2023/02/11 ボボボブログ 雑日記
まずは今日のハイライト
衝撃のなるにぃさんの過去
ワンピースの世界設定の作り込みの深さに驚嘆
ハイな友達と宇宙科学館に行く
レーザーショーを見に行く
今際の国のアリスを2期4話中盤まで視聴
なかなか刺激的で語ろうと思ったらいくらでも語れそうな1日だったが、あえて今日は自分がこの日記をつけ始めた理由について書き込もうと思う。
なんで日記?
いくつか理由はあるが、今回は自分が始めるときにぼんやりと思っていた動機をアドリブで文字に書き起こそうと思う。
自分には兄がいる。7歳年上だ。自分がこの世に産声を上げた瞬間から思春期のど真ん中まで自分の人生の最重要人物として君臨していた。ピンポンで例えるとスマイルから見たペコ、ヒロアカでいう初期デクから見たオールマイト、アンチャーテッドでいうネイトから見たサム。小中高が近所だった彼はいつも家に友達を連れていてとても羨ましかった。なぜなら自分は小学校が電車通学で、近所に友達なんていやしなかった。学校での自分はというと、自分の正しいと思った事、価値観に沿わない人とは関わりを断ち、少しずつ孤立を深めていっていた。そんな中でも最後まで一緒にいてくれた友達は一人だけいたので自分の高慢な態度は中学に移ってもあまり変わらなかった。自分の話は一旦置いておいて、その兄である。その兄は自分が中学1年の時に突如実家を離れた。別に何か悲惨なことがあったわけでもなく、彼の意志で高校を卒業したまま2年間放浪。そののち、アメリカの大学に入りもう4年家にはいなかった。生まれた時から毎日そばに居た兄貴は中学1年の僕の元から突如6年間顔を合わせることがなかった。最初はこんなにお互いのことを書く予定はなかったが、書いていて気付いた。自分はその間とても寂しかったし、高校の3年間寮に送り出されたのもとても寂しかった。
それは一旦おいておいて、日記の話をするための軌道に戻そう。彼はどんな人間かというと、一言で言えばめちゃくちゃ努力ができる人間だ。幸福を追求するための生きるパワーに満ち溢れている。自分はどちらかというと、奥手でどこか上の空で、現実を生きていないようなふわふわしたやつだ。そのくせ理想家なのでタチが悪いのだがまぁそんなことはいい。とにかく彼のその胆力は自分には無いもので、ずっと尊敬していた。彼が家を出た時もそうだった。自分だったらあんな冒険はできないな。と思ってしまった。それは、「自分は好奇心旺盛なやつ」と自己評価していた身としては案外刺さっていたのかもしれない。自身の強みが、ただの他人の鏡に映った虚構だったのかもしれない、という気付きを中学一年生にしてしまった自分が色々な物へ手を伸ばす活力を失っていたのも今思えばよく分かる。
だめだ、日記の話に持って行きたいのにどうしても自分の過去分析をしてしまう。もう今日はそういう回でいいかも。
とか言っていたらやっぱ日記の話したくなったのでセーフ。自分がいまだに信じられない彼のすごいことは、彼はその高校卒業後の2年の旅を始めた瞬間から今の今まで毎日欠かさず日記をつけている。自分はスーパーノールーティーン人間なので本当に尊敬している。自分は中学をあまりに自堕落に過ごしたためにその過去をほとんどと言っていいほど思い出せず少しコンプレックスだった。それが日記をしたかった理由1。ふー、、やっと1が終わった、、まだまだ本題にすら入っていないのに、、
ここからが理由2だ。兄はコロナでアメリカの大学から帰国した時、ブルースリーにはまっていた。そこで彼は自信満々にこういった哲学を口にしていた。
「水のようになれ(Be water my friend) 」
色々な捉え方があるが、今回の場合自分が切り取りたいのは、水のように抗いすぎず生きれば真に幸福になれるよという点だ。(他にも、水のように相手に対応して戦えば有利だよ、とか岩のように流派を作るから人は分断されてしまうのだからそれじゃだめだ、とかまぁ確か色々派生するそれらの哲学の下を共通して通っているのがBe waterみたいなことをいっていた。)
何が言いたいかというと、彼は流されることは強みだよということをいっていたのだ。すごく言いたいことはわかる。歴史的にも、決まって抵抗する人間は苦しんできた。ただ自分はそれだけにはあまり賛同しなかった。自分が大変感銘を受けた漫画、バガボンド(SLAM DUNKでも有名な井上雄彦による、宮本武蔵の生涯を描く未完の傑作漫画)でも似たような哲学が出てきたのだ。
水は周りの岩や幅、そのものの量などによって動きを変えているだけで、人間もそうであると意識することが大切、みたいな確かそういった理屈だった。自分はなぜこれになんとなく反対するのか。それには多分色々な理由があるが、理屈はこうだ。
運命の逆張り
人の行うこと、感じることの全てがその人の生まれた環境、出会った人、体験したこと、果ては遺伝情報に左右されるのなら、つまり人が運命の奴隷なら、私はなんのためにこの世に生を受けたのか。多分そんなとこだ。自分はこれを小学校くらいの頃からぼんやりと感じていた。いい性格のやつはいい親の元に生まれている。万引きをしたあいつの家は貧乏らしい。そんなことを考えているだけで、自分は運命に逆張りをしたくてしょうがなかったのだ。ただ結局、そんなことをしても、そんな逆張りをしたいと思う自分も運命の一部、石の配置に沿うしかない川と同じだと容易に言えてしまうし、それも含めて幼少期から察していた。だが当時から今まであり続けるこの感覚。この自分を感じたいという朧げな渇望。これを享受するためにできることはなんなのか。その答えの一つとして僕のボボボブログ雑日記は生まれた。ボボボブログとかいうふざけた名前は、運命への逆張りなのだ。自分はボブという名前が好きだ。理由はわからないが、好きなことだけはわかる。だから自分を感じることができる。何かエピソードがあったらだめだ。いや、ダメってことはないんだけど笑 あったら流れる自分を感じるのではなく、自分を取り巻く岩を感じてしまうので目的に沿わない。僕はボーボボが好きだ。あの漫画はまるでこの世がエントロピーから逃れられないことを象徴してくれているようだ。つまりカオスだ。カオスには奇跡が詰まっている。ただし今日のレーザービームショー。あれはダメだ。ロックミュージックが爆音で流れているのに寝たのは人生で初めてだ、まさかそんな瞬間が来るなんて夢にも思わなかった。しかも自分だけではない。自分以外にも何人か寝ていた。あれはランダムなサイケっぽい映像を流してアートだと宣っているが、自分には何も伝わらなかった。AIが生み出す萌え絵の方がもっと色々伝わってくる。まぁアートが何かっていうのは受取手によって千差万別だから好きな人は好きなんだろう。
まぁそんなことは置いといて。僕が生み出す雑日記は運命の逆張りでありたい。意識的と無意識的の乱れ打ちで運命とスパーリングするようなブログ、ボーボボみたいなブログであり、かつ自分の感覚、そして感覚で好きなもの、「ボブ」を詰め合わせたブログ。それがボボボブログなのだ。こんなとこまで読んだ物好きには、、別に渡せるものも何もないがまぁ強いていうなら是非明日のボボボブログも読んでみてくれ。
じゃあ、また
斎家リック
P.S. 今回のバナー絵のプロンプトは
Laser light show illustrating a yellow afro man with sunglasses
レーザー光線ショーによって描かれたサングラスをかけた黄色いアフロの男
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