年賀状をやめない理由
そろそろ年賀状仕舞いをしようか、と考えたことがある。
理由はいくつかある。
12月は繁忙期でとにかく忙しく、元日に届くように年賀状を用意する暇がないこと。
仕事納めが終わってようやく書き始め(印刷であっても必ず手書きのメッセージを2、3行は入れるようにしている)、年内に投函できれば御の字で、ひどい時は来たものに返事を出すだけの年も。それ以降年賀状が届く数が減った気がするが……。
もう1つ、「今年こそ会おうね」という定型文を書くのに嫌気がさしたこと。どうせ会うこともないのに、社交辞令のように毎年同じことを書くのが無意味ではないかと思ってしまった。
そして、年賀状を廃止する友人がちらほらと出始めたこと。
年始の挨拶自体を無くしたわけではなく、紙媒体からLINEへ移行している。
年末の忙しい時期に印刷の発注をかけて、住所変更がないかチェックをして、手書きの文章を添えて投函する。その手間を考えたら私もLINEに変えようか、と思っていた。
世の中も然りで、2015年をピークに年賀状の発行枚数は減少の一途を辿っているという。表裏共に印刷で済ませ、手書き文字があったとしても「今年は会いたいね」の一言のみ。これを「虚礼」という向きもある。
年賀状を出すことをやめるタイミングは、年齢的な区切りだったり喪中がきっかけだったりするという。私は昨年が喪中にあたったので今年の年賀状を取りやめる選択肢もあったかも知れない。
そんなことを考えた時、単純に「寂しい」と思った。
年賀状を毎年出す相手は20人ほど。彼ら彼女らにほぼ共通するのは「スマホが普及する前に出会った人たち」ということだ。
学生時代の友人、社会人初期の頃の上司や同僚が殆ど。
全員がLINEアカウントを持っているわけではなく、なかにはガラケーユーザーもちらほらいる。
ほとんどが毎日のように顔を合わせ互いの筆跡まで覚えている人たちだ。肉声と肉筆での付き合いで築いてきた関係性だからこそ、何十年も年賀状で繋がってきた。
たとえ「会いたい」が毎年同じであっても、年賀状のやり取りが無くなったらシンプルに寂しい。
「会いたい」は彼ら彼女らに対しては、虚礼などではない。
ところで、私は最近「今年こそ会おうね」とは滅多に書かない。その代わりに近況を書くようにしている。
面白いことに年賀状の相手も、気付いたら「会おうね」よりも近況を書いてくれていることに気付いた。
もちろん会う機会を作ることだってできる。けれどあなたもわたしも一緒に新しい年を迎えているという事実があるのが嬉しい。
年賀状で近況を知ること、元気でいることを確認することって実はとても幸せなことだ。だから年賀状はやめない。
元日の朝に「コトン」と郵便受けから聞こえる音に、わくわくしながら玄関に向かう私が今年もいたように。