めて銃弾の嵐を巻き起こした。
「クソッ、死ね、死ねェーッ!」
「やめろ味方を巻き込んギャァーッ!?」
ツジは混乱の果てに同士撃ちを起こし始めた敵を床に伏せたまま見ている。敵集団を巻き込んでしまえば、濃霧の範囲外からの射撃も緩慢にならざるを得ない。”虎の巣で、虎の子供を、取って来い”。今は亡きツジの故郷の教えであった。
「さて、彼の方は大丈夫でしょうか」
◇◇◇◇
「屑が、サムライ気取りやがって! 撃つぞコラァ!」
髭を蓄えた黒スーツの剣客、ヘルフリートは銃を構えた男たち相手に怯むことなく歩み寄る。カルテルの一人が痺れを切らし、引き金を引く指に力を込めた。
「ぎゃあ」
撃鉄が弾けるより早く日本刀による居合切りが手首を切断し、血飛沫が舞った。続く袈裟斬りで男は悲鳴を上げる間もなく倒れた。ヘルフリートは流れるように刀を鞘に納め、居合切りを構える。
「撃て、撃ちまくれェーッ!」
号令を皮切りに一直線に並んだ七人の悪漢が発砲し、銃弾の雨が降り注いだ。ヘルフリートは弾丸をすり抜ける。
「エッ?」
忽然と目の前に現れた剣士に呆気にとられる左端の男。その僅か半秒の隙が命取りだった。ヘルフリートは瞬きの間に端から端へとスライドし、神速の抜刀術で立ち並ぶ男たちの腹を横一文字に裂いた。卍流抜刀術『切腹』である。血を噴き出し、腹を押さえて膝をついた七人。ヘルフリートは彼らの背後に回り、往復するように高速居合斬りを浴びせた。七人の首が順々に舞い上がり、空に鮮やかな血のアーチを架けた。卍流抜刀術『介錯』である。ヘルフリートは刀の血を払い、鞘に納めて残心した。
その後頭部に密かに照準を定める男の影が一つ。日頃から存在感の薄い彼は、この夜も運よく呪術師たちの化け物じみた殺人技に巻き込まれることなく生き延びていたのだ。
(よっしゃ、まだ気付かれてねえぜ! やばいな俺。暗殺者とか向いてるんじゃねえかな)
男は気配を気取られぬよう息を殺し、極限にまで集中力を高めた。絶対に決める。男は意を決し、引き金を引いた。銃弾は過たずヘルフリートの頭に突き進み、皮膚を穿ち脳に達すると思われた、その瞬間。
(あれ?)
その姿が、消えた。そう思った時には、男は背後から胴体を切断され、死んでいた。
ヘルフリートは油断なく辺りを警戒しながら再び刀身を納める。顔の真横で鍔音が鳴り、妖刀『緋虎左文字』に呪いの力が充填された。刀身を鞘の内に浸すことで充填される魔の力は、彼を傷つける者の側に肉体を瞬間移動させる力を持つのだ。
「残り十人です」
バハからの通信が入った。二十秒だな。ヘルフリートは残り数少ない獲物たちに目を付け歩み寄った。最期まで抵抗してくれることを祈りながら。
◇◇◇◇
「ヒヒヒ……奴ら今頃必死来いて表の守りを固めとるはずじゃ」
「如何に精鋭の呪術師と言えど、圧倒的な人数差の前には戦力を分散せざるを得まいよ」
「その裏をかいて、俺たちが後ろから奇襲するってわけッスねぇ!」
「…………」
「ヒヒッ! これも軍隊上がりのワシの知略の賜物よ」
「いやいや、拙者の呪術あったればこそにござる」
「俺の愛嬌あってでしょうねえ。牛くんは何、なんかセールスポイントないの?」
右手に七本の指を生やす自称幸運を呼ぶ男、マローが牛のマスクを被ったロングコートの男に尋ねた。
「口より結果で示す。それだけだ」
「かぁ~っ、粋にござるぅ~! ひゅうっ!」
「ヒヒ……若い頃を思い出すわい」
「気合入ってるッスねぇ」
四人の呪術師は気の抜けた会話を交わしながら走り、倉庫の裏へと辿り着いた。黒い装束姿の男、妖術使いニンジャが壁にピッタリと張り付き、三人に目配せする。軍服姿の老爺、ラウが片側だけに付いた手で気付けの一杯を呷った。マローはサムズアップで応え、牛マスクの男は静かに頷いた。
「殺るや、いざッ!」
