水田に浮かぶ「塩見・阿蘇神社」。
青々とした水田のなかに、こんもりとした山。
日頃、広い佐伯市内をあちこち走り回っていると、この形に「ピン!」と来る。「神社があるな」と。
ここは、佐伯市宇目の塩見地区。
「塩見」の地名の由来をみつけた。言い伝えによると・・・
『`それ‘を最初に発見したのは、畑を耕していた百姓のおじいさん。休憩に、長方形のかたちをした池の水を飲んだところ、塩辛かったということ。それを聞いた村人も確認をしてみるとやはり塩辛く、不気味に思い、村人は池には誰も立ち寄らなくなってしまいました。しかし、何も知らない旅人や武士たちは、入れ替わり立ち替わりに、その池の水を飲んでびっくりし、この話が江戸まで知れ渡るようになっていきます。そして、ついには江戸から偉いお医者さんが訪れ、調べてみると、海の水と同じだということが分かりました。そこで、この塩味のする池のある地域を「塩見」と呼ぶようになった』と伝えられています。(宇目町誌より)
(長方形の池・・ですか。どこ(笑)。しかし、地名は歴史を伝えてくれる。)
その塩見に位置するこちらの神社は、「阿蘇神社」。
人為的につくられた山ではなく、樹齢300年余りに及ぶ大樹が社叢を覆う。こういう景観は、永遠に残っていってほしい。
神社の神殿は現在、西向き。参道もまた西向き。
しかし、かつては東向きで、東側から参拝していたという。
(冒頭の1枚目の写真が東側です。)
なぜ参道の付け替えをしたのだろう。
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それは、東側からの参拝のときは、事故やケガが頻発していたため。
これを当時は神罰と考えて、西向きに付け替えたという。
現在もある石鳥居からは、次のような情報が読み取れる。
『1735年3月吉日 施主:岡田四郎助』
しかしながら、この1735年が「西側に、参道を移転した年」であるのかどうかはわからない。(東側にあった鳥居を、移設した可能性もあるため。)
そもそも塩見の阿蘇神社の由緒について、その創立は確認できなかった。
しかし、興味深い言い伝えが残っている。ご紹介しておきたい。(あくまでも、言い伝えです。)
塩見のこちらの阿蘇神社の氏神様の御神体には、「阿蘇十二姫宮」をお祀りしている。一方、熊本の阿蘇神社は本来、十二社であるが、ここには十一社しかお祀りされていない。それは十二姫宮が塩見に来られて、氏神様として祀られているから』というもの。(宇目町誌より)
これがもしも事実だとしたら、凄いこと。この宇目の地には、何かあるのだろうか。そして、この神社の特別感はさらに深まる。
石段の風合いも半端じゃない。深い深い歴史を感じる。
そこにはトンボがたくさんいた。
黒い羽根の「神様トンボ」が。(神社だけに・・。)
神様トンボは、飛び方も幻想的。
いわゆる一般的なトンボのようなホバリングはしない。
蝶のように飛ぶ。いや、妖精のように・・。
不思議な空間。
神秘的な空間が地域にあることは尊く、そして財産である。
どれくらい長い間、人は稲作を続けてきたのか。「水田と神社」、「農業と神事(祭)」の繋がりには、歴史のロマンを感じる。
農業が文化を守り支えてきた役割は大きい。人口減少・担い手不足は、どんな影響を地域の暮らしに与えるのか。(ソーラーパネルに囲まれた風景だけは見たくない。)
今日は、この姿の神社に参拝できる奇跡に感謝して。