続日本100名城「霧の佐伯城」。
佐伯市には、「城山」というランドマークがあります。
あの国木田先輩も愛した佐伯城跡がある山です。
なぜ「先輩」と呼ばせていただいているのかと申しますと、
勝手にわたしとの共通項を見つけ、
親しみを感じているからに他なりません。
国木田先輩は、千葉県から佐伯市にやってきました。
わたしと同じです。(先輩は銚子市。わたしは松戸市。)
そして、図らずも佐伯で下宿されていた場所も、
わたしの住まいと近くだったのです。
おそらく、わたしと同じ道を通って、おでかけをしていたはずです。
その国木田先輩が愛した「城山」を、わたしもまた好んで登っております。
「さっきから誰だ国木田(さん)って!」という心の声が、
こちらにたくさん届いておりますが・・・、もうおわかりですよね?
そうです!あの「明治の文豪、国木田独歩」です。
独歩は、確かにこの佐伯にいたのです。
独歩は「春の鳥」という作品の中で、この「城山」を描いています。
そこには、こうあります。
「大木暗く茂った山・・・」と。
わたしは、この城山のベストコンディションは、
このように「霧深く、人の気配のない朝」だと思っております。
「霧の城山」です。ここを独歩します。独り歩きます。
もう「取りつかれている」とも言われます。笑
でも、写真を見ていかがでしょうか?美しいですよね!
そんな城山=佐伯城ですが、築城は1606年のことで、
初代佐伯藩主の「毛利高政」によって建てられました。
この毛利高政がまた凄い人なのです・・・。
石垣は、あの名城「姫路城」の石垣施工を指揮した「羽山勘左衛門」という人物が担当しています。この人をはるばるここ佐伯まで招聘できる毛利高政って、何者なのでしょうか?すごいですよね!
じつは毛利高政は、またも名城「大阪城」に関わっており、築城時(1583年)に、この石垣運搬奉行であったとも言われています。
そんな毛利高政が造りあげた「佐伯城」は、今は石垣のみとなっておりますが、大変に見応えのあるものです。
そして、佐伯城は2017年4月6日(城の日)に、「続日本100名城」に認定されました。
「やっと気づいたのね!国木田先輩に時代がようやく追いつきましたね!」と、思ったのはわたしだけでしょうか?笑
佐伯城は、ほかにも・・・
*大分百景
*佐伯市指定文化財(史跡)
*おおいた遺産
*大分県有形文化財(三の丸櫓門)
*(日本の道百選(歴史と文学の道))
などに選定されています。
佐伯城をこれだけ魅了するもう一つの理由は、その「眺望」です。
この山、「あまり高くはないが、はなはだ風景に富んで」いるのです。
それは最高に美しい「海」、「山」、「川」が見えるからです。
佐伯の海も山も「国定公園」でございます。
そうくれば、当然に川も上級な「清流」です。
さらに、「街」が近い!
そりゃあ、国木田先輩も「散歩がてらいつもこの山に登る」はずです。
もっといえば、ここから見える佐伯湾や番匠川は、
「海路としての交通手段」であり、
「天然のお堀としての防衛機能」を兼ねていたといいます。
佐伯湾は、その後、日本海軍の基地としても利用されます。
この山に城を築いた毛利高政の先見の明。
400年経った今も、ランドマークであり続けております。
この名城、「登る価値あり」です。大人の足で片道20分。
ぜひ大分県佐伯市へお越しください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?