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日記〜是諸法空相・・・転向という暗部あり

3月6日(土)早朝は薄曇りだったが、だんだん晴れてきた。夕方は薄曇りとなり夜になって冷えてきた。
日課:今日は土曜日、流しとキッチン壁タイルとガスレンジを拭く。
ベランダ植物に水をあげる。火曜日の追肥の日にあげてなかったので追肥もした。写真は、冬の名残と早春が同居するベランダ。

黄色と白のビオラ、ゼラニウム、イベリスの花柄摘む。
うちのゼラニウムとブライダルベールは花つきが悪い。
ブライダルベールに至っては、去年は全く咲いていない。
剪定したらついついあちこちに挿すから株だけが増え、2種類とも葉が茂っている。

植物好きな友人に「乾かし気味に水をあげた方が良い」と言われたが、それができない。
同じ時間に、どの鉢にも同じように水をあげているだけで精一杯。

けれども、毎日ちゃんと繰り返せるようになっただけでもよし、だ。
移ろいゆくからこそ、「お大切」を手放してはいけない。
私は、今を生きることで、やっとこれを学んでいるのだ。
「その花を活かせる」はこれから。待っててください。

先日、yさんがアロエと月桂樹の鉢を届けてくれた。
重い重い鉢を階段4階の我が家まで運んでくれた。感謝。
月桂樹の生の葉は、ドライとはまた違う、とっても良い香りがある。
早速、ピクルスを作る。yさんの分と二つ。
でも赤大根も一緒に入れたら、ピクルス液が赤くなりきゅうりも染まってきた。
yさんの分は作り直した方がいいかもしれない。

午後は、買い物に行こうと思いながら、なかなか体と心が重い。
思い当たるのは、十日ほど前の「夜明け前」読了からの時々押し寄せる波だ。
あの本を読むと必ずズーンと沈み、その轍から一歩を踏み出すことがなかなかできなくなる。こりゃあもう向き合ってみようと思った

私が学校で学んだ歴史は、正史。ともすれば為政者の語る物語(history=his story)。
(historyの語源は諸説あるそうだが、私はこの語源説、腑に落ちる)
宮崎駿さんの造語「セッ記」も共有したいけれど、またどこかで。

市井の人々は幕末から明治維新、近代国家へと変貌する激動の三十数年をどう生きたのか・・・。
『夜明け前』は木曽路馬込の宿を舞台とした、主人公半蔵を取り巻く群像劇だ。
そこに出てくる全ての人々がこの「激動」をどう生きようとしているのか、生々しく迫ってくる。

それほど緻密に描かれている。半蔵を座敷牢に閉じ込め、狂死させた人々だけでなく。通りすがりの一町人の言動も。

そこに「私」が見つかる。そして苦しい。人ひとりを狂わせる「世間」という私。
あるいは「世間」に狂わされそうになる私。

コロナ禍の今は、激動の時代と言えるかもしれない。
渦中は、(文字通り渦の中では)どう泳いでいいのかわからない。ただただ、みな安心できる出口を探している。私の日常の行動原理もそうである。

いつだって、ひとり1人の行動や言動の重なり合いが「世間」を作る。専門家だって、メディアの人たちだって、政治家だって、医療従事者だってみな「世間」だ。世界中が模索しているのだから、今は「これが正しい」とか「最善の選択」という言い切れるものはないんだろうと思う。

過ぎてしまって、「これが正しかった、これは間違いだった」という歴史が残される。そして、「あの人が正しくて、あの人は間違えた」とか、「立派だったのは誰々だ」とか事実を都合よく編集した「物語」が出来上がるのだろう。「物語」が「世間」の多くに支持されたら、「現代史もどき」になり、専門家の考察を経て「現代史」となり、やがて「歴史」となっていく。

「世間(私)」は「コロナ禍の現場」を知っている。「物語」をどう扱うかは「世間」次第だ。「政争の具」や「金儲けのお先棒」や「迷信の流布」には踊らされたくない。為政者さん達に「世間」を舐められたら困る!

藤田湘子に「甚平着て 転向という 暗部あり」という句がある。甚平を着ながら、8月の終戦を憶い詠んだのだ。「私は転向しました」という告白ではなく「私たち(世間)は転向しましたよね」と私は解釈した。30歳の私は、「清も濁も我がこととして飲み込んで、なんかかっこいい大人!」と思った。

ゴミ出しに一度出たきり外出なし。ストレッチ2セットと階段昇降5往復。
朝ごはんは、オートミールにドライフルーツと牛乳、納豆、ホットコーヒー
昼ごはんは、煮麺と菜の花のおひたし、青パパイヤ味噌漬け残りと大根づけ
夜ご飯は、水菜とブロッコリーのサラダ(コリンキーのピクルス微塵切りとピクルス液とマヨネーズとアボカドをペーストにしてドレッシング)
麩のチャンプルー

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