「来週は、今週よりももっと面白いです」
テレワークや外出自粛に伴い、特にやることが無いのでストレス発散も兼ねて始めたこのnoteだが、書き始めて思ったことがある。それは『更新』の大切さだ。
ここでいう『更新』というのは、別にnoteを書いて公開することではない。日々部屋に籠っていると、自分の中のエピソードや面白い体験が『更新』されないのだ。
よく、飲み会で聴かれる「最近面白い事あった?」という、雑で難易度の高い話題振りだが、これに立ち向かえるだけの武器が枯渇していくのがわかる。これは由々しき事態である。
例えば、何か書こう、と思い立った時に、昔の思い出を書くくらいしかできないというのは、なんというか、非常に癪だ。昔のエピソードを思い出しながら書くのも楽しいものではあるのだが、やっぱり新しい話題が欲しい。
そんなことを思いながらも、感染者数が高止まりしている札幌市内をエピソード欲しさにうろつくわけにもいかない。何といっても緊急事態宣言中である。自粛が求められている中で、そんなわけがわからない理由で外出するなど言語道断だ。
と、まあこんなことを考えている中で『更新』されないというのはとても寂しいことなのだ、ということを思い出した。
これは、以前の文章でも少し話題に出した【日高晤郎】という『話芸人』の話でもある。
私が物心ついたときには、この【日高晤郎】という人物は、毎週土曜日に北海道のSTVラジオという放送局で朝8時から夕方17時まで『ウィークエンドバラエティー日高晤郎ショー』という生放送のラジオ番組をやっていた。9時間の生放送である。朝、親の車ででかける際にはもうカーラジオの中では【日高晤郎】が喋っていて、夕方、買い物などを終えて車に乗り込み家に帰る際にも、まだ【日高晤郎】が喋っているのである。子供ながらに、この人いっつも喋っているな、と感じていた。
ラジオ番組といえば、様々な人からリクエストをもらって曲をかけるものだが【日高晤郎】は違う。自分の嫌いな曲は、かけない。一度、中継先で子供がリクエストしたAKB48の曲を「今日はそれ無いみたい」とぶっちぎって、自分の応援している演歌歌手の曲をかけていたときは、思わず笑ってしまった。そういう人なのである。
もちろん、非常に好き嫌いの分かれる人だったとは思う。何せ、非常に偏屈な人だ。嫌いなものは徹底的に嫌う。好きなものは徹底的に推す。しかもそれを電波に乗せて、言う。何度この人の口から『嫌ならば聞かないでください』の言葉を聞いたかわからない。人気の芸人や役者たちをこき下ろし、自分への批判にはほとんど聞く耳を持たない。これだけ聞くと、ただの偏屈爺だが、実際ただの偏屈爺だったんだと思う。
元々は市川雷蔵の弟子で、その後勝新太郎の元で俳優として活動していたらしい。ただ、上記の2人は日本映画史に名を残している俳優ではあるが、日高晤郎は俳優としては全然売れていないと思う。もしかしたら、私が生まれる前にはある程度TVなどにも出ていたのかもしれないが、全く知らない。人気の俳優や芸人に対して『売れていることと実力があることは違う』といいつつも、もしかしたらそこには、嫉妬が混じっていたのかもしれないな、とも思う。
ただ、自分を気に入ってラジオを聞いてくれるお客さんに対しては、徹頭徹尾誠実な人だったとは思う。
何せ、35年間、毎週9時間の生放送をほぼ休み無く続けたのだ。本人は東京在住にも関わらず、北海道のラジオ局で、である。これだけでも狂気の沙汰だと思う。
この人が番組の終わりがけに良く言っていたことがある。
「来週は、今週よりももっと面白いです」
このセリフは、今考えても非常にカッコイイと思う。『更新』の確約だ。たとえ虚勢であったとしても、自信満々にこれを言えるというのはとても凄いし、聞く方は嬉しいのである。
2017年あたりから【日高晤郎】は自分の体調の悪さをネタにすることが多くなった。主に、自分の下半身に関するしょーもない下ネタではあるが、今考えると、その時既に体調はかなり悪かったんだろうな、と思う。そして、2018年2月、【日高晤郎】は入院に伴い番組を休んだ。
だが、1週間後には戻ってきて、9時間の生放送をやっていた。この時の声はしゃがれていて、以前のテンポも、声の張りも無かったように記憶している。
そして翌月の3月末の放送で、再度の入院・手術をすることになった、と報告し、この日も9時間の生放送をキッチリやり切っていた。この時、「次回はもっと面白くなります」と言ったかどうかは覚えていないが、言っていてもおかしくはないな、と思う。正直私は、また1回休んで戻ってくるものだと思っていた。
その翌週に、亡くなった。
生涯現役とは、まさにこの人のことだと思う。死ぬ前の週まで9時間の生放送をしっかりこなして、最後に自分でカフを下げて終わるとか、ちょっとカッコよすぎる。
【日高晤郎】の死の報を聞いたとき、私は「ああ、また一つ、好きなものが『更新』されなくなってしまった」と感じた。
『ウィークエンドバラエティー日高晤郎ショー』のエンディングは、決まって、ある曲を【日高晤郎】が歌う形で終わる。それは、堺正章の『街の灯り』という曲だ。これは、最後まで変わることが無く、日高晤郎は毎週『街の灯り』を歌い続けていた。
だが、これが、ビックリするくらい下手なのだ。35年間歌い続けたとは思えないくらい、下手だ。本人もそれを自覚しているらしく、ネタにすることもあった。
そして、その下手な歌はもう二度と『更新』されないのである。
だからせめて、生きているうちは「今週よりももっと面白い来週」を迎えるために『更新』をしていかなきゃならないな、と思った次第です。
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