5月 お墓参りと般若心経と気と・・・日々暮らす事
お墓参りに行った。新幹線と在来線特急を乗り継いで片道約7時間、1泊2日の旅。6月に予定していることを報告したい気持ちもあった。睡蓮は、その帰り道に寄った美術館の庭の池に咲いていた。
お墓参りに行ってよかった。60数年生きていると、いろんな人とのお別れをしたが、お墓に眠る人には、悔やむ気持ちと慰めたい気持ちを抱えながら暮らしている。そんなふうに別れた人なのだ。
在来線特急を降りて、義姉が予約しておいてくれたレンタカーを借りる。地元情報でしか見つからないローカルなレンタカーで格安だからと手続きをしてくれた。
40分ほど車を走らせると菩提寺だ。御住職にご挨拶をした。
御住職は、天竺の半襦袢に縮緬のゆったりとしたステテコ姿で、境内から続くご自宅の庭や植物に水を撒いておられた。
5月とは思えない、蒸し暑い日だ。
これまで数回しか尋ねていない、〇〇家の遠方に住む「嫁」である私が名乗ると、ほんのちょっとの間で「あー、〇〇さんの」と思い出してくれた。「手土産」という感じで羊羹を差し出すと、「そんなことはせんでええ。いつでもお参りにきてええんじゃ。」とおっしゃって
御本尊にお供えして手を合わせるように促された。
娘さんらしい女性が羊羹を受け取り案内してくれる。
線香の煙と香りの中に御本尊がある。お花が飾られている。
少し離れたところに、御住職が書き物をするような文机があり、和綴じの帳面のようなものが拡げられていた。
娘さんが線香が焚けるように蝋燭に火をつけてくれ、そばに羊羹を供えてくださった。
ああ、「手土産」ではなく「お供物」なんだ。
平生、信心深い暮らしをしている訳ではないが、お寺という聖域で死者ととも温かく迎え入れられた気がして安心した。
御住職に会いたかったのは、「般若心経」のお写経を郵送でも送って良いかというご相談もしたかったからだ。
私は、般若心経に救われると感じた数年前、お写経をして1日を乗り切ろうとしていたのだと思う。そして、現在に至る。
私には般若心経を語るような深い理解はないけれど、安寧の根本を説く般若心経に「気」という文字が一度も出てこないことで安らかになったということははっきりと思う。
御住職からは「いつでも郵送しなさい。供養しますから。」と言っていただき、お礼を言って車に乗った。その足で一人暮らしの義母を訪ねて車を置いて、お墓参りをした。伝えたかった事の他に、今自分が抱えていることも念じた。
義母の家で、コーヒーを飲みながらゆっくり話ができた。
義母は、私の悲しみと義母としての悲しみを重ねて、一緒に泣いてくれた。
夜は義姉夫妻と待ち合わせ食事をした。季節の看板メニュー鱧料理のコースは本来は予約制だが、お客が少ないので作りましょうとのお店の計らいでいただけることになった。
義姉夫妻は口数の少ない穏やかな人たちで、今回のお墓参りも理解してくれていた。
帰路の新幹線で、向かう時よりもずっとありがたく安らかな気持ちだった。
本家は留守だったが、後日すぐにお便りが届いた。
お供物の意味をネットで調べた。
香・花・灯明・水・飲食の五つのお供物を「五供(ごくう)」というらしい。
お香で清められ、蝋燭の明かりで私の闇を照らして除き、清らかな水で私自身の心を洗われ、逝った人と残された私とが同じ物を食べてつながることを祈る。
お寺やお墓で手を合わせるときの行為に込められたものを再認識。
(そういえばお葬式の時の説明で聞いた気がする)
夜遅く帰宅したので夕食は取らずに寝た。
翌日は朝寝坊したので、朝昼兼用でお墓参りの前に作りおいた常備菜を並べた。お供えも。
私は八幡まきをよく作る。ご飯と八幡まき2切と味噌玉で作る味噌汁ですぐに食卓が整う。味噌玉は一人暮らしにはとても便利。具も何種類か作りおいておく。
我が家の小さな仏壇に蝋燭を灯し、線香を焚き、ベランダの小さな花を新しい水と共に供え、御膳をあげた。
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