ニンジャが素早く九字を切り、カッと目を見開く。すると倉庫の壁は初めからそう造られていたかのように、回転扉となって四人を招き入れた。薄暗い倉庫の中には五人。標的のダミアン。探偵助手のブラッド。側近の二人、参謀のバハと生けるマネキン人形ドーラ。そして近所の子供――この日までそう思われていた――のボムミが、間近に立っていた。
「何?」
「いらっしゃァイ」
少女が両手に持つ爆弾の火は、既に雷管に達しかけていた。
「すわーっ!」
ニンジャが両手を交差して素早く手裏剣を放ち、爆発寸前で導火線を切断し、強烈な踏み込みと共にクロスした腕を回転させ、発勁チョップをボムミの肩口に浴びせかけた。
ボムミの脳漿がニンジャに飛び散る。渾身の打撃よりも早く、ブラッドの銃撃がボムミの頭を撃ち抜いたのだ。
爆弾少女が引火し、眩い閃光が弾けた。稲妻の如き号砲が轟き、爆炎が弾け、暴風が吹き荒れた。侵入者たちは大爆発をもろに喰らい、その姿は一瞬にして黒煙の中に消えた。
「二人死にました」
バハの言葉に、その場の面々に緊張が走った。爆弾が直撃しても死なない程の強者が、二人もいる。
「これで引き下がってくれればいいが」
ブラッドが呟いた直後、黒煙が荒れ狂った。呪術による超加速により、怒涛の速さで現れたのは牛マスクの男だ。気付けばその男はブラッドから五メートル足らずの距離にまで迫っていた。狙いの矛先はダミアンだ。機関車の如き勢いで突進する猛牛は、あと一秒足らずで標的に到達し、右手に持つダガーで首を跳ね飛ばすだろう。
ブラッドは咄嗟に踏み出し、その進路に立ちはだかった。瞬きの暇も無くダガーの刃が目と鼻の先に迫り、ブラッドは思わず息を呑んだ。
凶刃が喉を裂き、首に食い込み、その中ほどで、止まった。
マスクの男が舌打ちした。ブラッドを庇い、攻撃を受けたのはドレス姿のマネキン人形、ドーラだった。機械仕掛けの麗人は首への致命的な斬撃を意にも介さず、仰け反りながら右手を伸ばす。掌底部の銃口が敵を捉え、火を噴いた。重低音が唸り、右腕が銃撃の反動で跳ね上がる。
「クソッ!」
牛マスクはダガーを手放し横に跳んだ。大威力のマグナム弾が左肩を掠めた。すかさずバハがハンドガンで追い打ちをかける。これも前転で回避。牛マスクは爆発によって開けた退路に体を向けながら起き上がり、超加速で逃走を図る。
「オズ!」
ブラッドが叫んだ。一瞬、牛マスクの動きが止まる。その声、体格、覆面、そして呪術に、ブラッドは覚えがあった。
牛マスクはブラッドを一瞥する。だがその姿は猛スピードで遠ざかり、再び黒煙の中に消えた。
◇◇◇◇
翌日、港に散乱する悪漢共の屍の山に紛れ、ベイカー・ファミリーの元首領、オーガスト・ベイカーの遺体が発見された。シーサイドブリッジの欄干に首から吊り下げられたその遺体は衣服をはぎ取られ、皺だらけの肉体は猛禽に啄ばまれた様に傷だらけだったという。
葬儀から間もないベイカー家に起こった驚愕の怪事件にマスコミは沸き立ち、連日注目を浴びるであろう怪事件を煽情的に報道すべく奔走していた。SNSでは既に死体の写真が出回り、ショッキングな画像への拒絶反応と注意喚起は、既にファミリーや裏社会への批判と嘲笑の声に変わりつつある。
「ここからなら、あの橋が良く見えるね」
港湾区の駅前、勤め先のビルの屋上でオズワルドは事件現場を眺めている。鉄柵に腰掛ける弟の顔は牛のマスクに覆われていた。この日は心なしか霧が薄く、屋上から一望する街の輪郭が夕焼けを浴びて色鮮やかに浮かび上がっている。
「昔から気になってたんだ。埋葬されたはずの遺体が、何故か別の場所でボロボロになって見つかる怪事件。あの探偵さんの力だったのか」
「……御遺体が見るも無惨な姿になるってんで、あれをやる機会はそう多くないんだ」
ブラッドは弟の横に立って言った。仕事の内容を話すのは、初めての事だった。
「へえ。じゃあ普段はどんな事をしてるの?」
「まあ紛いなりにも探偵だよ。聞き込みとか、証拠写真を撮ったりとか」
