お弁当に「ふろく」が付いていたら
東京・西荻窪の「gallery cadocco(ギャラリー カドッコ)」さんで8月18日から開かれている「美子さんのお弁当ふろく展」を見てきました。
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「美子さん」とは、幼稚園に通う息子さんのお弁当に手作りの「ふろく」を添えていたお母さん。
出版社で本の装丁を手がけていた美子さんがひとつひとつ手作りする「ふろく」は、豆本のようだったりレストランのメニューのようだったり、飛び出す絵本になっていたりと、ユニークでとても完成度が高いものでした。
花壇に咲くチューリップは花の部分がカッターで切り抜かれていて、台紙をめくるたびに赤、白、黄色に色を変える仕掛けになっていました。
(ちょっと感動し過ぎて「写真撮っていいですか」と言えず……)
ふろくにはその日のお弁当のメニューが細かく書かれていて、当時のお弁当にどんなおかずが入っていたのか目に浮かびます。
美子さんの息子さん(田中庸介さん)は、詩人であり細胞生物学者というもの凄い人。
ちょうど私と同世代とのことで、幼稚園のお弁当の思い出が一気に甦りました。
当時はキャラ弁なんて概念もなかったけれど、海苔と梅干しでご飯に顔の書いてある子がいたのを思い出しました。
冷凍食品も当時は高級品だったから殆ど登場せず、赤ウインナーに卵焼き、常備菜の佃煮なんかが定番でした。
他の子のお弁当のおかずが妙に美味しそうに思えて、交換したりは誰しもありますよね。
うちの母の作るおにぎりはとても大きくて、男子に笑われるから小さくして!と訴えたこともあるけれど、愛情たっぷりのふろく達を見たら母に謝りたくなりました(苦笑)
ギャラリーの店主さんと少しお話させていただく中で、こんな言葉が出てきました。
「お弁当は家庭の出先機関」
お弁当の中身は家庭の食卓の延長で、お家でどんなものを食べているかが映し出されているということ。
そしてお家の食事の縮図であるお弁当を、集団生活の中で食べることで生まれる社会性。
もちろん幼稚園児がそんなことを意識するはずもないけれど、そこには情報交換とか新たな気付きみたいなものが確実に生じているんですよね。
人格形成の序盤で、みんなでお弁当を食べるという行為がどれだけ大切なことか。
そこに「ふろく」というエンターテインメント性が加わることで、親子の対話が生まれていたんだなあと思います。
ある意味とてもプライベートなものを見せていただいたわけですが、驚いたのが非常に保存状態が良いこと。
50年の時を経ても画用紙の白い部分がちゃんと白くて、色を塗った部分も褪せることなく鮮やかなまま、ふろくの紙自体も殆ど傷んでいません。
美子さんが良い状態で保管していたのは勿論ですが、田中さんが幼稚園から大事に持ち帰っていなければこんなにきれいな状態では保てないでしょう。
(ちなみに、奇跡的に私の幼稚園の連絡帳が発掘されたのですが、茶色のしみだらけでした……笑)
とても優しい気持ちになるひととき、ちょっと遠かったけど行って良かったです。
ちょうど昼過ぎでお腹が空いていたので、通りすがりの間借りカレー店「トネノカレー」さんにてランチを。
さて、この度ゆるく再就職しまして、自分用の弁当を作る生活となりました。
弁当がなければコンビニとラーメン屋しか選択肢がないので、健康と節約のため致し方ありません。
お惣菜を作り置きして小分け冷凍したものをレンチンして詰めるくらい&弁当レイアウトのセンスが壊滅的なので、これから進歩していけたらいいな。
冷食はあまり使わないけど、子供の頃からこれだけは大好きだった「えび寄せフライ」は忙しい日に入れます。
梅干しは母の手作りで、夏場には欠かせません。
ずいぶんと大人になってしまった今でも、お弁当を開くと母の存在があることに感謝。