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宇津々「フルドモリの庚申塔群」。

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佐伯市本匠の宇津々地区。

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古い石塔が集められた「フルドモリの庚申塔(こうしんとう)群」があります。旧 本匠村の指定文化財です。

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「庚申塔」って、何だかご存知でしょうか。

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まず、庚申とは干支のひとつ、「かのえさる」のことで、60日に一度めぐってきます。

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その「庚申の夜眠らずに過ごして健康長寿を願う信仰」のことを、「守庚申(しゅこうしん)」とか「庚申待(こうしんまち)」といいます。(知りませんでした・・)

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この庚申信仰の源流は、中国の「道教」といわれています。

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道教では、人間の体内には「三尸(さんし)」という虫が棲んでいて、「庚申の日ごとに天に上り、人間の犯した罪を細かに天帝に報告する」とされていて、さらに「その報告は人の命を短くするもの」と考えられています。

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ただし!ただしです。庚申の日、昼夜寝なければ、「三尸」は天に上って、天帝に人間の罪を告げることはできません。

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この庚申信仰は、もとは「上流社会の行事」だったようです。これは平安時代に遡(さかのぼ)ります。

貴族が宮中で宴会のような席を設けて、碁やすごろくをしたり、詩や歌を作ったりして遊び、夜明け近くなると、管弦を奏して過ごしていたそうです。(もしかして、遊ぶための理由づくり・・・?)これを守庚申といいます。

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鎌倉時代、武家社会に受け継がれます。

さらにその後、室町時代中頃、僧侶によって礼拝本尊が考え出されます。ここから守庚申は「庚申待」と呼ばれるようになり、明治の中頃まで続いていきます。こうして「庚申塔」は、崇拝の対象として作られたのでした。

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庚申塔には、「文字塔」と「像塔」があります。

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像塔のほとんどは、「青面金剛(しょうめんこんごう)像」(仏教の菩薩)とのこと。本匠だけで、43基が確認されています。

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文字塔には、やはり文字で青面金剛」というもの、そして「猿田彦命(神道から神仏習合として)」と文字が彫られたものもあります。文字塔は、本匠で143基が確認されています。(本匠には、その他不明のものが20基ほどある。)

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最後に、庚申塔で日本最古のものは、埼玉県川口市1471年のもの。

では、大分県での最古はどこか。

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大分県最古は、なんと佐伯市堅田。

1576年です。庚申信仰が徐々に広がって、本匠に届いたのは・・・

1671年とのことです。

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すごく勉強になってしまいました。庚申塔を見かけたら、このまちを繋いできた先人を思ってみてはどうでしょう。

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