「どんな依頼の?」
「そうだな……恐竜人間探しだったり、殺人事件だったり、犬探しだったり」
「何そのラインナップ。手広くやってるね」
あはは、とオズは楽しげに笑った。ブラッドも自嘲気味に笑い、所属する事務所の荒唐無稽さを改めて実感した。セリーヌの御眼鏡に適う事件はそう多くない為に、暇なときは実際暇なのだが、一つ辺りの内容の濃さが桁違いなのでブラッドは数々の事件の記憶を詳細に記憶していた。弟に聞かせた話は九年前、ブラッドがカークランド探偵事務所で働き始めて三つ目の事件で、犯人は恐竜人間に仕込まれた歴戦の殺人犬だった。
「お前はどうなんだ、オズ。昨日の襲撃も、お前の仕事だったのか?」
「……俺は、兄貴みたいに愉快な話は出来そうにないな」
オズは腰掛けていた鉄柵から降り、兄と向かい合った。
「兄貴がバーの仕事を紹介してくれるまではさ。俺はこの顔のせいで毎日毎日、不安でしょうがなかった」
ブラッドは弟の被るマスクの中の素顔に思いを馳せた。醜く爛れた顔のせいで不登校になったオズは、十二歳の頃から四六時中素顔を隠して生活していた。幸いオズは元来社交的で物怖じしない子供だった為、顔さえ隠せば外に出かけることもできた。それでもすれ違うほぼ全ての人々に好機と不審の目を向けられるのは、身の縮むようなストレスだったという。次第に外出そのものが億劫になり、引きこもり生活に引きずられるようにオズは塞ぎ込んでいった。
「兄貴も俺も学校辞めちまってさ。父さんの遺した金が全部無くなったら、俺は一体どうなるんだろうって、漠然と思ってさ。考え始めると恐怖が際限なく膨らんでいって、でも、自分でどうにかしようって気持ちにはなれなかった」
オズが働き始めたきっかけは、ブラッドが探偵業でバーの店主、ハイアットからの依頼を解決したことだった。ハイアットはホーン家の事情を真剣に聞き、二つ返事で弟の世話を承諾した。二年前のことだ。オズは少しずつ明るさを取り戻し始め、ブラッドも肩の荷が下りる思いだった。
「兄貴が仕事で留守の時だった。夜だったな。どうにも胸が詰まって、俺はマスク姿で外に出たんだ。街灯を頼りに、霧だらけの道を闇雲に進んでいった。そこに」
男の子が立ってたんだ。オズは言った。
「男の子?」
「いかにもお坊ちゃんって感じのスーツを着た、金髪の子供だった。街灯の下にポツリと立ってて、その子が言ったんだ。こんばんは。僕は”虫の王”なんです、って」
「王、だと?」
ブラッドは眉をひそめた。昨晩も聞いた単語だ。彼はいつかセリーヌが言っていたことを思い出す。世紀末に突如として現れ、世界を蹂躙し、統治した呪いの王たち。彼らの王たる所以は統治者としての地位ではなく、体内に取り込まれた特殊な”血”、そこから齎される超常の力なのだという。王の血は他者に分け与えることも他者から強奪することも可能なので、国家元首イコール呪いの王という訳ではない。現在、世界では数百の国々が確認されているが、実際の王の数はそれよりも多いはずだと、探偵は自慢げに語っていた。
良い呪術師を探しているんだと、その少年は語ったという。
「そして、俺は体に百足みたいな虫を植え付けられた。ここにさ」
オズは胸の中心を指差した。淡々と語る彼の表情には虚無的な陰りがあった。
「酷い話だよな。出会い頭に気色悪い虫を突き付けて、今日から僕の命令に従えって、満面の笑みで言うんだぜ。しかもあいつが軽く念じれば、それを合図に体内の虫は暴れ狂うんだと。そうやって処刑される手下どもを、俺は何人も見て来た。あの子の下で働かされながらね」
「働くってのは、昨日みたいな仕事をか」
「そうさ。そして今朝、次の命令が来た」
オズは遠く彼方に沈み行く夕日に目を遣り、おもむろに牛のマスクを脱いだ。ケロイド状に醜く爛れた、呪われた顔。諦念に満ちた素顔を、懐から取り出した拳銃と共に、兄へと向けた。
