スピリチュアルで答えは見つからないけど、間違いではない矛盾
引き寄せの法則は多くの希望をもたらすと思います。
願えば叶う という魔法の言葉も本当に魅力的です。
願いが叶うことを論理的に表せば、引き寄せの法則に近いものはあるのだろうとは思うのですが、それがすべてではありません。
なぜなら、願って叶う人と叶わない人の両方がいるからです。
例えば「アセンションする」 、「ただ見つめましょう」は自身を高めるような、気持ちが清らかになったような、良い人でいられるかのような崇高な目的があると思います。精神性の高まり、波動を高めることを目指すものだと思うので、実際に良い面も多くあると思います。
ただ、精神性の高い人や「知識上での幸せ感」があれば、良いことが起こって幸せなわけではありません。あなたから見たら、「なぜこんな人が?」と思うような人でも幸せな人はたくさんいます。
アセンションするしない、精神性等は幸せとは全く無関係です。
知識や思考の上での幸せであれば関係するかもしれませんが。。
「~する」と幸せになる
それは人に希望を与え、精神性を高めるための動機づけには確かになるのですが、そこに幸せがある と考えることで、そこ以外に幸せは見いだせないといった別の定義を同時に創り出します。
どこかに幸せがあるわけではなく、あなたがそうだと決め込んでいるだけです。そして、自分が決めたと思っていることも全部、「ただ起きているだけ」なのですが、自分の決断が幸せを引き寄せた と人は思いたいのです。
それでなければ希望が持てず、承認欲求も満たされないのです。
外側の何かから自分に希望をもたらされること、他者から認められることが人は大好きです。
しかし、それが全てひっくり返らなければ、あなたにとっての本当の目的地にはたどり着きません。
本当はたどり着く必要もないし、たどり着く場所もないのですが、それを求める人にとっては、自分が一番見たくない、受け入れたくない厄介な部分が丸ごとひっくり返る必要があるのです。
すべてがひっくり返り、別に求めるものもなく、何が正しいもないことは、何かを目指す人、どこかに向かっている人には否定したいものですが、今もあるこれ、それにしか完全さはないのです。