責任も意義も目に見えないのに 2023/02/23 ボボボブログ 雑日記
話の種
人間の存在意義を考えたら一人が不死になれば良くねぇか(利己的な遺伝子×友人との雑談)
世界の解像度が高い人もいれば低い人もいる。
トイレで起きた奇跡。モラルはどこへ。
AI 人間に残る仕事は決定する事と責任を負うこと。 必然的に責任ビッグバンが起きるよね。責任は人間しか負えない?そうじゃないと誰も納得しない?いや、納得する、もしくはせざるを得ない社会に適応していきそうじゃないか?まぁでもかなり遠い話になるか。(責任は社会的秩序の副産物で、本質的には「ない」)責任を負えるのは有限の命を持った人間の特権なのか、、?それとも複製ができないからか、、?なにかが気持ち悪いな、、言語化したい、、
口にした言葉は、心の代表でしかなくて、心そのものではない。その事実を理解し、相手の心を理解しようとする人との対話はそうできる経験じゃない。
目的、手段
人の存在意義ってなんだ。この問いには色々な方面からアプローチができる。字面以上に曖昧な概念、それが意義と言う言葉。一旦この場では、生物学的な意義について考えていこう。幸福論などは、一旦二の次に。人間という生命の生物学的な意義はなんだろう?自分が最近読んだ本、「利己的な遺伝子」から引っ張るなら、人間、それどころか全ての遺伝子を持つ有機生命体はDNAを残すために生きている。(この定義だとウイルスも生命体として認識しないといけないみたいになるな、、)利他主義の人間が存在するのも、一夫多妻制で自分たちの子供の育成に専念できるのも、DNAを残すため。個体じゃなくて、DNA。種として残るのがゴールなのだ。そう考えると。もし一人の人間が不死身になったら、生物学的にはもう他の人間って用済みじゃないか?エルディア人安楽死計画みたく老人だらけの環境で余生を過ごすことになる。でもDNAを保存し続けるんだもん。死なないし老いないんだもん。これでDNAくんはニッコリ。もう大丈夫なんだ、もう二度と、僕は消えることがない!ハッピーエンド。ではここで、一度幸福論を引っ張り出してみよう。そして一度考えてみてほしい。僕らの幸福の源泉ってなんだろう?それはそらく全て、なんらかの形で種を残すことに貢献するためと言える、気がする。3大欲求なんてのは説明不要だろう。もう少しマイナーな感じがする欲を切り取ってみよう。自己顕示欲。これもやはり認知されることで社会から孤立することを回避して生存率を上げる効果が期待できそうだ。純粋な芸術的表現欲。これは難しいが、純粋な気持ちで自分の中の何かを表出させることは、それはそれで自分の存在を可視化することや他者とのコミュニケーションを図る目的がありそうだ。他に何か、種の、社会の、あまつさえ本人の生存にも役に立たなそうな欲はないだろうか?まぁ多分ない。みな、短くとも一度は生きていた両親の子なのだから、生きる才能に恵まれているはずなのだ。あれ?なんかいつの間にいい話風に?そうじゃなくて、人間の幸福を感じる機能はこんなにも生き延びる事に依存して特化させられているのだから、やはり幸福主義は生物学的存在意義を無視できないのだ。だがしかし、目的が果たされたからといって(不死身の人間がいるからもう全部の欲は必要ないよ〜どうぞ死んじゃって〜)、不要になったからといって、人間の幸福機関が不全を起こすなんてことはない。手段が目的を置いてけぼりにするなんてことはザラにある。というか人間の技術的進歩の王道パターンのひとつだよなぁ。本来Aをするために開発されたものがBするためのものとして普及した。というパターン。いや、まぁ王道ではないか、、笑
人、AIと責任
「この世の全ての事象は、関係性の沼を人間が各々の目的に沿ってラベリングしている」だけ、というのはよく言ったもんだ。この世界観を見つけるきっかけとなった、世界が最初に見せた綻びなんじゃないかと思うくらいにいい例になりそうなのが責任、という概念。何が言いたいかというと、人間社会が生み出した目に見えない、しかし絶大なパワーを持つ概念がそれ。厳密に言えば、そのものがパワーを持っているのではなく、その概念を共通で持った人間たちが社会という共同個体として活動することで生み出すエネルギーだ。今日は結果としてAI勉強デーだった。その時に見つけた概念がこんなものだった。「人類に残される最後の仕事は、始めることと、終わった後の始末、責任を負うことだ。」みたいな意味合いのやつ。まぁそうだよねぇ、今のままの社会モデルでいけばそこに行き着くよねぇ、と思った。ただ、これを考えた時に自分の頭の中によぎるのが、責任という概念。人間が命を払う前に負うことができる価値の総量には限界がある。ある一人の人間が一生かけて払える額(あ!不死身なら関係ないっかぁ!え、不死身の人たちを働かせ続けるってそのアイデアおもろいな、、あ、そういうおもろいではなくストーリーの種として。金持ちは不死身という安心にスリルを奪われるよりも、奴隷達を不死身にすることで永遠に働かせ、時間を超えた無限の資源として一生囲い続け、さらなる富を得る。命のリスクは消えないが、金銭的なリスクはないという不死身の大富豪、以上の地上最大の幸福に至る。)には限界がある。しかし、AIの台頭は一個人が市場に与えられる影響力を限りなく増幅することができる。その結果、成功者はもちろん、責任を負えない失敗者も、大量に生み出される事になるかもしれない。そしたらいずれ責任という概念が人間社会から消えることもあるのではと考えたが、まぁないだろうな。その世界はどんだけ命にも金にも余裕があるんだ、いった印象。
ファー今日はいつになく眠いかったので読み返しもしてない、構成もいじらず、超手抜きなので本当に読みにくいだろうな。おやまぁまた1つ、ネットの海にゴミが漂流しちまった。いや、どこかのChatbotがくってくれるからいいか。
では、おやすみ。
斎家リック
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