「兄貴、俺はさ、十二の時に死んだと思ってたんだ。気の合う友達も沢山いたし、結構モテたんだぜ。けど、ある日この理不尽な呪いを受けて、俺が社会で築いてきた全てが崩れ去った」
ブラッドの憐れむような視線を、オズは必死に睨み返している。
「虫の王に出会ったときは、どん底に落ちた気分だった。死人みたいに過ごす日々に、更に下があるのかってさ。でも、あいつの依頼をこなして、金を貰って、三人ぐらい殺した時に気付いたんだ。長い間、部屋の隅っこでぼけっと口を開けながら待ち望んでた、生きてる実感みたいなものにさ」
昂ったぜ、とオズは言った。
「俺を顎で使う糞野郎に、子供をあやすように褒められて、馬鹿みたいにいい気分になったんだ。顔を隠す為に付けてたマスクに、何か別の俺が生まれたみたいに感じた。人殺しだよ。どんなに取り繕ったってさ。だけど、いい気分だったんだ」
オズはブラッドに迫る。震える手で突き付ける銃口が、兄の視界を埋めた。
「決闘だ、兄貴。銃を抜いてくれ。俺はもう退けない。あんたの為に死ぬ度胸も無いんだ」
「おい、落ち着けよオズ」
ブラッドは両手を広げ、無抵抗を示しながら弟をなだめる。
「よく事情を話してくれた。ああよくやった。だが、お前はその虫の王とやらに騙されてるんじゃないか? 視野狭窄に追い込まれてるんだ。何か見落としがあるかもしれん。俺に話してみろよ。そいつを調べてやる。ほら知ってるだろ、俺は探偵――」
オズは目を閉じ、頭を振った。
「どうか恨んでくれ」
銃口がゆっくりと引き絞られ、オズは目を固く結んだ。撃鉄が打ち下ろされ、火薬の乾いた音が赤々とした空に響いた。
「……ああ、オズ」
ブラッドは眉間に風穴を穿たれ、血を噴き出して勢いよく仰け反り、呟いた。
「俺を、殺したな」
◇◇◇◇
「ブラッド。オズをいじめっ子から守ったんだそうだな」
レナルド・ホーンは玄関で膝をついて屈み、学校帰りの九歳のブラッドと目線を合わせて言った。
「う、うん。ちょっとやりすぎちゃったかも知れないけど」
「よくやったな。私の自慢の息子だよ」
レナルドは傷だらけの顔を皺くちゃにして笑いながらブラッドの頭を撫でた。ブラッドは照れくさそうに目を伏せている。
父の昔の稼業をオズは知らない。ブラッドにもよく分かってはいなかった。ただ、父がそれを恥じていることを知っていたから、ブラッドはそのことを聞かないよう気を配っていた。
「お前は私の誇りだよ。これからもオズのことを守ってやってくれ」
「と、父さんだって俺の誇りだよ」
ブラッドは顔を赤らめて呟いた。レナルドはそれを聞き沈痛な面持ちになる。ブラッドは慌てて取り繕おうとしたが、何を言うべきか分からず、結局黙ってしまった。
「なあブラッド。私は人様に誇れるようなことは何一つできてはいない。だが、お前たちだけは絶対に幸せにする。約束させてくれ」
「と、父さんがしたいんだったら、いいよ」
父が殺されたのは、それから五年後のことだった。
道端に転がっていた死体を見つけたのはブラッドだった。暫くして、彼はカークランド探偵事務所を訪ねた。
「仇を見つけ出してどうするんだい?」
「殺します」
少年は自分が生涯幸せになれないことを覚悟した。まだ十四歳だった。
「いいだろう」
セリーヌは妖艶に笑い、ブラッドの顔を間近に覗き込んだ。
「私が舞台を整えてあげよう」
二日後、ブラッドは探偵事務所のあるビルの斜向かいにあるセリーヌの邸宅に招かれた。寝室に入ると、礼服姿で高級なベッドに縛り付けられた小太りの金満家が必死にもがいていた。
「何故、父さんを殺したの?」
「だ、黙れクソガキが! 奴はなあっ、私の祖母を殺したんだぞっ!」
「言っておくが、そもそも自分の祖母の殺害をレナルドに依頼したのはこの男だぞブラッドくん」
「だ、黙れ! 貴様のような化け物女には理解できん、込み入った事情があるんだ!」
「その込み入った事情とやらを解説することもできるが、聞くかい?」
