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昭和ビルディングの思い出

昭和のビルディングって、今にしてみれば味がある。当時流行った建築デザインなのかなぁ、と思うレンガタイル貼りや意匠を凝らした外観。
個人的に「ビルディング」より「ビルヂング」という呼び方が好きなので失くしてほしくないと思う。
そういえば、初めて勤めた会社のビルで迷子になったことがある。

入社しておよそ1ヶ月後には新築の自社ビルに移ることになっていたので、ほんの少しの間だけ働いた場所だった。
都心にほど近いエリアにあったそのビルは、1フロアがやたらと広く、外観はアールが施されていたのが印象的だった。高度経済成長期に建てられたらしいので、その当時の流行りのデザインだったのかも知れない。
エントランスは重たいガラス扉で、大きな丸型ハンドルを押し引きして開けていた。応接室にはやたらと重厚な調度品があったのを覚えている。

廊下は回遊型でひたすら長かった。会議室に資料を届けるのにぐるぐると何周かした挙句に近くの部署に助けを求めた。
緩い時代のことなので、ドジな新入社員として笑われるくらいでお咎めは無かった気がする。

経年劣化して黒ずみの浮いた冷たい鼠色の床と、焦げ茶色の滑り止めの付いた無機質な階段は、先輩たちのヒールが立てるカツカツという音と一緒に思い出される。私にはヒールは履きこなせなかったが。

決してきれいなビルではないし、古いし、トイレは和式だったしで(平成初期は今より和式に抵抗のない時代だったとはいえ)快適とは程遠かったと思う。
昨今のレトロブームもあり、ものすごい勢いで取り壊されていった昭和のビルディングを惜しむ気持ちはあるけれど、その中で実際に過ごしたいかというとまた別なのかも知れない。

例に洩れずそのビルも取り壊され、タワーマンションに生まれ変わったようだ。

入社研修も終え、必死で仕事を覚えていたある日、部長と課長からランチに誘われた。誘われるままに着いていったのは、今でいうところの純喫茶みたいなところだった。
連日気を張っていた新入社員時代、しかも直属上司2人を前に食事を楽しむどころではない。チキンライスを頼んだのだが、味など覚えていない。ケチャップの赤色だけが鮮やかだった。
場所も店名も覚えていないので、その店が現存するかもわからない。
知る術もないし虫のいい話だけれど、喫茶店好きとなった今、残っていたらうれしい。

緊張にまみれながらほんの1ヶ月あまり過ごしただけの街だったけれど、今になって古い建物や昔ながらの喫茶店を訪ね歩くようになって、少々勿体ないことをしたなと思う。
尤も、当時はそんなことに意識を向けていなかったのだから仕方ないこと。
街がどんどん更新されていく中で一粒の面影を見つけてちょっと嬉しくなれればいい。

あの頃、うちの母と1歳違いと知って軽くショックを受けていた課長(当時)から今年も年賀状が届いた。「元気でやっています」の一言が嬉しい。


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南城さいき
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