フォトジェニック、「佐伯城」。
愛する佐伯城をもう一度。
大分県佐伯市を象徴するランドマークのひとつ「佐伯城跡」。
市街地にあることから、みなさんしばしば城山を登ります。
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佐伯城は山城で、現在は城郭は残っていない「城跡」。
地元のみなさんは「城山」と呼んで、親しんでおります。
この「佐伯城」をなんとかブレイクさせられないものだろうかと、
世間的な知名度を上げられないものかと、思っていたあの頃。
2017年。
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なぜなら、本当に美しい城、美しい場所ですから。
ぜひ最後まで、写真を見ていってください。
佐伯城の魅力は、その景観。海も、山も、川も見えます。
海は「日豊海岸国定公園」、山は「祖母傾山系国定公園」。
川は「九州屈指の清流、番匠川」です。
最高の眺め!
佐伯城の築城主は、佐伯藩初代藩主の「毛利 高政公」です。
1602年に築城に取り掛かり、
4年の歳月を経て、1606年に完成したといわれています。
「毛利高政は、築城名人」と称されたともいわれております。
大坂城、方広寺大仏殿(石垣)、対馬の清水山城、大分の日隈城、角牟礼城などの多くの築城、修築に関わっているようです。
ちなみに、ふたりの有能な技術者をこの佐伯に招聘しています。
ひとりは、「縄張り」として安土城の建設に腕を振るった市田裕定。
(*縄張りとは、城の全体像を定めることをいいます。)
もうひとりは、姫路城の「石垣積み」を指揮した羽山勘左衛門。
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なぜ、安土城や姫路城のような名城の建築に携わったふたりが、
はるばる佐伯のようなところまで来てくれたのか、大変不思議ですが、
毛利高政にそれだけの力があったということなのでしょうか。
こうして築城された「佐伯城」ですが、
2017年、城の日である4月6日に続日本100名城に認定されております。
さらには、毛利高政が修築に関わった角牟礼城も同じく認定されています。
さすが、築城名人ですね。
ところで、佐伯城の構造はどうなっているのか・・・。
本丸には、三重三階建ての天守閣を擁していたそうです。
本丸には、二ノ丸から廊下橋を渡っていくように設計されており、
非常時にはこの橋を壊し、侵入できないようにしたそうです。
「本丸」の他には、
「本丸外曲輪」、「二ノ丸」、「西出丸」、「北出丸」、「捨て曲輪」。
これらの敷地の配置が鶴のかたちをしているとのことで、鶴屋城と呼ばれました。
そして、佐伯城にももちろん風水の考えが取り入れられています。
鬼門にあたる北東の位置には、「五所明神社」。
裏鬼門の南西の位置には、「若宮神社」。
ここでは、毛利家の「矢筈」の家紋が瓦などに使われていますね。
さらに、城下町のまち割りや、「佐伯五山」と呼ばれる5つの寺院を戦略的に配置し、警備・防衛を意識したつくりになっております。
毛利家は外様でありながらも、12代藩主「毛利高謙」まで約270年続いております。
初期の礎は、やはり見事なものであったのではないでしょうか。
それにしても、この城は美しいです。
あの明治の文豪「国木田独歩」も、この佐伯城跡が大好きだったそうです。
国木田独歩は、この佐伯城跡を舞台として「春の鳥」という作品を残しています。独歩の感性を育てた場所に違いないと思います。
ふもとからは、およそ20分の登山です。
小さな子どもさんたちでも、登れる山ですので、安心して登ってみてください。(トイレはありませんので、ふもとで済ませてから進みましょう。)
登山ルートは、4つあります。
それぞれ、趣があってこれまたいい。
初心者の方は、定番の「独歩碑の道」がおすすめです。
歴史好きの方には、「登城の道」がおすすめ。
やや足元は悪いですが、かつて利用されていた昔からの道です。
そして、頂上は、タイトルの通り、ほんとにフォトジェニックな城です。
インスタ映えします。
ここで、ぜひ景色を楽しみ、写真撮影も楽しんでもらいたいです。
佐伯城はあなたの訪れを待っています。
毛利高政については、ふもとの歴史資料館でも紹介されています。
佐伯城にお越しの際はぜひお立ち寄りしてみてください。
最後までお読みくださったみなさん、ありがとうございます。
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