ブラッドは首を振った。男の高圧的で猛り狂った態度に反発するようにブラッドの心は波立ち、激情が少年の小さな胸の中一杯に渦を巻いていた。男のしみと脂と汗に塗れた汚らしい顔が、醜悪を絵にかいたように弛んだ肉体が耐え難かった。早く終わりにしたい。ブラッドはその一心でリボルバーの撃鉄を起こし、銃口を男の眉間に密着させた。男の潤んだ目が恐怖に見開かれた。ブラッドも殆ど涙目だった。
「な、泣く位なら撃つなっ。まだ間に合うっ、話せばわかっ」
ブラッドは引き金を引いた。撃鉄が撃ち鳴らされ、鉛玉が男の脳天を砕いた。ブラッドの腕が反動で跳ね上がった。純白のシーツが血塗れになった。男は恐怖に引き攣った表情を顔に張り付けたまま、呆気なく死んだ。
ブラッドは絶叫した。半狂乱だった。
そして自分の喉にリボルバーの銃身を突っ込み、撃った。殆ど発作的に、ブラッドは自殺した。
「中々刺激的な見せ物だったよ、ブラッドくん」
途切れた筈のブラッドの意識に、超然としたセリーヌの声が反響した。
「ああ、素敵だ。君が気に入った。初めてなんだ、こんな気分になるのは」
セリーヌの柔らかく、氷のように冷たい唇が、ブラッドの口を塞いだ。
「これは、お礼だよ」
◇◇◇◇
ズドン! 脳味噌をシェイクする銃弾の衝撃に揺らされ、ブラッドの意識は過去から引き戻された。眼前の黒スーツの男は無感情にブラッドを見つめている。気付けば、霧に煙る街の通りには彼らの他に人影は無く、この物騒な殺しの現場の目撃者はいない。
「俺の命が欲しいんだったな」
スーツの刺客が訝った。ブラッドは眉間から血を流し、天を仰いだまま言う。
「こんな安い命でよけりゃあ、いくらでも暮れてやる」
不意に、一際濃い霧の幕がブラッドを横切った。白いベールに阻まれ、一瞬その姿が隠れた。
「だから、代わりをよこせ」
その契約呪術は、死を境に発動する。
呪術師ブラッド・ホーンは、死によって覚醒する。
霧のベールが通り過ぎ、その姿が顕わになる。黒服は慄いた。寓話の悪魔そっくりに生えた禍々しい三日月形の二本角。剥き出しの頭骨は獣じみて前方にせり出し、鋸の如き牙を威圧するように覗かせている。髑髏の中はタールのような液体で満たされ、黒く淀んだ眼窩部に氷のように青い虹彩が浮かび上がっている。眉間の風穴は溢れ出た泥のようなもので塞がれ、ブラッドが指で拭うと傷跡は跡形も無く消え去った。
こんな話は聞いていない。こんな化け物だったとは。黒服は固唾を呑み、右手に持ったビジネスバッグから愛用の手斧を抜き出し、構えた。眼前の異形を睨み据え、気を引き締め直す。
「鬼殺しのオルカだな。老夫婦の頭を斧でカチ割り逃走。その後は八俣グループに拾われ、貴重な呪術師戦力として好待遇の元派手に暴れている」
「そうだ。そして次の標的は貴様だ、ホーン」
「逆だよ、オルカ」
「何?」
ブラッドは角ばった白骨の指をオルカに向けた。
「呪術犯罪者の処遇は生死問わずだ、オルカ。趣味に羽目を外し過ぎたな。港湾区連続殺人事件の犯人としてお前を殺し、警察に突き出す。お前は、俺の獲物だ」
オルカが舌打ちし、右手の手斧を投擲した。猛回転しながら迫る凶器をブラッドは頭蓋で受ける。ガンッ! 骨片が舞い、分厚い刃が音を立てて頭蓋の兜に食い込んだ。ブラッドは事も無げに斧を引き剥がし、オルカに向かい跳んだ。ブオン! 大振りの一撃がオルカに打ち下ろされる。
オルカはすれ違うように前転で脇を潜り抜け、大きく飛び退いて距離を取った。二人の前後が入れ替わる。振り向きざま、ブラッドは斧を投げて追撃。一直線に飛来する凶刃をすれすれで潜り抜け、オルカは爆発的な踏み込みで接近する。彼の呪術は肉体強化。近接戦闘は彼の領分だ。二者の距離が二メートル弱に迫る。
「貰った!」
突如、地面のアスファルトが砕けた。呪術によってパンプアップした強靭な肉体による踏み込み。その独特の動きは中国伝来の魔技”九極拳”における発勁法、震脚である。オルカの拳がブラッドの胸部めがけて打ち出される。呪術により作り上げた超人的肉体、助走で得た推進力、足腰の捻りによる重心移動に、震脚により得た地面からの反動、これら全てを掛け合わせた乾坤一擲の鉄拳は殺人的な威力を生み出し――
その拳は、ブラッドに届くことはなかった。
「あがっ」
オルカの後頭部に深々と突き刺さった斧。意識の死角から致命的な一撃を投げつけたのは、霧に紛れ後方に倒れ伏していた、名も知れぬ死体。
ブラッドは”骸の王”セリーヌ・カークランドとの契約により、自身の死をきっかけに彼女の一切の戦闘能力を余さず譲渡される。遍く死者は、一切の例外なく彼の操り人形になる。
「俺はお前に殺された。だから、代わりの命がいる」
ブラッドはオルカの胸に手を当てた。その冷たい白骨の指が、水に沈む ようにオルカの皮膚にズブズブと入って行き――
「大丈夫。後で蘇らせてやるから」
留置所でな。ブラッドはそう呟くと、オルカの心臓を素手で握りつぶした。びくりとオルカの体が痙攣し、連続殺人鬼は目を剥いてその場に倒れ、絶命した。
◇◇◇◇
「それで結局、例の事件に関する情報は聞き出せなかったのかい?」
セリーヌは事務所のソファに寝そべりながらブラッドの報告を聞いていた。殺人鬼オルカは”スタッグ・ビートルズ殺害事件”と直接の関係は無く、バンドメンバーの殺された時期と、メンバーの一人でドラマーであったアップル・ターキーの娘をオルカが殺した時期が一致していただけだったという。
「全く傍迷惑な話ですよ。殺人鬼一人始末できたとは言え、結果的に八俣グループをまた刺激する形になっちまった。虫の王の情報もまだ聞き出せてないってのに」
「ふむ、スタッグ・ビートルズの件はしばらく保留だな。ところで八俣グループの事なんだがねブラッドくん。もう奴らにつけ狙われる心配はしなくていいぞ」
「え?」
きょとんとするブラッドに、ゴスロリ姿のセリーヌが紅茶を飲みながら得意げにサムズアップをして見せた。
「私が直接社屋に出向いて懇々と訴えかけたら、会長は君への狼藉を謹んで詫びてくれたよ。オルカの逮捕と内情暴露が効いたんだろう。しばらくは警察に小突かれて、私たちにちょっかいを出す暇もないだろうさ」
セリーヌは悪戯に微笑み、ブラッドにウインクした。艶やかな黒の長髪に張りのある肌。彼女の若々しい美貌は出会ったころからすっかり変わらない。最近はロリータ・ファッションに手を出し始めたので、華奢な体躯に新世紀トレンドのメイクも合わさって、寧ろ昔より大分幼く見えるほどだ。
「兄貴、赤くなってるよ」
「うるせえ。お前の方がよっぽど赤いわ」
オズはラム酒をグイと呷り、全身骸骨の赤みがかった体にアルコールを流し込んだ。喉を通り抜けた酒は、ブラックホールに吸い込まれたかのように消えていく。
「ウメエッ!」
オズは口を拭い、兄に空のグラスを差し出した。ブラッドはそれを受け取り、酌を受けた。
「あまり飲み過ぎるなよ助手くんたち。明日は朝九時に王立博物館に集合だぞ」
「え、もしかしてデス・プレデター事件ですか? あれは結局職員同士の痴情の縺れだったって話じゃあ?」
「それが教授のタレ込みでデス・プレデターが実在した可能性が高いことが示唆されてね。これはもう怪事件ハンターの血が騒ぐわけだよ。何でもその正体は二足歩行人面猫だという説が濃厚なんだ」
「人面かあ。逆だったら良かったのに。ねえ兄貴」
「……どう転んでも面倒そうな事件だなオイ」
「期待しているよ。私の可愛いブラッドくん」
ブラッドは目を伏せ、酒を一気に飲み干し、グラスをオズに差し出す。すかさずオズが替わりの酒を注いだ。その光景を見たセリーヌも物欲しげに愛用のマグカップを取り出し、酒盛りの席に加わった。不死の探偵たちの夜は、今日も穏やかな笑いと共に更けていった。
【序章 終わり】